過保護ママは馬鹿を見る!?さすがに哀れな 鬼ババア

言い方が少し間違っているかもしれないが、私の祖母は鬼ババアであった。家人の目の届かないところで私に対して、およそ考えられない程の汚い言葉でののしることを日常としていた。

彼女は、若い頃に女中仕事で日本各地を転々としていたので各地の言葉が混ざり合っていた。そのハイブリッド方言で日々、一切の慈悲なく私の精神を破壊しようとしていた。

巷にあふれる人格者を気取る輩に尋ねてみたい。同じ屋根の下に住む家族が憎悪むき出しにして発する言葉の暴力に耐えられるものが、どこの世界に居るのかと。

私とて、手をこまねいていたわけではない。母や叔父さんには何度も助けを求めたが全く相手にしてもらえなかった。彼、彼女らの知る母親像と私の語る鬼ババア像との乖離が激しすぎたからだろう。

『何で、僕にばっかり文句言うの?』勇気を振り絞って1,2回聞いたことがある。すると、その瞬間に鬼ババアはまるでコントのように仰向けの状態で床に向かって卒倒するのだ。その体をはった、老人には危険極まりないリアクションを見たら、私はもう何も文句が言えなくなってしまった。

何を言われても無表情を装って我慢していると『何を言われても、知らんふりしゃがって!』『あんたに養われてんのと違うわ!』と決めゼリフをシャウトして自分の部屋へ帰っていく。深夜、私の寝床の前で、本気なのか威嚇なのか、包丁を持って佇む鬼ババアを見たのは1度や2度ではない。

優しいお婆ちゃんが鬼ババアに豹変したのは、私の父親が死んだ7歳の時だった。働きに出た母親の代わりに、私を含めた3人の子どもの世話をすることになったお婆ちゃん。やっと隠居できたと思ったら、住み込みで小学生の男二人と赤ちゃんの世話である。それはそれは大変なストレスだったと思う。

彼女自身も戦中戦後の食糧不足の時代に3人の幼子を育てた経験がある。配給だけでは子どもをお腹いっぱい食べさせることはできない。そう思い、乳飲み子を背にしょって食糧を求めて遠くの闇市まで出向いた話は、それこそ何度聞いたか分からない。

終戦後、何年も戻ってこないお爺ちゃん。お婆ちゃんは子ども3人を育てるためにそれこそ何でもやった。そして子育てに協力的な男性も彼女の前に現れた。お婆ちゃんとその周囲で戦争の痛手が徐々に癒えていく…。そんな時にお爺ちゃんは帰ってきた。

戦争中に捕虜となりシベリアに拘留されたお爺ちゃんは、それこそ命からがら祖国に戻ってきたのだ。そんな思いで日本に帰ってきたら、そこには知らない男が…。しかし、お爺ちゃんはそんなことで怒るほど甘い人生を過ごしちゃいない。戦争の悲惨さ知っているからこそ、全てを不問とし新たに家族5人で生活することとなった。

しかし、せっかく帰ってきても子どもたちには、すでに自我が芽生えており、お爺ちゃんを拒絶するものさえいた。そして、お爺ちゃん自身も出征で子育てにほとんど参加しなかったため、子どもの扱い方に不慣れであった。

特に長女であった私の母は、お爺ちゃんに対して心を開かなかった。幼いころから住居を転々として苦労して自分たちを育てたお婆ちゃんに比べ、いかにも遊び人然としたお爺ちゃんに無言の抵抗を繰り返した。

そんな娘の扱いに困ったお爺ちゃんは、母が短大1年生のときに取引先社長である私の父となる人物に母を引き取らせる形で結婚させた。父も戦争で両親を亡くしており2人の弟を育てるために粉骨砕身の思いで働いてきた。決して愛し合って結婚した訳ではない二人だが、当時としては、そう珍しくない出来事である。

父が偉かったのは、母がお爺ちゃんに反発する原因となったため、離縁させられて行き場がなくなったお婆ちゃんも一緒に引き取ったことである。お婆ちゃんが住める小さな家も近所に建てて、いつでも家に遊びにこれるようにしてくれた。

お婆ちゃんは、私の父に感謝しながらも胸の中に湧き上がる感情を抑えきれなかった。『娘が嫁入りした家に養われるのは恥だ』『いつか成長した長男が私を引き取りに来てくれるはずだ』と。女中仕事で仕えた数多の家庭で見た、旦那衆の男尊女卑の振る舞いに大きく影響されたのは想像に難くない。

孫という存在は腹を痛めた我が子と比較しても別次元に可愛く感じられるものらしい。お婆ちゃんもそうだったろう。しかし私の不幸は、お婆ちゃんの価値観が若くから従事していた女中時代に育まれたことだ。

跡継ぎである男性を尊ぶ強烈な男尊女卑の世界。長男は一番偉く、次男は正直どうでも良い。男が出来たら次は華やかに着飾れる女の子が欲しい…。気持ちは分からんでもないが何とも身勝手なものである。そして不幸なことに私は次男であり、さらに生まれた時は太っていて不細工だった。

