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不利な裁判に天の助けが舞い降りた話~スピこと#1

これは、私の母が再婚相手に対してDV裁判を起こした時のお話です。

と言っても裁判についての記事ではなくて(笑)
内容としては「裁判に際して、私の身の上に起きたミラクルな出来事」という感じで読んで頂ければ幸いです!



このシリーズでは、私や私の周囲の人々の体験を通して、様々なことわざ・格言などの中に見られる人生模様を、スピリチュアルな解釈を絡めてお伝えしていきたいと思います。

今日はその第一回目。
お題は「人事を尽くして天命を待つ」です。


「人事を尽くして天命を待つ」

人間が出来ることはすべてやった上で、あとは運命にまかせること。


えーと、これはとても有名なことわざなので、どこかで見聞きした人も多いんじゃないかと思います。
ーーとはいえ、意識してこの通りにすることって案外難しいんですよね。

本題(裁判の話)に入る前に、ここで簡単なたとえ話をご紹介したいと思います。

執着を手放し、天にお任せすることの難しさ


私の職業は占い師ですが、対面鑑定の場で、こんなご相談を受けることがよくあります。

「恋人と大ゲンカして、フラれてしまった。でも絶対に別れたくないし、何とかして復縁したい。どうしたら彼の気持ちを取り戻せますか?」


この問いに対するベストな答えは、「何もしない」です。
これまで泣いたり謝ったり、LINE攻勢をしかけたり、あの手この手で復縁のために行動して来たのなら、あとはもう、ただ「待つ」より他に方法はありません。

でも……それがなかなか難しいんですよね。

欲しい時には手に入らず、あきらめた途端に手に入る


多くの場合、待っている間に縁が切れてしまうのでは?と不安になり、焦って堂々巡りをして、かえって事態をこじらせてしまいます。

そしてそんな状態のまま、数日、数週間、数か月……と時間が経つに従って、だんだんあきらめの気持ちが芽生えてくる、という経過をたどります。


けれども面白いことに、「もう忘れよう。きっと縁がなかったんだ」と心の底から思えるようになった頃に、なぜだか急に相手の方から連絡が来たりするんですよね。

「欲しい時には手に入らず、あきらめた途端に手に入る」
本当に不思議だけど、これって決して珍しいことではないんです。

状況をコントロールしたいという気持ち(執着)を手放すこと」

「全力でベストを尽くしたあとは、ポンと力を抜くこと」


つまり、それが「人事を尽くして天命を待つ」ってことなんじゃないかなと、私は思います。


母のDV裁判のために依頼された陳述書


さて、お待たせしました。それでは本題です。

再婚相手のDVにより心神喪失状態に陥っていた私の母は、知人のサポートでどうにかシェルターに身を寄せることが出来ました。

そして、そこから私宛に「DV裁判と離婚調停を起こすので、陳述書を書いて欲しい」という知らせが届いたのです。


ですが、私には少々心配していたことがありました。

心身が衰弱していた母は、精神科の病院に通っていたことがありました。
相手方(再婚相手のことを今後はそう呼びます)はそのことを逆手に取って、
「精神病から出た妄想で暴力を受けたと思い込んでいる」と、周囲に言いふらしていたのです。


裁判というのは「両者にどれだけ確証があるか」を比べるものなので、実際に精神科に通院歴のある母の立場は、弱いように感じました。

また、この頃には身体に加える暴力ではなく、暴言や脅しなどの『精神的な暴力』に変わっていましたから、
母の身体を調べても、どこにも暴力の証拠などはなかったのです。


それでもどうにか記憶とメモを頼りに陳述書を書き上げた私は、
「もうこれ以上出来ることは何もない」と、天に祈るような気持ちでそれをポストに投函しました。

ところが、公文書であるにもかかわらず、うっかり捺印するのを忘れてしまい、その陳述書は私の手元に送り返されてしまったのです。

再投函のために出かけた先で、まさかの人物とバッタリ!


慌てて、捺印した陳述書を持って再びポストへ向かうと、そこで「ある人」にバッタリ出くわしました。

「あれ、夕貴さん?久しぶりですね。お母さん、どうですか?調子」
それは母が精神科の病院でお世話になっていた、心理士の先生でした。
確か遠方へ転勤してしまっていたはずですが、何か用事があってこちらに戻って来ていたようです。


「あ、実はあまり調子が良くなくて……旦那さんが精神病かと疑ってるんですよ」
この時、私はサラリと当たり障りのない近況報告をしたつもりで、そんなことを言いました。

すると、先生はこんな言葉を口にしたのです。
「あれは環境から来る抑うつ状態で、精神病なんかじゃないよ」

それは裁判の決定打となる重要な証拠だった


会釈で先生と別れた後、私は激しくなる動悸を抑えきれませんでした。
これが天の計らいでなくて、一体何だというのでしょうか?

済んでの所で、私はまだ陳述書を投函せず手元に持っていました。
そこですぐさま家に帰り、書類にこう書き加えたのです。
「〇〇(公的機関)の職員から、“環境要因によって引き起こされた抑うつ状態であり、疾患によるものではない”との証言を得ている」

そして見事、母はこの裁判で、接近禁止命令を勝ち取ることが出来たのです。


その時そこで、その先生に出くわしたというジャストタイミング。
本来ならいないはずの人が、たまたま用事があってそこに現れたのです。

そして、先生は裁判の決め手となる重要な情報を私に与えてくれました。それも「お互いに全く意図しない偶然に」です。

神様は、時に粋な計らいを見せるものですねえ……。

このお話のまとめ


相手方は当時、私のことを「妻をそそのかして自分を窮地に陥れた極悪人」だと、激しく周囲に吹聴して回っていました。

もしも私がそれに対抗して、必死に状況を取り繕おうとしたり、応戦したりしていたら、逆に「同じ穴の狢(むじな)」になってしまっていたかもしれません。
(あ、ここでもことわざが出てきましたね・笑)


やるべきことだけに集中して、持てる限りの力を尽くしたら、あとは天に任せて祈るのみ。

そして天は、その祈りにちゃんと応えてくれました。


母と相手方の詳しい人間模様については、またいつかの機会に譲るとして……
とまあ、そんな「人事を尽くして天命を待つ」ということわざについての、私の体験談をご紹介させて頂きました。

長くなりましたが、ここまでお読み頂きありがとうございました^^


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