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<「大学病院は先端医療ではない」「治療拠点でも殺されかけた仲間がいる」>という話題。

「古い話だからもう忘れよう」とはできない話題が、医療と当事者性に関する課題だ。みんなは信じられないと言うかもしれないけれど、たかだか医薬品されど医薬品で、飲み方を間違えると治療継続が不能になる、という事だって起こりうるという教訓を伝えておきたいのだ。

2003年に日本のHIV陽性者ネットワークであるジャンププラスという団体が立ち上がろうとしているのを知った時、電話番でも何でもさせてくださいと手伝いを名乗り出た。なぜかといったら、大切な仲間を医療が見殺しにする現実を病院の垣根があることで、医者という砦があることで見て見ぬふりをしなければならない現実に、必要を伝える言語能力があるなら当事者が一石を投じる必要が絶対にある、という事を心底思い知っていたからだ。

 ところで、少し話題からそれてHIVの治療元年といわれた1995年の話をしなければならない。多剤併用療法=HAARTが劇的な効果を上げ、大勢の仲間たちが死の淵から不死鳥のようによみがえってきた。とりもなおさず、エイズ国際会議横浜会議の翌年、パリ・エイズサミットの翌年でもある。同時に薬害エイズの和解や国家賠償としての治療拠点病院「エイズ治療研究開発センター(ACC)」が国立国際医療センター(当時)の中にサンフランシスコのエイズ病棟をそのまんま移調させるような(明治維新の医療輸入のように)日本に存在しなかった「コーディネータナース」や、一部のがん病棟でしか使われていなかった「インフォームドコンセント」「セカンドオピニオン」なんて外来語がたくさんでてくる外来と病床が出来上がった。
 そしてその臨床科は陸軍病院を前進にもつこの厚生省直轄病院(当然東大卒の牙城)のど真ん中のAIDS治療のセンター長に徳島大学卒の岡慎一が就任することになり、目黒の医科研から佐賀大出身の立川夏夫をはじめとする患者第一の医師が移籍してきた。これは、もう、NHK交響楽団に小澤征爾が就任したときとおなじく「あるまじき出来事」だったわけだ。当然風当たりは強く40を超える専門外来診療科を抱えているはずの病院の実態は呼吸器は「あんたらカリニ肺炎診られるんだから」という具合にこぞってACCの中ですべて診療するようになっていた。感染症研究所を同じ敷地に抱えておきながら「新興外来生物の襲来」よろしく新しい感染症が発生し、その治療拠点となる度に蜂の巣をつついたように押し付け合いが始まるのがこの病院のならわしでもあった。それ故に、らい予防法をもじっただけのエイズ予防法ができようとするのは予想がついたというぐらい薬害エイズ原告団の人たちは患者会から医療者たちのエゴを抑え込んででも国会請願に走った。最終的に性病へのスティグマが強い事から治療アクセスができない人たちが出来ては感染爆発が起きてサンフランシスコの二の舞になる。だからこそ国家の名のもとに人権の保護をするために治療環境を確保する必要がある。このロジックの中からHIV感染を身体障害者(免疫機能障害)認定へという形で治療環境を整備してくれた。薬害エイズの若いは菅直人厚生大臣、そして障がい者認定は小泉純一郎大臣の英断といえる。だからといってパーキンソン病の人たちを障がい者認定から外す必要があったかといえばちょっと首をかしげる。HIVと同様に差別と忌避感でいっぱいだったのに、である。全生園の予算をなくすことに躍起だった自民党政権は薬害エイズ原告団に折れたというポーズをとって本命であるパーキンソン病の指定廃止に活用した。ひどい話である。
さて、そんなことが95年から2006年の「コミュニティアクション(LivingTogether計画)」までの間に立て続けに起きていった。
そのころのGAYたちはといえば「キャー!ゾンビだわあ!」と悪態こそ出たものの、「死ねばよかったのに」と恨まれている悪党どもは別としても、「生き残ってくれてありがとう」とも言うべき貴重な人材が大勢社会へ戻ってきてくれた。そういうことになっている。
この後のGAYたちの行動はGAYのエロ雑誌のすべてに5ページからのHIV予防啓発の記事(陽性者の手記や予防の話題、デビューしたての人たちからのメッセージなど)が埋め、週末にはゲイバーへコンドームや予防啓発グッズが配布されトイレなど人目につかないところで受け取れるようになっていたり、という様々な仕掛けを作っていった。そのことで10ポイント陽性告知件数の増加予想値を下回るという結果を生んだものである。
 日本では性行動そのものが忌避の対象とされる人たちの動きや性教育バッシングがあったこともあり、セックスについてや性感染症を語るという空気が21世紀になってもなかなかできなかった。この忌避感は上からの通俗道徳の圧力や性の多様性を認めない押しつけがを「性自認至上主義」「LGBT活動家」という湾曲した物言いで人権論をすべて「左翼」「共産主義」であるかのようなラベルを張りつけて差別化、女性の保護・擁護を盾に抑圧と分断に湧いて出てくる冷やかしのような言動。社会の良心が目覚めることを待つしかない現状はあるものの、必ず明日はやってくることを信じる次第。この件は今回の主題ではないのでここまで。
 HIV/AIDSをめぐってはアメリカのGAYコミュニティでは何万人もの仲間がAIDS死をしたことで「空白の世代」と呼ばれるぽっかりと人口ピラミッドの空白地帯というべき年代がある。性行動が旺盛な青壮年期にHIVに感染、AIDSを発症し、ろくな治療薬と診療体制ができないところで死を受け入れるしかなかった人たち。死病の世代がこの「空白の世代」だ。日本は性行動への忌避感が強くGAYたちもまたコミュニティと呼べるような市民活動をするよりも暗がりで「ホモだとバラされたいのか」と脅し合い足を引っ張り合う中でクローゼットの中で刹那の性行動の快楽にふけっていたのだからHIV感染そのものが広がるよりスティグマが広がるほうがはやかったぐらいだったので、1995年のHAART開始で性感染由来のHIV陽性者が死ぬケースよりも、ヘモフィリアの人たちが切り開いてくれたあたらしい薬事審議の仕組み(スピード認可・拡大治験制度による新薬臨床の加速)や拠点病院制度、サンフランシスコのAIDS拠点病院の診療体制を直輸入した国立国際医療センターエイズ治療研究開発センター(ACC)の設立などHIVとHIV診療をめぐる激動があった。これらも1994年のパリエイズサミットにおけるGIPAからこの方のUNAIDSによるコペルニクス的な政策転換やハームリダクションの採択といった激動の中でHAARTが基礎医療から臨床へ入ってきたことで一気に病院の空気は明るくなっていた。治療環境はどんどんよくなっていくが、世の中は「死病」「合掌」(五島真理為)「15分に1人ずつ、家族さえ見舞う人もなく孤独の中死んでいく」「龍平はじめ血友病者は被害者、性感染者は自業自得」(川田悦子)という言説で世間様の偏見が刷り込まれていくという状況が続いていた。その限り、たとえ家族であろうとも、「当事者以外の人間が当事者を騙って偏見を拡げる」というどこにでもある光景が繰り広げられていったのだ。

