東日本大震災とセウォル号事故 あの日の痛み、映画で癒す(「どこにいても、私は私らしく」#9)
2011年3月11日、あの日、私は富山で地震の被災者遺族の取材に当たっていた。2月にニュージーランドで起きた地震で、語学留学中だった富山外国語専門学校の学生12人が亡くなったためだ。当時日本では最大のニュースで、全国から富山へマスコミが殺到し、遺族を取材した。私は地震発生から数日経って富山へ派遣されたため、すでに被災者の家のインターフォンには「押さないでください」と張り紙があるような状態だった。どうすれば会って話を聞けるだろうかと悩み、郵便ポストに手紙を入れてみたが、翌日には