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世界の中心は5歳児なのだと疑わない夜のこと

子どもというのは、自分を中心に世界が回っている考えているようだ。

5歳で小学校に通っているともなれば(NZは、5歳から入学する)、お友達や先生など外との関係性が出てくる。

あの子よりも、背が小さいとか、これがうまくできないとか。だんだんと「万能ではない自分」も発見する。

けれど、小さい娘は何者にもなれると信じて疑わない。

おかあさんは、100%の全力でお世話してくれると思っているし、おとうさんは、四六時中遊んでくれる相手だと決めつけている。

その王様的精神に、手を焼いて心底疲れるときもあれば、一ミリも幸せを疑わない姿に、こちらが幸福のおすそ分けをもらったような気分になることもある。

さいきん、夫がおみやげを持って帰ってくる。

職場で作ったクッキーがあまったからとか。焼いたケーキが残ってたからとか。昨晩も、荷物を抱えて帰ってきた。

すかさず「なに作ってきてくれたの?」と駆け寄る娘。

先ほどまで、熱心に遊んでいたレゴを放り投げて。

夫が包みから、肉の塊を取り出してキッチンテーブルの上においた。

週末は働いている店が閉まっているので、日が経つと生鮮食品は悪くなってしまう。なので、ステーキ肉をたまに持って帰ってきたりする。

こちらが「肉だよ」と説明しても、「みせてみせて」「なになに」と興奮した娘の耳にはあまり入っていない。つま先立ちで、キッチンテーブルから頭をのぞかせている娘には、ステーキ肉がよく見えていないのか。

「お肉だから、食べられないのよ」と目の前に差し出して、やっとのこと「なああんだ」と残念そうな声を出した。

「娘ちゃん、赤いジャムのクッキーだと思ったの」

以前、真ん丸のお月さまのようなクッキーを持って帰ってきたことがある。それを覚えていたらしい。

ステーキ肉は丸いから、遠目に見て特大クッキーに見えたのだろう。

一度見えたら、それにしかうつらないなんて、子どもの視野のせまいこと。

だからこそ、おとうさんが自分のためになにかを作ってくれると疑わない。

娘の小さな身体と心が、幸福で満たされている。それに、親として安心する。

いつまでもキミは幸せで、いいなと思う夜。


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