今じゃ糖尿病で死んだり手足を切断する人は出ても、AIDS発症で死ぬ人は激減した。たった1日1錠か2錠の薬を飲むだけになり、副作用もほとんどない。あの悪夢のような精神作用や手足のしびれ、結石での点滴、サイアク乳酸アシドーシスなど上げればキリがない副作用事例がつきものだったはずが、今はそれがほとんどない。「医療の開発はおわった」とさえ言われる安定的な感染症になってきた。むしろ「ナマヤバ交尾」のようなサイトで「未治療なヤツと交尾する方がアガル」と不幸を引き受けたがる人達が後を絶たないのは、障害者年金目当てだろう。だが、発症しても薬を飲めば治まるのだから、もらえない、という事が判った時にどうするというのだろうか。悪意の感染暴露に走るか、残念なことだが次の人間のクズを目指して覚せい剤や大麻に走るというお決まりのパターンになりつつある。一方で、覚せい剤は外見的にも乾癬などが出やすい。坂口安吾はヒロポンの副作用で皮膚炎となりボリボリ掻いてはフケや皮膚がボロボロ落ちるとエッセーを残している。身長185センチ超のボロボロおじさんが、書き散らした原稿用紙で埋まるごみ屋敷に住んでいたのである。さぞや迫力あっただろう。
ナマヤバ交尾のサイトはヤクチュウ排除の掲示板だから、おそらくはアングラ化するしかないだろうし、アングラはインターネット以外だろうから

