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「やさしさのめぐる」村にて

目が覚めると、全く見覚えのない部屋にいた。殺風景で、窓のない部屋。コンクリートに囲まれ、光は小さな白熱電球のみ。
なぜか身体中が重い。重いというか、痛い。意識を失う前の記憶が混濁していて、ここに来るまで何をしていたのか、全く思い出せない。

一体どこだ?ここは。
あたりを見渡すと、部屋の隅には重たそうな鉄扉がある。軽くノブをひねろうとするが、ぴくりともしない。絶対開かないだろうなと思いながら、やはり絶対開かなかった。
そう、なんとなく気づいていた。
わたしは何かが原因で、閉じ込められたのだ。


……なんていう密室からの脱出的サバイバルゲームが、これから繰り広げられるはずもなく、わたしは見覚えのある部屋で目を覚ました。あたたかい朝日がカーテンを透過し、顔面に直撃する。そういえばこの部屋は、東向きだったな。昨日もおとといも雨だったから、この事実には気づかなかった。これはアラームいらずの生活がいくばくか楽しめそうだ。

え?どうして昨日おとといが雨だというだけで、わたしがこの窓が東向きなのに気づかなかったかって?
なぜならこの部屋は、わたしの住処ではないからだ。

この小さな村に来たのは2日前の話で、数少ない村の安宿にわたしは腰を据えている。ここに来てからは雨続きで、朝日を拝むはずなどなかった。襲いかかる眠気に立ち向かい、重い腰をあげてベッドからとび降りる。時計は午前9時を指している。これを朝日と呼ぶには、ちと遅いかもしれない。

この宿は、三階建ての小さな宿だ。一階がレセプション兼オープンスペースで、宿の使用人とわたしたち宿泊客は、ここで顔を合わせる。
オープンスペース内には、キッチンやダイニングテーブルも備え付けられており、本当にお金のないわたしなんかは、外食は最小限に抑えて、ここで平凡なものを生成する。一応朝食が宿泊代金に含まれているので、朝食はこちらでいただく。といっても、豪華なビュッフェがあるわけでも、「今日の朝食はエッグベネディクトよ!」というわけでもなく、薄すぎる食パンに、イチゴジャムとバター、これをどうやって食べるんだという、ひたすら苦く、みずみずしい謎の草の山があるだけである。これの食べ方を教えてくれと聞くと、宿の管理人は食パンにバターとイチゴジャムをたっぷり塗ったら、その上に草をモリモリにのせるんだと教えてくれた。言われた通りにしてみたが、めちゃくちゃ不味かった。あまりにも露骨に不味そうな顔をしたのだが、彼は笑って親指を立てた。おい、騙したな。
あ、あとはインスタントのホットコーヒーもある。ブラックかと思えば入れた瞬間からめちゃくちゃ甘いやつである。わたしはブラックは飲めないので、この仕様はありがたい。宿をチェックアウトするときに、このコーヒーをごっそり持ち出したいところだ。

3日目の朝になって気づいたこと。
この村の朝は、意外と遅い。
ようやく畑仕事や車を走らせる姿が見えるようになる。
しかし、以前に訪れた街とは違い、この村は非常に穏やかだ。村全体が、妙な成り立ちをしているように見える。

遅めの朝食を終え、自分で皿やコップを洗う。これを客にやらせるのもまた乙なところだなと思っていたら、小柄な少年がシンクに割り込んできた。

「ねえ、これもお願い」

少年はそう言って、わたしが使っていない皿とフォークを渡してきた。変な感覚を持ちつつ、流れでそれらを受け取ってしまった。
少年はすぐにシンクから離れ、宿の外へ駆け出して行ってしまった。
おや、なぜわたしはこれを渡されたのだろうか。洗えということなのだろうか。皿が一枚にフォークが一本。たいした量でもないし、洗うか。これは誰の何だろう、他の客がルールを無視して洗わなかったのか、それともあの少年のものなのか。あの少年はみたところ、この村の人々と顔つきが似ている。おそらく彼は客ではないだろう。

