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3 とてもつらかったアカポス就活

 今度は、自分の就職活動について書いてみます。一言で言って、とてもつらかったです。なぜなら、就活という長いトンネルに入った途端、いつ出口に到達できるのかがわからなかったからです。その出口まで10数年以上の時間が経過してしまいました。
 業績の積み上げについては前回書きましたが、業績は努力すれば何とか積み上げることはできます。しかし、就職は努力すれば、実現できるという類いのものではありません。ここで言う就職活動とは、もちろん大学のアカポスの事です。小中高校の先生になるには、教員免許を取得して、採用試験に合格すればいいのです。しかし、大学の先生の採用には研究業績が求められます。免許とか資格は要りませんが、まずもって研究者としての実績がどれだけあるかが精査されるのです。だから一つのポストに、時には三桁の応募者が殺到することもあります。だからここまでくると実力半分、運半分というところでしょうか。私はこの言葉を信じたくはありませんでした。ですから、教員公募に応募しつつ、研究論文(もちろん全国学会誌や海外の一流ジャーナルでIFの高いもの)を書き続けました。
 それでも、結果は不採用ばかり。あれだけ苦労して作成した応募書類なのに、足にも棒にもかかりません。それでも諦めませんでした。なぜなら諦めたら、即、Game Overですから。10数年間で応募した件数は200回以上。最終面接までは4回ほど到達できました。面接通過率、わずか2パーセント。最も遠方では、沖縄や九州の大学の面接に呼ばれたこともありました。
 風向きが変わったのは、とある学会から優秀論文賞を貰えてからでした。前回も書きましたが、それがきっかけで有名な大手出版社より単著を刊行でき、その単著にまたまた賞が授与され、それが相乗効果を現わし、ついに地方の公立大学の准教授に採用されました。長いトンネルを抜けた時、年齢はすでに50代後半に達していました。そんな年齢で採用されたのは奇跡としか言いようがありませんでした。

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