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無条件で好きな文章

というものがある。

浴びるようにその言葉をのめる、と書いていたのは、ふみぐら社さんだった気がする(違っていたらごめんなさい)。

その人の書いた文章であれば、なんでも読みにいきたい。「なんでも」なんて、節操がない。でも好きなんだから仕方がない。

「誰が書いたかが重要だ」なんて言うけれど、好きな文章って、それが当たり前でしょ?

「あの人が」書いたから好きなの。読みたいの。それでいいの、って終わらせたくなるけれど。なんでそんなに、無条件で誰かの文章を愛してしまうのだろう。人は。

気持ち悪いことを言ってしまうと、この文章が好きと抱いてしまう気持ちは、たぶん限りなく「恋」に似ている。書かれた言葉に、恋をしている。

ここでいう、「恋をしてる」ってどんな状態だろう。私が思うに、言葉に気持ちが動かされて仕方がないってことなんじゃないだろうか。

笑い、感動、悲しみ、喜び、幸せ……その文章は、私の心のなかに、何かをそっと置いてしまう。

言葉の力って、言葉自体に宿るのかな。私は、読み手の心が動くその瞬間、動かしているものこそが「力」だと思う。それは言葉ではなくて、その文章によって紡ぎ出された感情。物語の世界を垣間見て、連れていかれた場所。息を止めて読んだ本を閉じるとき、口からもれる感嘆のきこえない声。それが、言葉の力じゃないかって思うんだ。

だからさ、文章の救いって書き手が与えるものじゃなくて、読み手が掬い取るものだと思うんだよね。

私は無条件で愛してしまう文章を読みながら、心になにをもらっているのだろう。朝のしずくのように生まれた光に、鈍感になりたくないな。いつまでも。




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