<HIV治療のパラダイムシフト「カレトラ」の登場とA君>

 閑話休題
 国立国際医療研究センター病院AIDS治療研究開発センター(俗称ACC)の青木医師は「治療元年はプロテアーゼ阻害薬の登場=サキナビルの2005年よりも、むしろ、カレトラ登場の1999年ではないか」と明言する。
「カレトラ(ロピナビル)」はそれまでの効果維持が弱い(半減期が短い)クスリと一線を画していて1日2回、1錠ずつという強みがあった。さらに、薬剤耐性に強い(それまでの逆転写酵素阻害薬やHAARTのドロップアウト組の薬剤耐性に対しても!)、という決定的な強みがあった。
 ゲノム解析がHIV治療と並行してどんどん進んだことで、薬剤耐性が何番目の遺伝子に起きると治療効果がなくなるのか、どこに作用させることでウイルスの増殖を抑制させるあるいはウイルス自体を無力化に繋げられるか、という研究へその限りシフトしていったことで「カレトラ」登場の頃には、21か所の薬剤耐性変異に対応できる、という具合に「ウイルスの薬剤耐性変異に強い」と同時に「副作用が少ない」「1日あたりの飲む錠剤・カプセルの数が少ない」の3つをクリアしないと臨床に降りないところまで服薬アドヒアランス(服薬治療の意義と効果を自覚的に求める持続的な動機付けと服薬の習慣化)が格段に向上した。

<絶望の隣にいたA君>


 僕の知り合いのA君は国家公務員として市民のために命をはる仕事をしていた。元来ドMなので命がけの仕事ほどアガルからこそ命がけの仕事もやってこられたわけだ。しかしある日突然の高熱でAIDS発症を知ることになり、当然のことながら生き死にの境であったことから仕事も失い、放り出されたような状態になっていた。死病だという事と性病だということのセンセーションを職場に起こさないため迅速に行われ、家族もそのように対応した。
担ぎ込まれた病院がN大学病院。拠点病院であるのに、診療レベルの格差は当時第一線だった国立病院や都立病院と比較にならないほどひどいもので、AIDS発症から生き残ったまでは良かったが、あっという間にすべての治療薬の薬剤耐性がついてしまっていた。再びいつ発症するんだろう?今飲んでいる薬がいつ効かなくなるんだろう?という恐怖との闘いの日々。明るく前を向こうと努力しているHIV陽性患者の会の中でひときわ暗かった。話を聞いてみな耳を疑う状況になった。
 カレトラの報告会がACC患者会であった翌週に、当事者のお茶会があった。何が縁だったのか忘れたが、その報告者として僕はお話をしていた。拠点病院の医療者より早い情報であるぐらいの情報だったのだ。すべての薬剤耐性が出来てサルベージ療法で延命しかできないとされたA君は半信半疑でこの情報を聞いていた。そこでの分かち合いをしていて、A君は医者たちに殺されかけていた事をみんなが知る事になった。
 1日〇錠、□回という服薬指導マニュアルがあったとすると、大概みな「食後□回」のように言い換えてしまう。日本の医療の定番だが、食事が不規則な人が大半になっている現代社会でこんなナンセンスな服薬指導をしていたのがN大病院だったのだ。医者や薬剤師はいったいどんな研修研鑽をしていたというのだろう?そして耐性出現をまるで本人やウイルスのせいにした言い方で自己憐憫に浸っていたのを、僕と僕の周りにいた仲間たちは見逃さなかった。「どんな飲み方指導されたの?」「毎食後って言われたから」「じゃ無理だ。そんなんじゃ耐性できちゃうよ」とみんなから普段どのような服薬指導とアドヒアランスをしているのか経験交流になった。目が点なA君。診療格差の現実はブランド医科大だから大丈夫というわけではないことを目の当たりにした。よく月Aくんは黙って病院変更した。A君生きてくれてありがとう。

