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優れるな、異なれ

今回は前回の続きで

『大人の階段』〜大学編〜

を書いていこうかなと思います。
ただ、本題に入る前に1つ話をしてから入ろうかなと思うのですが…

皆さんあだ名とか『お前〜だな!』とか色々言われたりしたことありませんか?
もちろん人によってコンプレックスをいじられたり、人とは少し違うことをいじられたり…

日本に限らずですが、日本は特に多い気がするんですよね…
僕のあくまでも推測ですが、

島国で多種多様の人種が少ないこと。

日本の1つ5で他が1よりもオール3の方がいいとされる教育。

これが影響してるんじゃないかなと思います。
勝手に世の中の当たり前が作られ、それに対して違う人を見つけ指摘する。
指摘する側って簡単だなって思ったりしてるんですけど。
まぁ要するに

『当たり前ってなんだろう?』

って話なんですよ。
僕は小さい頃から、『これが当たり前だから』って言われるのがなんか性に合わなくて、今に至るんですが…笑

そんなんしてたら大学でよく言われてたのが

『宇宙人』

『変わり者』

今でも言われることはあるんですけど、僕は結構気に入ってます笑笑
(こんなこと言うとまた言われる笑)

もちろんルールとかは守らないといけないですよ?
ただね。

『これが俺たちの当たり前だから』

って強要されても屈しなくていい。
他の人とは違うから僕は…
なんて思ってる人、それって凄いことなんですよ?

別にその当たり前の中で勝負しなくたっていい。
君は君だけの道でプロフェッショナルになってしまえばいい。
だから僕は題名に

『優れるな、異なれ』

と書きました。
なんでこんな風に思えるようになったのか。
前回に書いたポジティブになれたのか。
これは大学の4年間があったから。
心身ともに成長できた大学時代をぜひ最後まで読んで頂きたいです。
なにかしら人生の糧にできると思います。

それでは前回高校卒業まで書いたと思うのですが、実は高校の夏休みにセレクションを受けてました。

本当は高校からプロに行きたかったんですけど、夏のインターハイに行けないことからシフトチェンジをして大学を目指しました。
その中で意識したことは

関東リーグ1部

教職が取れるところ

でした。
その中で目星をつけたのが、順大、日体大、桐蔭横浜大。
ちなみに日体大のセレクションは落ちました。
順大も練習に行き合否は言われてないのですが、自分のやりたいことが出来なさそうだったので練習終わってから他に探しますと伝えました。(蓋を開けてみたらめっちゃいいサッカーしてました笑)

そこで残るは桐蔭横浜大学。
ここはほとんど練習会やインハイなどを見て選手を取ります。
なので、僕が行ったセレクションは100人以上いる中で合格したのは僕と鈴木国友(現湘南ベルマーレ)の二人だけ。
我ながらよく合格したなと思います。笑
(同期のサッカー部一人だけ違う人がいますが笑)

自分の目標はプロになること。

その為には1年生から出場して、活躍するのがマストだと思っていました。
だからこそオフシーズンから体を作ってきました!
(ナイキチャンスの最終まで残ったことも)

その甲斐もあり1年前期リーグから登録していただきました!

その時の背番号は『29』
でも試合で1度も袖を通すことがなく1年間を終えました。
その中で同期は6人ぐらい出場していて、なにやってんだろうなと。
自分の思い描いていた1年にならず葛藤しました。
そして隣の芝生が青く見えました。

『こんなはずじゃ…』
周りの人たちが選抜やらスポットライトを浴びていく。
どんどん引き離されていく感じでした。
そしていつからかサッカーも結果に追われ、純粋に楽しめていない時がありました。
ただその時に僕はよく原点を振り返ります。

小学校、中学、高校のコーチに会いに行き元気をもらったり、ホイッスルを読んだり。
特に印象に残ってるシーンがこちら。

たくさんの方に支えながら、サッカーができていること。
そして他の人の追い求める夢などに勇気や元気をもらいながら、今の僕がいること。
これは僕にとって必要不可欠なことです。
いつの日かしっかりプレーで恩返しできるように頑張らないといけないなと思います。

そして、2年目のシーズンを迎えると再びチャンスが転がってきました。

第3節でいきなりのスタメン出場!

