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肉団子の霊と同居した日々の話

「あの、センカワさん──来月末で、退職させて頂きたいです」

 仕事終わりに誘われた酒の席で、部下に頭を下げられた。

「次は決まってるのかい?」
「はい、入社時期について先方と交渉中でして……」
「わかった、社長には俺から話を通しておくよ」

 俺がそう言い終わると同時に、狙いすましたかのごとく料理が運ばれてきた。こぢんまりとしたテーブルが、瞬く間に賑やかになる。早速とばかりに箸をつけるこちらをよそに、目の前の部下は呆気にとられたように固まっていた。

「……どうかした?」
「いえ、あの……他のチームだとめちゃくちゃ引き留められるって聞いていたもので……」
「他はそうらしいね。ウチのチームは──というか、俺がそうじゃないってだけだよ」

 ビールジョッキを呷りつつ、俺は苦笑する。つい先日にあった社内チームリーダー級の会議、そのお題目はまさに「離職防止策」だったと記憶している。「特にセンカワ、おまえンところは退職者が多いんだから」と社長から名指しまでされたのだった。

 とはいえ「上司」に出来ることなんてたかが知れている。「退職するかどうか迷っている」と事前に持ちかけられたならば、まだやりようはある。しかし、退職の意思は固まっていて、あとは社内で了承を得るのみ──という段階に至っては、もはや打つ手はないに等しい。そして、この手の話というのは圧倒的に後者が多いのだ。

 去る者は追わず、来る者は拒まず。
 幼い頃から培ってきたその処世術は、上司という立場を得たここ数年で、いっそう磨きがかかった気がする。自分が三十路をとうに過ぎてしまったことも、おそらくは無関係ではないのだろうと思う。

***

「ねえ、センカワくん──あたしね、好きな人ができたの」

 数ヶ月ぶりのデートに誘われた喫茶店で、恋人にそう告げられた。

「次の人は、どんなヤツなの?」
「あたしのことをね、ちゃんと愛してくれる人だよ」
「そっか、お幸せにね」

 微笑みを取り繕いつつ、俺はアイスコーヒーを口に運んだ。一方で、彼女は眉間に皺を刻んだままだ。安堵するどころか、その表情に失望の色が滲んでいく。

「……センカワくんって、あたしのこと別に好きじゃなかったよね」
 これ見よがしに溜息をついて、彼女はつづけた。
「あたしが告白したから付き合ってくれてた……ただそれだけ、って感じ」

 淡々とつぶやかれるフィードバックを、俺は黙して聞いていた。反論は、いくらでもある。君が僕のことを想ってくれる程度には、君のことが好きだった。より具体的に言うなら、結婚のことだって思い描いていた。

 でも、今となっては別に関係ないことだ。愛されてないと思われて、それを口に出された時点で、もう関係の修復は望めやしない。次の相手が決まっているのならば、なおのこと。

 そう、去る者は追わず──。

***

「でもさ〜追わないからって悲しくないわけじゃねーんだよなぁ〜」

 ヤケぎみにつぶやいた独り言は、狭い浴室に思いのほか響いた。
 湯船に身体を預けると、自分でも驚くくらいに深々とした溜息が漏れた。
 気分転換にと早めに風呂を沸かしたのに──浴室内に立ち込める湯気を眺めていると、なんだか溜息の霧に身を置いているようで、なおのこと気分が沈んだ。

「もっと……執着すべきなのかねぇ……」

 このまえの査定面談では、社長から厳しい評価を下された。予想通り、理由は俺のチームからの退職者が相次いだためだ。他のリーダーは懐柔、恫喝、果ては泣き落としも辞さない姿勢で離職を防いでいる、らしい。よくやるものだと思う。皮肉でもなんでもなく、尊敬の念すら覚える。

 恋愛にしたって、似たようなものだ。
 別れ話を切り出されて、食い下がって、どうにか破局を回避したという話はそれなりに耳にする。たとえば「考える猶予をくれ」だの、「悪いところがあったら直すから」だの、ダメ元でも足掻いてみればよかったのだろうか。

 ──けれども、それは結局、一時しのぎに過ぎないのでは?
 ──無理に引き留めたところで、お互い不幸になるだけなのでは?
 ……俺なんかは、そうした懸念のほうが先に立ってしまうのだ。