<そんじょそこらの薬剤師の手にかかったらお薬手帳で支配された挙句にテキトーな服薬指導で殺されるかもしれない>


 薬には薬効が維持される適切な時間があるし、抗ウイルス薬だけでなく向精神薬なども「飲んだ薬の血中濃度」が一定であることで薬効が維持されるタイプのクスリが多い。とりあえず飲んでおけばオッケーというレベルの安定度を示せるようになった服薬治療と指導は幸いだ。だが、そうはいかない薬に対しても「食後に飲んでくださいね」というテキトーで無責任な指導がここまで忙しく貧困な社会になってもいまだに繰り返されている。
だれが一日3食、同じ時間に食事できているんだろうか?
クスリによっちゃお腹になにか食べ物が入っていないと胃液でダメになる薬や逆に薬が強すぎて胃に負担がかかる薬もあるというのに。
その意味で、水分の取り方や食事の有無など多様なライフスタイルにも合わせられるように薬の開発も実は「服薬アドヒアランス」「インフォームドコンセント」といった患者の人権を踏まえた概念が浸透してきたこと、薬剤開発技術が進化したことによって細やかな形になってはきたものの、昭和から店を開いているような街の調剤薬局にそれができている?
東京の大病院の傍ならまだしも、三多摩はおおよそヤバい。住むものではないとはいわないが、田舎住まいは糖尿病ぐらいポピュラーな疾患までにしておくことをお勧めしなければならないかもしれない。
医薬分業やお薬手帳であたかも薬剤師が立派のような風潮があるが、とんでもないことだ。ただ主治医に電話して受け売りしているだけの薬剤師ばかりだからカウンター対応が上から目線になる。押しつけがましい連中が増えただけな現状、人権感覚すら欠如した薬剤師がなんと多い事か。
最後の砦のソーシャルワーカー達もお医者様様な態度に呑まれたら、支配者層が増えるだけで患者側には何のメリットもない。お寒い状況にならないためにも、治療が整っていないころの地獄絵図は書き残す必要があるのだ。


A君は日本HIV陽性者ネットワークジャンププラス黎明期のメンバーの一人として自分の経験を病院や医者を名指しで批判することなく、服薬アドヒアランスの重要性を話す名人になっていたのは言うまでもない。
いまでは大勢の新しい人たちが学会発表や予防啓発の表舞台で活躍しているが、ちょっと陽性告知の話なんかを人前ですることやセックスアクティブであることで炎上する時代をくぐってきた自分たちは草葉の陰でU=Uにまで漕ぎついた現状を妖怪の一人として喜んでいる。


<蛇足:HIVでもコロナでも、ウイルスの感染経路や増殖の仕組みが科学的にわかっているのになぜブドウ糖で治ると思えるのか?>

ARV(抗ウイルス薬)治療にせよ、何にせよ、メンタルヘルスが確保されていなければ動機付けもアイマイ、なんでも人のせいになったり、コワいコワいばかりで正しい知識すらアタマに入らなくなる。感染させた人を詮索したり、人間同士が素晴らしい交流をするセックスさえ忌み嫌うべきものに舞い戻るしかなくなるだろう。
死なない病気なら病は気からとか人間の免疫力で最終的に治療を目指す疾患は沢山あるでしょうけれども、そうならない病気にまでブドウ糖でごまかして「病は気から」「牛の初乳を飲めばウイルスが消える」「これは自己免疫能力の実験だ」などとアプローチするような医療は霊感商法と変わらない。

そのために、セカンドオピニオンを置けること、院内に患者組織があること、適切な距離感でサポートできるNPO機関などさまざまなチェックポイントがある。さらに治療を妨げるさまざまなファクト(アディクションを含む)に対してはやはり正しく専門療法ができる機関にかかることだ。とりわけアディクションを真っ当に治療できる機関はおもに国立病院に集中している。病院に関する情報はASKやダルク、ぷれいす東京などの機関で助言を受けられることはとても重要になる。


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