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得難く失い難い、友達ってやつ

以前、別の記事で高校時代からの友人について書いた。

この記事では、距離が遠い方が仲良くいられるのかもしれない友人、というニュアンスでPちゃんのことを書いたが、つい先日、1年ぶりくらいにPちゃんと遊びに行く機会があった。

私は1割くらい「気まずくなったらどうしよう」という不安を抱えて、それでも9割は「久しぶりに会える!楽しみ!」という気持ちで出かけた。
1年前に会った時は、楽しかったけど、しんどいなと思う出来事が多くて、別れ際も少しギスギスした感じになってしまっていたからだ。

さて、私はPちゃんについての前回の記事で、「私たちの仲が居心地のよいものではなくなってしまった原因は、お互いの人格ではなく、2人の距離感にある」というようなことを書いた。
今でもその考えは変わっていない。
私にとっては、誰かと仲良くあること、誰かを好きでいることは全然難しいことではなく、何故ならそれは、「嫌いになりそうなら、嫌いにならない距離まで離れる」というスタンスでいるからだ。
例えばそれが果てしない距離でも、5年に1回しか連絡を取らなくなってしまっても、それでもその距離感でお互いが相手を大切にできているなら、それは「仲がいい」ということなのではないかと思っているのだ。

だが、今回Pちゃんと久しぶりに遊んだことによって、そこに新たな視点が追加された。
当然と言えば当然のことなので、何故そんなことにも気づかなかったのか?と自分でも思うが、まあ着眼点の1つとして書き記しておく。

それはつまり、「いま、お互いの心に余裕はあるか?」ということだ。

価値観が似ていて、とっても気が合う2人で、ライフステージも似ていて、空けられる時間も同じくらいで、上手く2人の時間を作れる、そして程よい距離感で関われる友人がいたとする。
でも、その2人が昔から全く変わらないままの性格で、2人が心地よいと思える距離感にいたとしても、どちらかあるいはお互いに心の余裕なくなってしまった場合、どうしてもその居心地が悪くなってしまうことがあると思うのだ。

簡単な話だ。
大好きな人と同棲していて、不満なんて何一つなくても、寝不足だったらイライラすることもある。
お腹が空いていたら沸点が低くなって、些細なことでも怒ったりしてしまうことだってある。
相手と心穏やかに関わるためには、お互いの性格がどうとか以前に、距離感がどうとか以前に、自分の心に余裕があることが絶対条件なのだ。

当然と言えば当然なことなのに、私は失念していた。
上手くいかない間柄の人がいると、「私が悪いのかな?」「相手が悪いのかな?」「どっちも悪くない、純粋に私たちの距離感がこうではなかったのかかな?」と考えてしまっていた。
でも、必要だった視点は、「いま、私たちのコンディションはどうか?」という基本的ものだったのかもしれない。

1年前、私がPちゃんと遊びに行ったとき、たぶんお互いのコンディションは最悪だった。
私はPちゃんの当時のコンディションについて、今回遊びに行ったときに初めて聞いたし、Pちゃんと話していて、当時の自分のコンディションが悪かったということにも初めて気が付いた。

おそらく、私のコンディションは幼少期~学生時代までとことん最悪で、その後少しずつ上り調子になっていっている。
だから、その時々で私は「良くなってきている!」と感じているのだけれど、後から考えてみれば、「いやあの時も相当悪かったよな・・・」と感じてしまうという状態なのだと思う。
1年前、というかここ1年、私の身の周りでは色んなことが起こりすぎて、私はいっぱいいっぱいで、でもその1年よりも昔はもっともっと悪かった。

私はそのことに無頓着で、自分が悉く疲れ切ってしまっていることに気付けず、だからPちゃんのコンディションを気遣う余裕も全くなかった。
お互いがかなり憔悴していて、それでも相手を気遣ったり会いたい、遊びに行きたいと思ったりして、それで妙にギスギスした雰囲気が形成されてしまっていたのではないかと、今更気が付いた。
性格とか、距離感とかじゃなくて、あの頃の私たちには、目の前の人に向き合うだけの体力がなかったのかもしれない。

今回Pちゃんと遊びに行った感想は、「100%楽しい」だった。
嫌だな、やめてほしいなと思うことが本当に1つもなかったし、疲れた、帰りたいなと思う瞬間も1度もなかった。
それどころか、帰り際には「まだ話し足りないな」と感じるほどだった。

今回、Pちゃんのコンディションは別に最高だったわけではないのだろうけれど、1年前よりは随分落ち着いたように見えた。そして私も、1年前に比べると随分、気持ちが楽になっていたし、穏やかになっていた。
そのおかげか、2人の間に流れる空気は終始穏やかだったし、心地の良いものだった。
1年前のあの日が嘘のように。

いや、書いていて思ったが、Pちゃんは割といつでも穏やかな方かもしれない。どちらかというと、余裕がなくなってすぐにイライラしてしまうのは、私の方だ。
余裕がなくなると気持ちが落ち込んで殻にこもって自分を責めてしまうPちゃんと、余裕がなくなると些細なことにイライラして「もういやだ帰りたい」ってなってしまう私。
その2人ともの余裕が失われていたのだから、私がPちゃんを(心の内で)責めるという関係になってしまっていたのはある意味で当然なのかもしれない。
申し訳なかった。

今、穏やかな暮らしを手に入れることができて、私を苦しめる人々と距離を置くことができて、大好きな人とだけ自分から関わっていけるようになった。
そして、以前までの私が、どんなに余裕がなくて、どんなに不寛容だったかに気付かされた。
かつて傷付けてしまった人たちには申し訳ないと思うし、その分、これから関わり合う人たちのことは、フラットな視線で、穏やかに、優しい関係を築いていきたいなと思う。

もちろんPちゃんについても、たとえばPちゃんが結婚したり、私が出産したりするタイミングがあったとしても、やっぱり、一生友達でいたいなと思う。
お互い性格が変わっていってしまって、距離が離れていってしまう未来があったとしても、それでも。
沈んだ日が昇るように、引いた波がまた打ち寄せるように、揺らぎの中でつながっていたいなと思う。

(思えばずっと、余裕のない私と友達でいてくれたんだもんな。奇特すぎるよPちゃん)

今回はそんなようなお話でした。
ではでは、今回はこのへんで。


これはPちゃんと一緒に食べたお洒落なカフェのプリン


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