一通り「皿」は洗ったので、部屋に戻り、服を着替える。本当は朝のシャワーを浴びたいところだが、ここのシャワーは湯圧が弱い。湯を浴びることそれ自体がストレスになるのなら、それに接触する機会はなるべく最小限にしたいものだ。
カバンに財布とハンドタオル、それからカメラやらノートやらを詰めて、また部屋を出る。放浪をしているので、「オシャレ」はしない。シンプルなシャツに、色の浅いジーンズという、平凡の象徴である。

宿を出て、少しこの村を散策する。この村の特産品なんかも、早めに見つけたいところだ。山の麓にあるこの村は、正直2日もかからず全てを見ることができると思う。不幸なことに雨続きだったので、昨日おとといは部屋でのんびりしていたのがほとんどで、探検は宿の周辺しかしていない。ただ、なんとなくではあるが、この村の特産品は山菜だったり農作物だったり、鉱物だったりすると思う。それ以外ありそうな感じがしない。まぁ、正直なんでもいい。

宿から歩いて10分ほどすると、村の役場や中央市場などが集まる広場に出る。そう、安宿だから中心地からはだいぶ離れている。
晴れた日の市場の活気のつき方はやはり一味違う。新鮮な野菜に、捌きたての鶏肉。あとは、よくわからない屋台が連なっていて、そこで作られる料理もよくわからない。チャレンジしたい気持ちはあるが、わたしの舌と胃腸に合うかどうかは、概ね想像がつく。

何をするわけでもなく、歩きながらその共同体に身を置く人々を眺める。これがわたしの旅でのスタンスだ。コーヒースタンドや、その街の人々が使う市場なんかは、文化が強く出て味わい深い。
よく見ると、仕事をしているのは中年層が多い。50は超えていそうな感じだなと。そして、わたしと同じくらいの年齢の若者は、どちらかといえば仕事を見ているのが多い。
なるほど、職人の技を習うためにああやって弟子入りするわけか、これぞプロフェッショナル、これぞトラディショナル。

……しかし、それはどうやら間違いだったようだ。
ある建設現場を見たときのことだ。指示を出していたのが若者で、手を動かしていたのが年長者だったのだ。
どう贔屓目にみても、お前が働くべきだろうといったところだ。あまりにもおかしな光景だったので、その建設現場を、およそ50mm相当のレンズで撮影する。たぶん、こんなところを撮るのはわたしだけだ。そんな姿が不思議だったのか、建設員が作業を止めてわたしに話しかける。

「お嬢さん、この建物がそんなに不思議だったかね?それとも、俺がそんなに二枚目に見えたかい?」

「ええと、こんなことを聞くのもとっても野暮なんだけど……。」
聞くまでもないような話ではあったが、先ほどの違和感とも合わせて、確かめようと思った。

「どうして、あなたみたいな年長者が肉体労働をして、あの若い子があなたたちに指示を出しているの?わたしの育ったところでは、普通この関係性は逆よ」

彼はそうきたかという顔で、こう返した。
「この村ではね、それが普通なんだ。年長者は、年下を敬うんだ。それは外の者も関係ない。郷に入っては郷に従えだ。だからこそ、俺は君を敬わなくてはいけない。それは、何も生産年齢だからってわけでもない。俺らは子どもだって赤ちゃんだって敬うし、話を聞く」

やはりそうだったか。この村の穏やかさは、おそらくここから来ているような気がした。ということは、先ほどわたしに皿を渡してきた少年は、やはりわたしに「皿を洗って欲しい」というお願いをしていたのだろう。

「でも、建設作業に関して言えば、あなたが仕事をするより、彼らにやらせた方が作業は進むじゃない。経験も豊富な年上が仕事を分配、指令する方が合理的な気がするけど」

「そりゃそうさ。でも、こういう見方もできる。俺ら年長者は、新しい未来を作っていける脳みそをもっちゃあいない。人間は生まれた時から、「経験」という名の罪と驕りを背負っていく。つまり、それらにとらわれてしまうのさ。いやね、何も歴史を軽んじているわけじゃあない。歴史を学ぶことは大切さ」

