見出し画像

vol.15 デザインの力を信じオリジナルなコンセプトをつくるまで【うぶや】

経営者とブランディングデザイナー西澤明洋が対談し、ブランドの成長ストーリーを振り返りお届けするシリーズ「BRAND STORY」。

執筆・編集 加藤孝司
撮影 トヤマタクロウ

澄み渡る青空のもと名峰富士を河口湖越しに見渡すことができる絶好のロケーションにたつのが高級温泉旅館「うぶや」である。現代の産業として観光は注目を集めるが、ここ河口湖にもインバウンドを中心に多くの観光客が押し寄せたいへんな賑わいをみせている。うぶやがブランディングを発表したのが2019年夏。業界の枠を超え話題になった「人生を祝う」ことをコンセプトに掲げたブランディングについて聞いた。

地域一番の高級旅館がブランディング

ーーまずは御社の歴史から教えてください。

外川:創業は1948年になります。キャンプ場から始めて修学旅行向けの旅館になりました。その後、団体と個人の高級旅館にシフトし、その後完全に個人向けの高級路線になり現在に至ります。祖父が創業し現在私で3代目になります。

ーーもともと家業を継ぐことはお考えだったのでしょうか?
外川:長男ですし、当然将来は家業を継ぐものだとは思っていました。大学を出てホテル学校に通い、そこで知り合った同級生の実家のホテルに修行に入りました。

西澤:家業を継ぐ前に修行されたんですね。

外川:西澤さんは私は自由奔放に生きているとお思いでしょうけど、一応修行をしたんですよ(笑)。伊豆の方の高級旅館でした。学生時代に伺ったことがあって本当に素晴らしい旅館でした。世話になりたいとご相談したところご快諾いただきそこで2年お世話になりました。その後家業に入り、今年でもう15年経ちました。

株式会社うぶや 代表取締役 外川一哉氏
1975年生まれ。山梨県富士河口湖町出身。大学卒業後、ホテル専門学校、いなとり荘グループを経て株式会社うぶやに入社。2019年より代表取締役社長に就任(3代目)。2019年にエイトブランディグデザインとのリブランディングプロジェクトで、ブランドコンセプト「人生を祝う」を開発。どんなに失敗しても続けていられるのは、旅館とゴルフだけ。

ーー家業としてのお話に戻りますが、生まれた家が高級温泉旅館というのは私にはなかなか想像が出来ない人生なのですが、小さな頃はどんなふうに思っていましたか?

外川:昔は大浴場のそばに実家があり、今では考えられませんがロビーで野球をしたり、宴会場でサッカーやラジコンをしたり、温泉をプールがわりに泳いだり、とにかくヤンチャでした。今とは違いのどかな時代というのもあったのかもしれません。

ーーブランディングの前のお話にはなりますが、うぶやの強みはどのようなところにあるとお考えでしたか?

外川:やはりまずは富士山を目の前にした景観です。本当にいい場所で商売をさせていただいていると感謝しています。富士山、そして河口湖を目の前にした景観というのがわれわれを支えてくれている根幹です。現在の会長ではありますが、私の父親と母親には地域で一番優れた温泉旅館というしっかりとした土台を作ってもらいましたから、その歴史は大きな強みになっています。「地域一の旅館である」とは地域の方やタクシーの運転手さんの言葉で、それも私たちの誇りです。

先代から引き継いだチャレンジ精神

ーー唯一無二の景観とともに先代が築いてきた信頼があるということですね。「うぶや」の名称の由来を教えてください。

外川:この旅館がある河口湖の北岸の地名である産屋ヶ崎に由来しています。

ーーそうでしたか。

外川:それでもともとが「産屋ヶ崎ホテル」という名称でした。でも読みにくい漢字だから「さんやがさき」と言われたりもしていました。当時は建物の前にバスが横付けして修学旅行の学生さんで賑わっていました。

地元では「うぶさん」と親しまれて呼ばれていましたもので、とある先生に依頼をして1986年に「湖山亭うぶや」に社名を変更いたしました。その際に高級路線になりました。

ーー修学旅行から高級路線へは大きな転換でしたね。業界ではよくあることなのでしょうか。

外川:珍しいと思います。高度経済成長期で子供もたくさんいて、このあたりは修学旅行のメッカの一つでした。当時は高級な宿をやってもいいという事例自体がありませんでしたから。

西澤:そういう空気感でしたか。大丈夫かと。

外川:はい。先代は私の父ですが、まわりからは本当にお客様が来るのかとさんざん言われたそうです。そう考えると私もそうですが父もチャレンジャーだったんですね。ちょうどバブルを迎える前夜のような時代でした。現在少子高齢化社会を迎えていますが、もしかしたら少し先の時代を見越していたのかもしれません。父がそんなでしたから、私がブランディングをするという話をしてもまったく抵抗がなかったのはありがたかったです。

西澤:そうでしたか。

外川:足りないものをおぎなってくれるパートナーをつくる。その姿勢は前の代から変わらないということです。

ーーこの連載を担当させていただきながら、企業の皆さんがブランディングに取り組む思いはさまざまだと感じています。うぶやさんの場合は先代からのフロンティアスピリットがあり、抵抗なくブランディングに取り組まれたのかなと感じました。

西澤:うぶやさんの場合は少し特殊なケースではあると思います。お声がけいただいた当時は経営に関しては何も困ってはおられなかった。コロナ前でインバウンドでお客様が溢れている時に門を叩いていただきました。

外川:その点で言いますと、売上の心配をする必要がないから思う存分打ち込めるというのが私の考えです。

「ブランディング」は売れていく手法?

外川:明日のお客様の心配をする必要がないから違うことに考えを向けられるというのは一つあると思います。これは経営者の「あるある」だと思うのですが、なぜお客様が来ているのか?ということをしっかり言語化できる経営者は割と少ないと思っています。好調ならなおさら、こういう理由でお客様が来てくれているということを言える経営者って意外といない。

だから私はそう尋ねられた時にしっかりと理由を答えられる状態を作りたいと思っていました。

ーーすごいです。

外川:サービスは無形と言われることもありますが、私は無形ではまずいと思っていました。しっかりとした形を作りたいと思っていてそれでエイトさんにご相談をしたという経緯がありました。それと河口湖が景気が良かったから大手の参入の話が聞こえてきたことも一つにはありました。

ーーそんなこともあったんですね。

外川:はい。そのためにも自分たちの色をしっかりつけておきたいと思いました。ブランディングについてリサーチをしていくなかで、西澤さんの本にも出合いました。いろいろ調べていくなかで、自分たちの形や色を明確にするのにブランディングは便利な道具になると確信しました。

____________________
この続きは、エイトブランディングデザインWEBサイトで全文無料公開中。『うぶや [ 前編 ] デザインの力を信じオリジナルなコンセプトをつくるまで』

執筆・編集

加藤孝司  Takashi Kato
デザインジャーナリスト/ フォトグラファー
1965年東京生まれ。デザイン、ライフスタイル、アートなどを横断的に探求、執筆。2005年よりはじめたweblog『FORM_story of design』では、デザイン、建築、映画や哲学など、独自の視点から幅広く論考。休日は愛猫ジャスパー(ブリティッシュショートヘアの男の子)とともにすごすことを楽しみにしている。http://form-design.jugem.jp/

撮影

トヤマタクロウ
1988年生まれ。写真集や個展での作品発表を中心に、クライアントワークにおいても幅広く活動。http://takurohtoyama.tumblr.com/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?