マンモスを見る方法
子どもの頃、「遠くの星にバカでかい鏡を置いて地球から望遠鏡で見たら、昔の人間の様子が見られる!」と思いついた。
光が進むスピードによってラグが生まれるので、何光年も離れた星に置いた鏡が映す地球はその光年分前の姿だろうという仮説である。
当時の僕はこれを本気でノーベル賞取れるアイデアだと思っていた。
鏡に映すだけなら昔の人間どころかマンモスや恐竜だって見られるかもしれない。
少年時代の僕は世界を驚かす発見に心を踊らせつつもこれをどう発表したらいいのか分からず、とりあえず天才ビットくんの「最近の発見」的なコーナーにハガキを投稿してみた。
僕が小学生だった頃は、子供のアイデアの是非を問うものは天才ビットくんしかなかったのである。
しかし、この名案がいとうせいこうやマスーニョに読まれることはなかった。
今思えば、その鏡を置くのに何年かかるんだというのもあるし、地球が鏡に映ったところで豆サイズだろうし、このアイデアはあまりにも穴が多いものである。
所詮はなんにも知らない小学生の戯言にすぎない。
そして、何よりもこの案は、誰でも思いつくものである。
「オレが見てる星の光は何年も前に発せられたものなんだぜ」ということだけ知っていれば、他に何の知識がなくてもここにはたどり着ける。
証拠として、「光年 鏡」で検索すれば同じようなことを言っている2chのスレが出てくる。
自分のアイデアなんて、とっくに他の誰かが思いついているものであることがほとんどだ。
「元々特別なオンリーワン♪」とか言われても、まあ物理的にはそうだけれども、社会的には自分の代わりなんて何人でもいると思う。
宮迫博之ですらいなくなっても芸能界は回るのである。
そして、宮迫のいない芸能界を代わりがいくらでもいる社会と重ね合わせるツイートも山ほどあるのだ。
こんなことに気づいてしまったからには、昔のように純粋な自分に戻ることはできない。
もう別にマンモスとか見てみたくもないし。
どんなに些細な発見にも目を輝かせていたあの頃の自分が羨ましい。
ただ、この事実は救いでもあると思う。
「自分はオンリーワンではない」ということは、「自分の言うことに共感してくれる人が必ずどこかにはいる」ということでもある。
逆に、「この地球上でそんなことを思っているのはあなただけです」なんてことがあったら心配になる。
自分が疑問に思ったことは代わりに誰かが検証してくれている。
自分がした失敗はとっくに誰かもしている。
自分が思いついた犯行はとっくに誰かがやっていて、僕の代わりに捕まってくれている。
自分が思いついたおもしろハロウィンはとっくに誰かがやっていて、僕の代わりにスベってくれている。
そして、もしかしたら僕が知らない内に「誰か」になって、人類初の偉業を成し遂げていることもあるかもしれない。
でも多分、その偉業は僕がいなくても誰かが達成してくれることだろう。
こう考えると地球の皆さんには感謝せざるを得ない。
僕の代わりに色々試してくれてありがとうございます。
これからも2番を煎じ続けていきましょう。
それは村西とおるの仮装ですか?ナイスですね。
自分が思いついたことはとっくに誰かも思いついている、とするならば、これからも何人もの人が異星に鏡を置くことを思いつくことになる。
その中の何人かが、実際にこの案を試してくれるという可能性もある。
そして、同じアイデアを思いつく人が無限に現れる以上、いつかはそれが実現できるかもしれない。
もし鏡の案が実現したら、
もし望遠鏡を覗くだけで過去の地球が見られたら、
もし遠い星の鏡に、嬉々とした表情でハガキにペンを走らせる、なんにも知らないあの頃の自分が映っていたとしたら…
やっぱり恥ずかしいので見てみたくはないな。
サポートは生命維持に使わせていただきます…