「ということは、この村においては、赤ちゃんが一番尊いものであるということになるわね。それって教育とかはどうしているの?」

「もちろんそこは大人の出番さ。さっき歴史を軽んじてはいないと言ったろう?俺らは歴史を教えるのさ。実質的に立場が上でも、教えることはできる。子どもたちがそれに気づくのは、少し後の話になるけどな」

村全体で、この構造を守っているわけか。興味深い。
正直この村は、目的地における通過点でしかなかった。しかし、この村から学べることは、かなりありそうだ。
建設員にお礼を言い、また新しい観察対象を探そうとしていたところだった。
わたしはてっきり、立場が完全に逆なら、若者たちが年上をこき使っているように思っていた。しかし、実際はそうではなかった。若者は年長者の仕事を手伝い、そして丁寧に会話を交わしている。これはあくまで文化であって、精神性であって、カタチある支配構造など存在しなかったということになる。それはそうだ、もし実際そうなら、遅かれ早かれ教育の限界はくるし、まず歴史を学ぶ意味がない。それに、年長者の立場が下であるなら、わたしだったら自らは働かずに彼らを働かせる。なんと怠慢な考え方だろう。まあ、今も怠慢な生活をしていることは突っ込まないでほしい。

一通り村の様子を歩いて見渡す。やはりどの仕事場も、上司は若者のように見えた。しかし、これは宗教観なんかではなく、各々の生存戦略であるようにも感じた。本質的に、彼らは脱皮を求めていて、常にまだ見ぬ冒険を希求しているようにも感じたのだ。
つまり、あの建設員が言っていた「歴史を軽んじていない」というのは、逆説的に真であるということになる。

わたしはどうだろうか、歴史を、物語を軽視してきただろうか。
新しい冒険も、まだ見ぬ景色も、全てはわたしたちの空想から生まれる。空想できるものは、全て新しくはないが、経験は時にわたしたちと発想を縛り上げる。だからこそ、経験から学び、経験を生かせる位相にいなければならない。経験値と発想は分けて考えるべきで、経験からやさしさを与し、発想から恩返しをしていく。この村はよくできている。

宿に戻ると、先ほどの少年が一階で興奮気味に踊っていた。いや、踊ってはないけれど。

「お姉さん!はいこれ!」

またお皿洗いかと思ったが、渡されたのは包み紙に入った何かだった。

「これは?」

「朝限定販売のお菓子さ!さっき僕のお皿をお姉さんは洗ってくれただろう?きっと喜ぶと思って、お姉さんの分も買ってきたんだ!」

なるほど、たしかにわたしは、この限定販売のお菓子があることなんて知らないし、知っていたとしても、あの時間にのんきにコーヒーをすすっていたんじゃ間に合わない。少年はお皿を後で洗えばいいはずなのに、わざわざわたしに洗わせたのは、これがしたかったからなのか。まったく、実にこの村に則った「紳士」じゃないか。この子はいい女性に巡り会えそうだ。

わたしはこの少年のお皿を洗うことによってやさしさを与え、彼はそれに対して、新しい世界という形で恩返しをしてくれたのだ。

お昼ご飯というには少し足りなかったが、これはこれで新鮮だった。てっきりまんじゅうのようなものだとも思ったが、苦味があって非常にユニークな味わいだった。思わず笑みがこぼれた。

「素敵な村ね、気に入ったわ」

「そりゃそうさ!僕はこの村が大好きだよ!」

少年は、きっとこのお菓子が好きなんだろう。そして、このお菓子の味に満足してわたしが村を気に入ったとも思っているんだろう。少年はわたしの経験知など知るはずもない。
でも、それでいいんだ。
少年はこれからも、新しい世界を見せてくれるに違いない。

このやさしさに倣い、わたしもまた、次の街ではこのように振舞おうと思った。

経験は時に、発想を縛り上げる。
でも怖がることはない。
経験は時に、やさしさの燃料になる。

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