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この世はでっかいヤリサー


僕はヤリサーを心の底から見下している。
ただ、僕は本当に彼らを見下せるほどの人間なのだろうか?

「ヤリサー」とは性行為を目的とした学生が集まるコミュニティのことで、世間的にも下品で忌避すべき存在だとされている。

我々がヤリサーに嫌悪感を示してしまうのは、「テニスサークル」などさも清純そうな看板で内情をぼやかしているからだ。

「セックスサークル セクサス」とかの名を持つ団体がヤリサーだったら誰も文句は言えないはずである。

つまり、下心を持つこと自体には何の罪もない。
ヤリサーの罪はあくまでも「嘘をついている」点に他ならない。




先日、食わず嫌いしていたテラスハウスを初めて見てみた。
社会に適応するためだ。

自身が適当に選んだエピソードでは、イラストレーターを目指す人が絵の勉強に専念するため誰とも付き合うことなくアッサリ卒業するという場面が映し出された。

特になんてことのないシーンだったが、裏実況ではこんなことが囁かれていた。

「あの子は何をしてたんですかね?」

「自分のイラストを人気番組で見せてた…?」

「出ていった人のことを言うのはやめましょう」



なるほど、と思った。

この番組は下心以外の動機が許されないのか。

純粋に生活しているだけでは売名行為だとされてしまうのだ。

だから台本がなくてもみんな恋愛するんだろう。

しかし、あの番組はヤリ以外のモクを許さない割に演出がやたらオシャレだ。 不純な動機を映像美でごまかしている。何かに似ている手法だ。



ヤリサーやないか。

このやり口はもうヤリサーやないか。

看板がテニスかテラスかというだけの違いである。




そして、そんな価値観のコンテンツが「人気番組」になっている。
ということは、この社会も巨大なテラスハウスだと言えるのかもしれない。

自分の趣味だけ没頭して童貞のまま死んだら神様の裏実況で
「アイツは何しに生まれてきたんだ?」
「死んだやつのことを言うのはやめましょうよ」
と言われるに違いない。



テラハの家訓がはびこる社会に生きている時点で、僕もでっかいヤリサーの一員であるといえる。

自分とは完全に切り離してヤリサーの大学生を見下していたが、実際は僕が社会不適合者だっただけなのかもしれない。




今までごめんな。ヤリサー。

むしろ見下されるべきは僕である。

もっとヤリサーを敬って社会に沿え。

こんなネットの片隅で文句を垂れる僕のことなど、彼は頭が悪いからと無視してくれて構わない。

ヤリサーの人々はただ生まれてきた社会に則って生きているだけで、なーんにも悪いことはしていない。

ヤリモクを隠すことになんとなくの気持ち悪さを感じていたが、別にヤリサーがヤリモクを隠すことで僕が傷つくことはない。

ヤリサーはそのまま、何も気にせずキャンパスライフを謳歌していただければ幸いです。









あ、ヤリサーはキャンパスなんて来ねーか。






























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