「虐待親」の境界線が背後にあるその瞬間。#熟成下書き
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子どもを育てていて痛感するのは、「虐待する」親のことをまったくの対岸にいる人物として見られなくなったことだ。
「わたしとあの人は、絶対に違う」という境界線をハッキリ引けない。
ここにいれば、ここを守っていれば、わたしは絶対に子どもを虐待しない親でいられる。そんな明確な安全ゾーンは、日々子どもに1対1で向き合っているうちはどこにも存在しないような気がする。
ひとごとじゃない というハッシュタグで多くの親がつぶやいている。
みんな、同じ気持ちなんじゃないだろうか。
「もしもあのとき、なにかが違っていたら」
いとも簡単にこの手を小さな子の頬に振り下ろし、泣き叫ぶ我が子に大きな大人がひどい仕打ちをする。
そんな、虐待親の一線を越えてしまう瞬間。怒りで頭がいっぱいの中、ヒリヒリとはじけ飛ぶような動線をギリギリにつないだ経験。世の中のお母さん・お父さんは、それを知っているからなんじゃないだろうか。
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今日のわたしは、まさにそれだった。
夕飯になり、一緒に作った肉団子のスープを前に娘は仏頂面をしている。
好きなチーズを食べ、席をおりて牛乳をとりにいった。「なんか飲むものほしい」と、自分でコップについで飲み干す。
そこまでは、まだよかった。
席に再びついて、スープを一口食べるなり「娘ちゃん、お口痛い」
その一言にイラッとした。
娘の食が進まない理由はわかっている。1時間前に、焼き上がったキャロットケーキを一口食べたからだ。
キャロットケーキを作ったのもわたしで、食べさせたのもわたし。
ある意味、娘の食が進まない原因は、客観的にみたらわたしにある。
でもさ、ほんの一口だよ。それだけで満腹にならないでよ。いま、チーズと牛乳食べたばかりじゃない。それで口が痛いなんて、自分が好きじゃないものを食べたくないだけでしょ。本当にお腹が満腹なんじゃなくて、ただ自分が食べたいものだけ食べたいだけ。ここでスープを飲まずに食事を終わりにしても、あとで「なんか食べたい」っていう流れが目に見えてる。
娘のあからさまな「嘘」に、ばーっと怒りが頭まで上がってくるようだった。もともと食が細い娘。夕食時に、「食べたくない」という姿にイライラすることは1回や2回じゃない。
「ちゃんと食べなさい」
もともと、娘の食の細さを見越して、スープだって小さな肉団子が3つとキャベツが入っているだけだ。それすら食べないなんて、いい加減にしてほしい。
ふてくされて、片手でスプーンを使う危なっかしい娘の姿にイライラが加速する。
トマトスープを仏頂面の娘が床にぶちまけたら、わざとでなくても、「なにしてんの!!!」と大声で怒鳴る光景が脳裏に浮かぶ。
「片手で食べないの!おわんちゃんともって!ちゃんと食べなさい!!」
自分の声がどんどん大きくなる。眉間にしわが寄る。怖い顔をしてにらむ母を、娘はどんな気持ちで見てるんだろう。
グズグズしながら、肉団子を口に運ぶ娘。「キャベツがかみ切れない」と口をカチカチした瞬間、頭の中がカッと真っ白になった。
手元に熱いコーヒーが入ったマグカップがある。
ほら、昔のドラマでよくあったじゃない。喫茶店でカップルが喧嘩別れして、コップに入った水を怒った彼女からぶっかけられるシーンが頭に浮かんだ。
これは、熱いコーヒー。
そんなものを娘にかけたら、やけどする。
いけない。
グズグズになってもう食べられないという娘に、怒りをぶちまけるのではなく、スプーンで食べさせてやることで乗り切った。
母に甘えたい娘は、口元に運ばれたスプーンで残りのスープを食べ、ごちそうさまをした。
イライラが残る状態で片付けをしていたら、娘が「これよんで」と絵本を持ってきた。自分の怒りを鎮火させるために、ソファーに座って2冊読む。怒りゲージが半分になったところで、夫が帰宅。そのままわたしの中の怒りはどこかへと消えていった。
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下書きを眺めていたら、出てきた記事。ずいぶんと書いていたのに、最後まで思い気持ちをまとめられなくて公開していなかった。
虐待を正当化なんてできない。一つでも多く、理不尽に奪われる命は救われなければならない。でも、安全な対岸から虐待をただの鬼畜の親の仕業だと石を投げる、なんてできるのか、と思う自分もいる。
「歯をちゃんと磨いて」「つまみぐいやめて」「おもちゃ、片付けなさい」
眉間にしわをよせて、とがった声を娘にぶつけている「小さい子がいる暮らし」と、ニュースで流れるような悲しい虐待事件は、同じとは言えない別世界だ。でも、突然にぎゅっと二つの境界線がくっつくような瞬間がある、気がする。
0.1秒、その怒りを踏みとどまったから。
握った拳を振り上げることをしなかったから。
イライラした日の記録を読んで、心がヒリヒリしている。できるなら、毎日ずっと娘に優しくしたい。怒りを自制するものは、客観視しかないと思っている。どうしても駄目な日に、一度スマホで会話を録音し続けたことがある。
「録音されている」
というだけで、娘の支離滅裂な話や理由の見えないかんしゃくにもなんとかぐっと理性をとどめておくことができた。
聖人君子みたいにはなれないし。己の親としての駄目さを感じながら、なんとか良い日を積み上げようとしている。
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「熟成下書き」のお題のテーマは年末大掃除ということで、「たまった下書きを放出して気持ちの良い新年を迎えましょう」という感じらしいけれど、この記事を公開したところで、子どもにイライラする自分がきれいさっぱりなくなるわけじゃない。
母性などという根性論に頼らずに、家電と周りの頼れるものでなんとかストレスを減らしていくのだ。
この記事は、「イライラしたときの自分の思考回路がひどすぎる」と思ったので公開しておく。明日からはもっと冷静に、たくさん優しくなれるように。
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