嬉しかったですねー。
個人的にもいい感触を掴めました。
しかし、その日を境にまた出れなくなりました。
結果を求められてたんでしょう。
チャンスを掴むことはできませんでした。
(2年目も同じ29番)

そして天皇杯が始まり、桐蔭は見事県予選を勝ち本戦へ進むことができました。
本戦2回戦では湘南ベルマーレと試合をすることに。
その時も応援をしていたのですが、ベルマーレを3-4まで追い詰めとてもいい試合をしました。

一人一人が戦い、J相手でも引けを取らないサッカーをし応援側も本気になったことを覚えています。
そして家に帰ってすぐにサッカーノートにこう書きました。

『この日の悔しさを忘れるな』

J相手だとしても負けたことが応援側でも悔しかった。

そしてそのピッチに立てない自分に腹が立った。

必ずやプロになってやる。
そう誓い練習に励みました。

そうしてるうちに結局2年目のシーズンも1試合の出場で終わりました。
ただ僕はいつも最初はうまくいかないというのはわかってました。
だからこそ、最後の最後で笑えばいいと。
その時の合言葉が

『4年後に笑う』

でした。
そして3年目。

背番号が20番に変わり開幕戦からメンバーに入ることに!!

ただ出場できず…
そして帰ってから学校に向かい、シュート練習をしました。
そこで股関節を痛め2ヶ月の離脱…

きっと焦ってたんでしょう。
そして休むことを知らなすぎたんでしょう。
調子のいい時の怪我ほどもったいないことはない。

ただこの時にたくさん自分を見つめ直すことができました。

怪我ほどチャンス。

弱い部分の強化トレーニングをして強くなって帰ってやると。

そしてやってきた復帰戦。
途中出場でしたが、流れを変えることができチャンスを掴むことができました!
そして次の試合でスタメンの座を勝ち取ることができました!

そしてその試合で待望の…

初スタメン初ゴールを記録!
ysでも初出場初スタメン初ゴール。
しかも20番でのゴールってなんかあるんでしょうか。笑

そしてそこから調子を上げていき夏には関東チャンピオン!

そして総理大臣杯で全国3位に!

3年ながらようやく結果が出せたかなという感じでした。
ただ個人として大きく名が売れたわけでもなかったので、大学ラストイヤーに懸ける思いは人一倍強かったと思います。
そして4年になる頃。

『キャプテンをしてみないか』

こう監督に言われました。
別にキャプテンになってチームを引っ張ろうと思っていたわけではなかったが、4年生が引退する前から自分たちの代がどのようにしたら強くなれるかをひたすら考えていたので、言われたら受け入れようと思っていました。
そして、掲げた目標。

リーグ優勝。

総理大臣杯日本一。

インカレに出場。

ここに向かって歩み出しました。
ただね今だから言いますけど、正直めっちゃ大変だった笑
でもその1年があるからこそ今の自分があります。
だから任せて頂いて本当に嬉しく思っています!

実際、高校の頃は正直まとめるのって簡単なんですよね。
だってみんなで同じ目標に向かえるから。
ただ大学になると、サッカーを何のためにしているのかが一人一人違う。
だから全員同じ方向に向かせるのが大変…

そこが苦悩の始まりでした。

そこから勝てない日が続きました。
結果を出したいけど、出せない歯がゆさ。

そして僕がキャプテンでいいのか。

キャプテンとしてチームを引っ張れているのか。

結果が出ない以上自信なんてつくはずがありません。
そして次第にスタメンでも出れない日々が続きました。
なんなら出場なしということも。
そして…

『なんで使わないんですか?練習試合も練習でも1番点を取ってるのは僕じゃないですか』

と監督に当たりました。
『点を取りそうな雰囲気が他の人にはあるから』と言われたのはカチンときましたが…笑

チームが勝てない。

自分も出られない。

イライラのボルテージがマックスまで上がっていました。
今振り返ると本当にガキだなと思いますが、その時の自分にそこまでの余裕はありませんでした。
そして翌週から教育実習で3週間チームを離れることに。

教育実習をしている間にチームは初勝利を飾りました。
正直複雑な気持ちでした。
自分がいない方がいいんじゃないか…
もうチームに必要ないんじゃないか…

ただこの3週間は僕にキャプテンとしてのいい休暇を与えてくれました。

チームを俯瞰して見て、何が足りないのか、そして、僕がチームに還元できることは何か。
本当は離れなくても気づきたいのですが、なかなか難しいですよね。
やはり離れてから気づくことが多々ありました。

