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愛が近づいてくるからせまい

大体において、寝る場所がない。

クイーンサイズのベッドとシングルサイズのベッドをくっつけて寝室に置いている。そこに、私、娘、夫と家族三人で寝ている。

夜も更けた0時前。寝室に滑り込む。するとそこには、シングルベッドで寝息を立てる夫と、その横のクイーンベッドで大の字になって寝る娘がいる。

なぜだろう。私の腰に抱きつくぐらいの身長しかない娘が。週替わりでお気に入りのぬいぐるみを選び一緒に寝ている小さな身体が。自由に手足を伸ばすとベッドを占拠して私の寝場所がなくなるのは。

しかたないので、隅っこの細い隙間に入り込む。すると優秀なセンサーで母を感知した娘の足が、ぐいぐいと私の背中を押しに来る。

空間を求めて離れるほど、磁石のように娘は私を追ってくる。かくして、私の寝床はより狭くなる。愛に限界はない気がするけれど、ベッドの端は限られている。落ちそう。

***

8月末に娘が7歳になった。

誕生日から1か月ほどすぎた週末、カフェでドーナッツを待ちながら隣で座っている娘を見て、「ああ、もう7歳だな」と大きくなった実感がふと降りてきた。

かたくなに切らないと主張し中途半端な長さになった前髪を耳にかけている。まあるいドーナッツを、一人でペロリと平らげる。どこに行くにもぬいぐるみと一緒が最近の彼女のお気に入りで、紙とペンを取り出してはせっせと友達に手紙を書く。

ベストフレンドはフォーエバーで、ファミリーもフォーエバーだと、今から続く時間を疑わない。

怖い夢を見るから寝たくないと言う。そういうことが何日か続いたあと、風呂上りに「お化けがやってきて羊のラミー(お気に入りのぬいぐるみ)を盗っちゃう夢をみた。娘ちゃん、隠そうとしたのに」なんて、ぽつりと小さな秘密を告白する。

たったそれしきりのこと、とは思えない。子どもらしくかわいい、とも笑わない。心のとてもやわらかい部分が、まだまだむき出しに近いのだなと思う。

そういうやわらかい部分が、大人になると固く強くなるのかというと実は違っていて、私たちは器用に何重にもやわらかな部分が無下に触れられないようにぐるぐると守っている。

たとえば、日曜日の午後ひかりに揺れるカーテンとか、時間が止まったように落ちる桜の花びらとか、ノートに書き留めた自分だけの物語とか。

そういう、やさしいものの積み重ねが、怖いとか悲しいとか、黒々としたものから守ってくれるのではないかと、あたたかなリビングでクレヨンに囲まれて絵を描く娘を見ながら願ったりする。

***

7歳の娘をたしかに思った夜、寝室に滑り込んだら娘と夫がクイーンベッドを占拠していて、私の寝るスペースは残されていなかった。

これ幸いと、シングルベッドを一つ確保したものの、夜中に物音がして目を開けたら、ベッドの対岸から父親の肩を乗り越えてこちらに歩いてくる娘の姿が見える。

かくして、いつもよりも狭いサイズのベッドで、ぎゅうぎゅうとくっつく身体を抱きしめながら寝た。


いつか。たしかにくるいつか。ベッドのどこに手を伸ばしても、誰もどこにもいない夜がくる。

私だけのものになった夜を、自由になった手で抱きしめるぐらいの距離でいたいと思う。手にするものが、さみしさかどうかは別として。


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