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Bさんへの手紙

特定のお名前をあげて書いた手紙を、このような公開された場所に置くのはどうもエモい気がする。けれど、DMとかで直接送りつけるのはキモイとなってしまう可能性がたかいので、やはりnoteで書くほうがいいな、と思った。

毎日更新をはじめて、今日で31日。最初の1か月が終わろうとしている。

思っていたより、30記事を書くのは大変ではなかった。それどころか、楽しかった。たくさんの方が、見に来てくれて、スキをつけてくれて。うれしかった。どうもありがとう。

そして、毎日書き続けようってなんで決めたのだっけと思い返すと、Bさんの言葉があったからだな、とたどり着く。あの言葉があったから、私は書いているのだと。

うん、だからやっぱり、こうしてお礼をきちんと伝えておこう。

ライターをやっているけれど、これまでの人生で文章に自信満々だったことはない。文章をほめられるケースって、普通に生きていたらそんなにあるのだろうか。

私はほとんどなかった。読書感想文とかで、賞をもらったこともない。そもそも文章を書いて他人に見せる機会って、どれだけあっただろう。

唯一、記憶に残っているのが中学校の卒業文集だ。そこに載せた「友達」というタイトルの400字を、幼馴染の友人が「文集のなかで一番好き」と言ってくれた。びっくりした。

当時、クラスには「文章がうまい子」がいた。とても大人びた文体で、印象的な詩を書く子だった。だれの文集が好きかみたいな話になったとき、当然その子の文章が一番だと思った。けれど、友人は私の文章をほめてくれた。

ふとしたときに、誰かから文章をほめられるというのは、仕事上で「よかったです!」と言われるのとは、また違う喜びがある。

もちろん、提出した原稿を編集さんに「読みやすいです!」とか言ってもらえるのはうれしい。けれど、これは仕事。わかりやすくて読みやすい文章を書いてなんぼだと思っている。

仕事での褒め言葉は、「今回も、あなたは大丈夫でした」と及第点をもらったようなものだ。もちろん、うれしいことは変わりない。褒められるほど気持ちが明るくなるので、原稿を提出したらコメントくださるのは大歓迎ですと、誰かに向かってフォローしておく。

話を戻そう。

仕事ではなく、ネットの星空にあてのない風船を飛ばすような気持ちで書く文章を好きといってもらえるのは、とてつもないインパクトがある。

Bさんは、それを一番最初にしてくれた人だ。

去年の12月のnoteで、この頃は本文にだれかのnoteを引用したときの通知機能がなかった。(いまは、相手方に「あなたのことが〇〇で話題になっています」と通知がいく。はじめてみたときは、炎上でもしたのかとドキっとした。)

読んでいると、自分の名前が出てきてびっくらこいた(正直な気持ち)。日記のように書いている娘の話を、Bさんはスキと言ってくれている。noteを書いているとこんなこともあるのかと、信じられない気持ちだった。

それからしばらくして、Twitterを眺めているとBさんのツイが目に入った。サトウカエデさんの文章をもっと読みたいんだ!と、友達と話したという内容だったと思う。

余談だけれど、サトウカエデというのはライターネームで、本名は別にある。1年以上使っているのでビジネス上のやりとりは慣れたけれど、ネット上で目にすると(……わたしのことかな?)と考えてしまう。

この、「だれかの文章を読みたい」という気持ち、とっても共感できる。

私も、好きな作家さんというのはもちろん、noteにも大好きな文章を書く人たちがたくさんいる。

いまなら、私は大旅そばさんの文章がとても読みたい。日本に帰国されてから、お忙しいようで毎日更新はされていない。ぽっと登場する新しいnoteに、毎回しっぽをふるテンションで覗きにいっている。

誰かの文章を読みたいと願うことって、なにかに似ている。

文章というのは、とても赤裸々なものだ。その人の心のなかや、頭のなかが、文字で外に出力されている。その人の文章を好きということは、その人が好きということだろうかと、どこか混在してしまいそうだけれど、たぶん違う。

数秒考えて、思い至る。ああ、音楽だ。好きなアーティストの新曲を心待ちにする。大好きな曲をきいて、心のなかでじんわりする。誰かの言葉で、胸を打たれる。そういうときの気持ちに、とても似ているんだ。

いまの時代、「スキ」を届けるのは手軽にできるように見える。noteに「スキ」ボタンもあるし、1クリックでシェアもできる。でも、なかなか簡単じゃない。

文章を読んで感じたことを一言二言の言葉にする。その一瞬の時間。それは、その人の時間を使うことだ。やってもやらなくても、変わらないこと。その「わざわざ」感。

大量の情報が流れていくそのなかで、「いいですねえ」と言ってくれたことが、私はとてもうれしかった。

たぶん、言う側からすれば、ぽかぽか温かいひだまりで「今日はいい日だねえ」とつぶやくぐらいのテンションなのだと想像する。

でも、受け取った側からすれば、ピンポーンとドアをあけたら、30本くらいの真っ赤なバラな花束が「おめでとうございまーす!」と届けられたぐらいの驚きがある。うまく伝わるかわからないけれど。

そうかあ、もっと書いてみようかなと、私の心が動くにはじゅうぶんすぎる言葉だったってことで。

noteを毎日書くようになってから、わかったことがある。

スキやコメントをもらうと、踊ってしまうくらいうれしいことを知った。SNSでコメントつきでシェアしてもらえるのも、飛び上がっちゃう。読んだPVの数が増えるだけでもうれしい。

そりゃまあ、スキの数のために書いているわけではないけれど。

でも、書いたものが誰かに届いたり、つながったりしたら、やっぱり書いてよかったなと思うじゃないですか。

「いいですねえ」と読み手が何気なく発した言葉は、思っている以上に書き手を励ますなあと感じている。

だから、私はnoteでお見掛けしたいいなあという記事に、気軽にスキをつけるし、「これいいよーめっちゃいいよー」とSNSでシェアもする。

noteは優しい気持ちが循環するように設計されている世界だけれど、ほんとうにそうだなと。30日間毎日ログインして、よりnoteが好きになった。

だから、明日も書きますので、またふらりと見に来てもらえたらうれしいです。


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