「おかえリ」

 浴室ドア越しのくぐもった声に、宙を漂っていた思考が引き戻される。

 溜息まじりの「ただいま」を肺から絞り出して、俺は風呂から上がった。
 背後で、浴槽の栓が抜ける音がする。
 一拍遅れて、浴室の照明がひとりでに消えた。

 髪を乾かし終えて、居間に戻る。
 ローテーブルの上には、出した覚えのない缶ビールがひとつ乗っていた。
 きんと冷えたそれを手に取ると同時、耳元で声がした。

「オつかレサま」

 どうやら、俺は慰められているらしかった。
 浴室での自問自答は、やはり“彼ら”の耳にも入っていたらしい。
 辛気くさい話ばかりなのも悪い気がして、俺はひとつの朗報を虚空に投げかける。

「そういや、今期のボーナスが入ったんだよ。前期よりそこそこ増えててさ。まぁ……そのカネって、退職したヤツの人件費が浮いたぶんなんだろうけどね」

 言い終わるが早いか──ばんばんばん、と壁が鳴った。
 ワンルームの上下左右、てんでばらばらの方向から、断続的に。
 ついでとばかりに、室内照明がぱちぱちと明滅を繰り返しはじめる。

 傍から見れば、異様な光景に違いない。
 しかし、俺にとってはすでに日常の一部といってよかった。
 これは彼らにとっての拍手であり、祝いの意思表示なのだ。

 “彼ら”が、いつから俺のもとへやってきたのか、定かではない。
 でも、そんなことは別にどうでもいい。

 去る者は追わず。そして、来る者は拒まず。
 たとえその来訪者が、ヒトならざるものであったとしても──

***

 “彼ら”の存在を知ったきっかけは、ちょうど一年前の夜。
 客先訪問を終えての帰り道、さびれた繁華街の路上でのことだ。

「そこのおにいさん、ちょっと待って──そう、あんただよ」

 声をかけてきたのは、辻占いと思しき老人だった。
 古めかしい、小ぶりの机。その上には、水晶や数珠、木札といった怪しげな小道具が無造作に散らばってもいる。好奇心の赴くままに近寄ってみると、老人は笑みをいっそう深くした。

「おにいさん、すごくつかれてるねぇ」
「ああ……分かります? さいきん残業続きでヘトヘトで……」
「いんや、そういうことじゃなくてだね。えらいモンに憑依されてるって話だよ」

 いわく──「肉団子」。

 老人は、俺に憑依しているモノについて、そう形容した。

「何人もの人間をな──こねくり回して、無理やり押し固めたような感じだの」

 瞬時にして、禍々しいイメージが脳裏に形成される。お世辞にも、取り憑かれて嬉しいものとは言えなさそうだ。そんな不安が表情に出ていたのだろう、老人は諭すような口調でつづけた。

「なあに、ひっつかれとるだけだ。別に悪いもんじゃない」
「ソレの良し悪しはともかく──取り憑かれて良い気分はしませんけどね」
「じゃあ祓うかね? ただし人数が多いからの、安く見積もっても五〇万ってところだな」
「……遠慮しておきます」

 苦笑を返して、俺はその場から立ち去った。

 率直に言って、あまりにも胡散臭かった。カモの不安を煽って壺を売りつける、そういった種類のビジネスだろう。ただ、同時に興味が湧いたのも事実だった。幽霊だかなんだか分からないが、俺なんかに取り憑く物好きもいるらしい。仮に老人の言う通り「肉団子」が取り憑いていたとして、そのうち愛想を尽かして出ていくに違いない。そんな確信があった。ちょうど、これまで去っていった元カノたちのように。

 でも、だからといって──“彼ら”を邪険に扱う気にはならなかったのだ。

「足りるかどうか、分からないけれど」

 帰りしなに買った2つのコンビニ弁当を、居間のテーブルの上に置いた。一つはもちろん、自分のぶん。そしてもう一つは、“彼ら”のぶんだ。チョイスしたのはハンバーグ弁当である。かの老人が形容した、“彼ら”の似姿。もっとも……売れ残っていた弁当の中で目ぼしいものがそれくらいしかなかった、というのが最たる理由なのだけれど。

 夕食にハンバーグ弁当を供える、そんな営みを一週間ほども続けたところで日常に変化が訪れた。

 帰宅すると、部屋の暗闇のなかから「おかえり」と声がする。流しに放っておいた洗い物が、いつの間にか片付けられている。満杯になっていたゴミ箱が、ゴミ出し当日にはなぜだか空になっている。