私の顔を見た父の会社の社員たちが『二番目のお子さん、奥さんのお母さんにそっくりやなぁ(笑)』とのたまっているのを見たお婆ちゃん。心中穏やかでなかっただろう。私は、この話をお婆ちゃんから直接聞いた。何度も何度も…。私のメンタルはボロボロになった。何故なら、彼女も相当なブ〇だったからだ。不細工に不細工と言われる筋合いは無い…。

鬼ババアが望んだ、立派になった息子が迎えに来てくれるという夢は生前には叶わなかった。しかし叔父さんは鬼ババアのお墓を立てて丁重に弔ってくれた。長年の彼女の思いはようやく結実したのだ。それから20数年。先日叔父さんも旅立った。

四十九日法要の席で叔父さんの跡を継いだ従兄弟が私に告げた。

『お婆ちゃんのことを知っている家族が少なくなったので、お墓を潰して遺骨は永代供養してもらおうと思います』

こう話す従兄弟は叔父さんの長男。いわゆる本家直系である。滅多に遊びに来ない彼の機嫌を取りたいがために鬼ババアは毎日お菓子を買っていた。毎日毎日買っていた。あまりに買うもので乾物をいれる収納庫がパンパンになるほどであった。溢れそうなので私が、それを食べると烈火のごとく怒った。そして『お客さん用に買うてんねんや!』『あんたに養われてんのと違うで!』と私を罵倒するのだ。

我が家の来客は、そこそこ多いほうだったが、鬼ババアが大量に購入したお菓子の出番は一向にこなかった。ある日、何かの用事で従兄弟が一人で我が家に来た。私が覚えている限り、この一度だけだと思う。鬼ババアは私がどう思うかなど関係なく本能のまま動いた。そして私は、あの大量のお菓子は本家の跡取り息子である彼のために用意されたものだと知った。

うれしそうに従兄弟の前にお菓子を並べる鬼ババア。それを無表情で一瞥した従兄弟が、そのお菓子に手をつけることはなかった。用事が済んで彼がさっさと帰った後に残った大量のお菓子を食べることが許された私だが、この時は流石に鬼ババアを憐れんだ。

思えば、鬼ババアは誰にも大事にされてこなかった。私の母と叔父、叔母そして、その子どもたちからも彼女に対する敬意は微塵にも感じられなかった。

過保護の母親やお婆ちゃんは子どもや孫にいくら尽くしても、彼らからリスペクトが得られることはないのだ。

幼いころから彼女に罵倒され蔑まれて育った私にだけ、彼女を思いやる気持ちが育まれたとは何とも皮肉な話である。

私と従兄弟では、各々の生活環境が天と地ほど違っていたので親密になることは無かったが、彼も年を重ねて普通に話ができる大人となった。私は鬼ババアが一番愛していたのは本家の跡取りである君なんだよと告げ、鬼ババアの決めゼリフとお菓子の件も話した。そして、あなたがどういう決断をしても鬼ババアは絶対に怒らないということも併せて伝えた。

何故なら、日頃から母や叔父・叔母が鬼ババアと接する態度を見ているならば、彼女が子どもたちをいかに甘やかせて育てたのか、うかがい知れるからだ。

何度か母や叔父さんの子ども時代の写真を見たことがあるが皆、丸々と太っていた。それも戦中戦後の食うや食わずの時代にだ。彼女は、泥を啜ってでも子供たちの食い扶持を稼いだことだろう。そんな彼女は絶対に愛する子どもや孫に嫌われたくないはずだ。

だが彼女は聖人君子ではない。溜まりに溜まったガスを抜くが必要があるのだ。それが私の役割だったのだろう。話を聞き終えた後、従兄弟の表情は明らかに変わっていた。心なしか目が潤んでいるようにも見えた。そして私は
『君が愛されていたことを忘れないでね』『お婆ちゃんが、どれほどの愛情をもって子どもたちを育てたのか、君の子どもたちに伝えてほしい』と付け加えた。

墓の有る無しは大きな問題ではない。忘れてしまうことが罪なのだ。

私は鬼ババアが死ぬ数日前に、何の脈絡もなしに『気持ち悪いから、これからお婆ちゃんと呼ばんといて!』『あんたに養われてんのと違うで!!』と言われた。

ボケて頭がおかしくなった?!否、これが鬼ババアの通常運転なのだ。私は、この彼女の遺言代わりの言葉を守り一度たりとも墓に参っていない。彼女のお墓を従兄弟が潰しても何の感慨も湧いてこないだろう。

しかし毎日思い出している。そして我が子にも、ありのまま伝えている。そう、忘れてしまうことが罪なのだ。

それから一年後、叔父さんの一回忌法要の席で、お婆ちゃんの墓が潰されたことを知った。心底憐れに感じるが私にはどうすることも出来ない。私が祀っても彼女が喜ばないことを知っているからだ。

喜怒哀楽を子どもに出すことで良くないことも家庭内に生じることだろう。だが、それを出さないことで、あなたの価値が家庭内で上がることは決してないのだ。

女性に多い感情的な言動。実は家庭内でのポジション取りに有効であり、なおかつ家人に一目置かせたり印象づけが出来るという理にかなった行動でもあるのだ。

そのためには、家人に満遍なく適切に毒を吐かないといけない。度を越えたり、または好き嫌いで相手を選んでは、あなたの居場所は何処にも無くなることだろう。

written by 7th street

END

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