恐怖を引き寄せたと思ったらすること
先日、それはそれは怖い夢を見ました。
久々に起きてからイヤな感じでした・・・。
断片的にしか思い出せないんですけど、両目を撃ち抜かれた男性が「俺の右目はどこだー!」って言いながら、右目をほじくり返したりしてるんですよぉーーー(涙)
他にも昆虫のような人間に付け回されたり、何となく虫に関連する夢のような感じが。。。
クモの対決を見たりしたからかな。。。
話を戻して、本来は怖い話とかホラー系は割と好きなんですけど、今回の夢はどこか粘着質というか、じっとりとその恐怖感が残る感じでした。
その後もその恐怖感を少し引きずってしまって、何となくこの先イヤなことに遭遇するんじゃないかって本気で思ったわけです。
するとどうでしょう。。。
歩いてたら突然謎の虫(おそらくセミ?)が腕にひっついてきたり(恐)
いつもはありえないのに頭に突然何か(広告でした)が触れてビクっとしたり(恐)
少しだけ胃痛になったり(本当に)
「これはいよいよヤバイかも・・・」
と凹んでしまいました。
しかーーーーーし!!
そんな恐怖が自分を侵食し始めた時に、「これはnoteのネタにできるかも」と思ったんです。
するとどうでしょうか・・・。
さっきまで、胸のあたりがザワザワとしていた感じから、もっとこの恐怖感を盛れる出来事に遭遇しないかと、少し期待し始めている自分に気が付きました。
すると、さっきまで嫌悪感しかなかった虫が触った所の印象を思い出そうとしたり、怖かった夢の内容を忘れないようにしたり、遠ざかりそうな恐怖感を逆に追いかけるような気持ちになった事に気が付きました。
「完全に恐怖がエンタメ化したわ」
気持ち悪さや恐さというのも若干残りはするものの、それよりもそれ自体がネタという感覚で俯瞰してみると恐怖感も一つの側面でしかないと思えたんですね。
さっきまで、今日のみならず今後の人生はパラレルワールドに移行したかの如く、恐怖感に満ちた日常になることを覚悟したのがウソのようです。
あの一時の恐怖感はなんだったのかは分かりませんが、こうしてnoteのネタになったのはありがたいなぁと思っています。
脳の仕組みでよく、『爬虫類脳』、『哺乳類脳』、『人間脳』っていう言い方を聞いたことがありませんか?
簡単に説明すると、
爬虫類脳は本能的な部分です。
哺乳類脳は快・不快を決める脳です。
人間脳はより抽象的な思考ができる脳です。
実は本能的な部分や情動のような哺乳類脳の部分というのは、直接的に反応をしがちなんですけど、人間脳が抽象的な思考をすることでその働きが弱くなるんだそうです。
シーソーのようにどちらかが優位な状態になって同時にどちらも優位になることはないとのこと。
今回の出来事で言えば、本能的かつ恐怖という情動が支配的だった状態から、「noteのネタにしよう」と抽象的な思考をしたことで、恐怖感を相対的に観ることができたので、いつまでも恐怖感に縛られることがなくなったんだと思います。
結論を言えば、
「恐怖感を感じて、あたかも引き寄せた感じがしたとしても、その状態をネタにするなどして俯瞰してみることで、恐怖は遠のいていく」
です。
ちなみに「恐い」とか「やばい」という言葉を言ってしまうと、情動を強化してしまうので、ご注意ください。
「怖くない」とか「大丈夫」など、否定する言葉もあまり効果的ではないです。
恐怖という抽象度から一つ上の視点で見てみる、恐怖を操ろうとしてみる、そうした視点がポイントになります。
恐怖に勝つか負けるかは対した問題ではありません。
なくそうとするのではなく、俯瞰して捉えることがポイントです。
怪談話とかが盛り上がる季節ですが、感じた恐さを楽しむならともかく、ネガティブな事実と関連付けることは、物好きでなければおすすめしません。
あくまで娯楽というスタンスをどこかでもっておいてみては如何でしょうか。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
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