その中でやっぱり助けてくれたのは仲間でした。

『もっと頼れ』

なにもかも自分でやろうとしすぎてた。
きっと周りにも気づかれてたんだと思います。
だからチームとして強くなかった。

そこから夏を経て後期のリーグ戦。
残り6節で最下位からの創部初の5連勝、インカレにあと一歩までの追い上げを見せました。
(明治に創部初勝利をあげる)

1年生の時から注目をされていた代(J4人、海外2人。過去最多)だけあって、思うような結果が出ず申し訳ない気持ちでいっぱいだが、後輩に最低限関東1部というステージは残せたこと。
そして

チームというのはこういうもの

ということを目に焼き付けられたかなと思います。
ただそれは決して僕だけの力ではありません。
支えてくれたスタッフ。
そして共に闘い、付いてきてくれた仲間がいたからこそです。
本当にありがとうございます。


最後に…

なぜ僕がポジティブでいられるようになったのかをお話しします。

それは大学4年生の6月。
まだチームに初勝利もしていない頃でした。

今の彼女の誕生日だったので、京都に旅行に行きました!

リーグ戦が日曜日だったので、夜行バスで京都に向かい、月曜のオフに1日観光して、火曜の練習前に新幹線で帰ってくるという弾丸の旅行でした。
その時に陰でこう言われていたみたいです。

『なんで勝ててないのにキャプテンが遊んでるの?』

正直かなりやられましたね…
そんな風に思われてるんだって。
でもそれと同時に、1年に1回の彼女の誕生日をお祝いできない意味がわからないと思いました。

ここからは賛否両論あると思いますが、僕はここである心境の変化が訪れます。

悪口など(アンチとかも)は嫉妬や僻みからくるもの。

だからいちいち耳を傾けなくていいし、それは影響力がある証拠。

だということ。
僕が練習をサボって遊んでるんだったらわかりますよ?
でもなんなら他の人よりもハードスケジュール組んで、1年に1回しかない彼女の誕生日をお祝いしてる。
これの何が悪いんだと。

すなわち僕は、

彼女がいない人が僻んでるのかもしれない。

キャプテンになれない、トップチームで試合に出られない人が言ってるのかもしれない。

だから僕より下の人が言ってるだけだから別に気にしないようにしようと思いました。
(普段は上とか下とかの表現は好きではないので使わないのですが、あえてここではその表現をさせてもらってます。)

だって考えてみてください。

僕がキャプテンじゃなかったら言われませんよね?

トップチームで出てなかったら言われませんよね?

だから目立ってる人じゃないと言われないんですよ。
そう思われた、言われたってことは影響力ができたっていうことです。

言う奴には言わせとけばいいだけです。

そして結果を出せばきっと手のひら返してくるはずです。

『お前にプロは無理だろ』

と笑ってた奴が、プロになった途端に

『お前にはできると思ってたよ』

ってすぐ手のひら返してきます。
正直そんな奴と一緒にいる必要はないと思っています。
今の自分を最大限に引き出して、共に歩んでくれる人だけを周りに囲んでいけばいいだけです。

そう。
僕はドリームキラーではなくドリームサポーターを周りにつけています。

光が強く当たれば、影も濃くなります。

だからこそその影を見るのではなく、光を見てください。

自分ではその光が見えてなくても周りの人からは見えてるということです。
要は隣の人からは自分の芝生が青く見えてるってことです。

だから皆さんこれからポジティブに生きていくために思考の転換をしてみてください。

失敗→できないことがわかった。

など少し捉え方を変えるだけでプラス思考に働くはずです。
人生ポジティブの方がチャンスも見逃さずに済むし、転がってきます。

そして何より人生楽しいと思います。

ネガティブな人は是非僕と一緒にいてみてください。
なんだこんなことで悩んでたんだってきっと思うはずです。
僕はポジティブに変えられる自信もありますし、そういう人が周りに集まると思っています。

長々と読んで頂きありがとうございました。
次からは自由に書いていきますので、次回もお楽しみに!

バイバイ!

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