 俺だって最初は当然のごとく驚いたし、すわ泥棒かストーカーかと心配したものだ。しかし、起こる出来事は奇妙ではあるものの、別に実害はない。
 むしろ、一人暮らしの男にとっては助かることばかりである。

 慣れとは恐ろしいもので、一ヶ月もしたころには順応している自分がいた。

 そうして、俺はしだいに“彼ら”に話しかけるようになった。
 夜にハンバーグ弁当を供えつつ、一日の悲喜こもごもを語るのだ。
 悲しい出来事を伝えると、どこからともなく労いの言葉が降ってくる。
 喜ばしい出来事を知らせると、応じるように壁や床が鳴らされる。

 自分ではない何かが、傍にいる。
 もはや恐れは感じなかった。
 むしろ愛着さえ湧いていた。

 しかし、そんな奇妙で穏やかな同居生活も、そう長くは続かなかった。

***

 実家の父親が、病に倒れた。心筋梗塞だった。長らく絶縁状態にあったため、親戚からの連絡で知らされた。

 人身事故を起こしてしまった。昼に車を運転していたところ、唐突に女性が飛び出してきたのだ。

 極めつけに、会社が倒産した。いつものように出社したところで、その場で解雇を言い渡された。

 すべての出来事が、たった一ヶ月そこらで立て続けに起きたのだ。

 運が悪い──そんな一言で片付けられるものでは到底ない。
 さすがに、薄気味悪く感じざるを得なかった。
 これは“呪い”か何かではないのか、と。

 すべてが一段落した頃、俺は例の辻占い師のもとへ足を向けていた。

 “肉団子”の様子について、もう一度視てもらいたかった。無害とのお墨付きを得ていたはずの“彼ら”が悪霊めいたものに変質してしまったのではないか、そう疑ったわけだ。

 ──いや、正直に言おう。
 俺は、一連の不幸を“彼ら”のせいだと信じて疑わなかった。そんでもって、行き場のない鬱憤を辻占い師にぶつけ、タダ同然で除霊させようと目論んでいた。

 ……今考えると、なかなかにバカげた行動ではある。まあ、要するに心身ともに疲れきっていたんだよ。ともかく、俺は鼻息も荒く意気込んで、辻占い師と出会った繁華街へと赴いたわけだ。

 辻占い師の姿は、いともあっけなく見つかった。
 古びた机の前に立ちはだかった俺を一瞥するなり──
 老人は、目を丸くしてこう言った。

「おやおや……あんた、いつの間に祓ったんだい?」

 老人いわく、“彼ら”はもう憑いていないという。
 そして、別の何かが憑いているわけではない、とも。
 逆に「除霊に幾らカネをかけたのか」などと苦笑交じりに問われる始末だった。

 そこでようやく、俺はここ一ヶ月の「異変」を思い出す。
 あれだけ災難続きだったにも関わらず、“彼ら”の慰めを感じたことは一度だってなかったのだ。そういえば、その少し前から忙しさにかまけて、弁当を供えることも無くなっていたっけか……。

***

「──ただいま!」

 コンビニの大袋を提げて、俺は自宅のワンルームへと駆け込んだ。

「親父がさ、明日退院するんだよ。奇跡的に後遺症もなかったらしくてさ。本当に良かった──飲んだくれのろくでなしだったけど、やっぱり実の父親だからな」

 二人分のハンバーグ弁当をローテーブルに広げつつ、俺はつづけた。

「そうそう、このまえの人身事故なんだけど、賠償金は不要ってことになってさ。飛び出して来た女ってのが元カノでね──なんでも結婚詐欺師に引っかかった挙げ句に自殺を図ったらしいんだな。むしろ彼女の家族から賠償金の申し出があったんだけど、丁寧にお断りしたよ」

 ついでとばかりに奮発して買いこんだツマミ、そして缶ビールも一緒に並べていく。

「あとさ、再就職先が決まったんだ。前に言ってた、退職した部下に偶然会ってさ。なんでも身体を壊して最近まで休職してたらしいんだけど──いろいろ世間話をしてるうちに、ちょうどそこの会社が中途採用を募集してるって分かってな、彼が口利きしてくれたんだよ。元部下と同僚になるってのもなかなか貴重な経験だよな、ははは……」

 虚空に向かって笑いかけてみる。どこからともなく労りの言葉が降ってくることもなければ、壁が鳴ることもない。ただただ、古びた冷蔵庫の稼働音だけが低く薄く室内を満たすのみだ。

「……なあ、いるんだろう?」

 かさり、と。

 何かがうごめく気配がして、俺は思わず音の出所へと目を向ける。

 ──1匹のゴキブリが、出し忘れたままのゴミ袋の表面を這っていた。
 キッチンに所狭しと積まれたビール缶の山。
 流しに放置された手つかずの洗い物は、溢れんばかりに重ねられている。

 それを目にした瞬間、ようやく俺は現実を悟った。
 もう、ここに“彼ら”は居ないのだと。
 “彼ら”はすでに、俺のもとから去っていったのだと。

 立て続けに見舞われた災難は、実のところ“彼ら”のせいだったのか?
 むしろ“彼ら”が離れたからこそ起きたことなのではないか?
 ではなぜ去っていったのか──それを確かめる術は、もはや残されてはいないのだ。

「ひとりに……しないでくれ……」

 未練たらしく涙を流しながら、俺はその日の夕食を細々と終えたのだった。

***

 数年後、俺はそのアパートを引き払った。
 所帯を持って部屋が手狭になったこと、加えて親父もトシになったので実家に移ることを決めたのだ。ほどなくして妻が妊娠し、子供も無事に生まれた。

 そして今日が、妻の退院日だった。

 ──思えば遠くまできたものだ。

 病室にて、生まれたばかりの息子を妻とあやしながら、しみじみとそう思う。数年前の自分が、まさかこんなにも真っ当に「家族」をやっているとは思わなかった。仕事面も好調で、ひとえに順風満帆と言っていい。

「抱っこしてみる?」という妻の誘いに、俺はうなずいた。抱き方についてのおおまかなレクチャーを受けつつ、息子を両腕におさめる。無表情だった面持ちが笑みにほころび、その口が動いた。

「タだイま」

 男とも女ともつかないしわがれ声は、しかし、はっきりと耳に届いた。ああ、とか、うう、といった喃語ではない。いや、そもそも喃語を発するにしてもまだ早いのだ。なんせ、生まれてまだ一週間も経っていないのだから。

 聞き間違いや空耳のたぐいではない。

 やがて、妻ととともに病室を出たところで、ほうぼうの部屋から赤ん坊の泣き声がした。より正確に言うなら、叫び声だった。折り重なるように、断続的に、さながらそれは夏場の森に鳴く蝉たちのごとく。

 ただいまぁぁぁ、と。

 不思議と驚きはなかった。それを受け入れる準備を、俺は無意識のうちにしていたのかもしれない。

 その声を耳にしたことは、これまでにも何度かあった。
 病に倒れた父を見舞った時のこと。
 結婚詐欺に遭った元カノから、復縁を申し込まれた時のこと。
 前の会社が倒産し、元部下から声を掛けられた時のこと。
 先ほど目の当たりにした赤子のように、彼らの口から枯れた声音の「ただいま」が脈絡もなく飛び出てきたものだ。

 かつて大病や事故に見舞われた彼ら。その、かつての人柄を知る者は「なんだか変わってしまったね」と揃って口にする。それが災難の影響なのか、あまり深くは考えないようにしていたのだが。

 無数の声に押されるようにして、長い廊下を歩きつつ──俺はかの辻占い師の皺顔を思い出す。


 “肉団子”は、果たして何人でできていたのだろう?


 商談で、採用で、はたまた街中で、声をかけられることがつとに増えた気がする。「センカワさんにまた会いたくて」と。今でこそそんな社交辞令で済んでいるが、あの声が発される日も近いのかもしれない。

 だからといって、無下に扱うつもりは毛頭ない。
 去る者は追わず、来る者は拒まず、だ。
 ただ──今となっては、追わずにいられる自信がないけれども。

「……いかないでくれな」

 傍らの妻につぶやいてみると、彼女は嬉しそうに身を寄せた。
 病院を出ると、ほど遠くの駐車場には、迎えと思しき親父の車が見えた。

「今日は、久しぶりにハンバーグを作るよ」

 かねてより決めていた、今晩の献立を口にする。ほとんど同時に、親父の車から拍手よろしく断続的なクラクションが響いた。

<了>

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