きゅうだいめ

西山和樹。渋温泉 歴史の宿金具屋の九代目。2001年より家業である金具屋で業務、経営を…

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西山和樹。渋温泉 歴史の宿金具屋の九代目。2001年より家業である金具屋で業務、経営をしています。旅館業のかたわら、イベント協力や企画、グッズ製作、イラスト、デザイン、しぶざるくんや地域ことなどさまざまなことなどを行っています。

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最近の記事

金具屋の歴史その10(平成初期1990-2000)

80年代の終わりに行われたふるさと創生1億円。この施策の評価はともかく、超好景気(バブル)の活性を都市だけでなく地方にまわそうという国策がいろいろありました。 その中で行われたのが1990年から2年間で行われた渋温泉の街並み整備事業。路面を石畳に貼り替え、風情溢れる温泉街にするというものでした。 これで現在の渋温泉の街並みとなります。 さて、そんなバブルで躓いていた金具屋。ここで大きな判断をすることになります。銀行のすすめで、志賀高原のホテルででた利益を借入金の返済にあてず

    • 金具屋の歴史その9(昭和末期1980-90頃)

      私事ですが80年代の直前、1979年3月にワタクシ九代目が生まれました。その1か月後に機動戦士ガンダムが放送される、とそんな時代でありました。 ちょうど私が生まれた年に完成した新本館「神明の館」。前号で当時の社長はこれを『日本建築の伝統美に統一した』と発表していましたが、60年代のモダンに比べたら和に近いものですが、シャンデリアや大理石調のタイルなど、和洋混在した様子がわかります。ただこれは全国の旅館の流行りだったようで、これも時代というわけです。 そしてこの改築をもって

      • 金具屋の歴史その8(昭和50年前後1970-80頃)

        高度成長により企業の社員旅行が全盛だった70年代。バスでの団体両行が主流となり、全国各地に巨大旅館が立ち並ぶようになりました。近隣でも施設の大型化が進んでいきました。 しかし渋温泉は道が狭くバスが入れません。バスで乗り付けることができないのは、「快適・便利」をモットーにする当時の団体旅行では致命的な欠点。さらに土地が狭く施設も小さい。バス3台の団体ともなれば、1軒で受け入れられる施設はありませんでしたので、渋温泉自体が旅行先から消滅していくことになります。 70年代には木

        • 金具屋の歴史その7(昭和40年前後1960-70頃)

          昭和40年前後、いわゆる高度成長期真っ只中の時代。国民の生活水準もあがっていき、『便利・快適』が求められていきました。観光旅行のお客様も急激に増えていきます。 金具屋では需要にこたえるべく昭和38年に全室バス・トイレ付きの新館「志賀ハイツ」を道の向かいに建設。そして昭和41年にエレベーター棟を建設。当館をご利用の方はわかると思いますが、昭和11年に裏山の山腹に建てた大広間まで、このエレベーターができる前までは当然すべて階段でした。130段以上もあり宴会をするのも容易ではあり

        金具屋の歴史その10(平成初期1990-2000)

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        記事

          金具屋の歴史その6(昭和30年前後1950-60頃)

          戦後から急激な高度成長期へ突入したこの時代、日本人の文化も目まぐるしい変化を遂げていきます。衣・食・住が洋式にかわっていった時代、旅館が求められるものも大きく変わっていきます。 はじまりは昭和24年12月に施行された「政府登録国際旅館制度」。今後の国際的な観光に向けて外国からの旅行者が不便にならないように一定の基準をもったホテル・旅館を登録するという制度でした。内容を見ると『国が日本旅館のホテル化を推奨した』、と言ってもいいかもしれません。この時に金具屋は屋号を金具屋ホテル

          金具屋の歴史その6(昭和30年前後1950-60頃)

          金具屋の歴史その5(昭和20年前後1940-50頃)

          昭和11年、すべてをかけて建築した木造4階建斉月楼、大広間、鎌倉風呂。大変な話題となり、高官の指定旅館になるなど順調な営業が続くかと思われましたが、昭和16年太平洋戦争が開戦し、徐々に戦況が苦しくなるにつれ経済も低下。一般市民が遊びの旅行に出るという時代ではなくなっていきました。 さらに決定的となったのが、昭和19年からの学童疎開。同6月に決定された「学童疎開促進要領」、同7月の「帝都学童集団疎開実施要領」に基づき、8月より学童を受け入れることになりました。渋温泉には高田第

          金具屋の歴史その5(昭和20年前後1940-50頃)

          金具屋の歴史その4(昭和10年前後1930-40頃)

          当地一番の観光旅館を目指す―計画されたのは渋温泉に聳え立つ木造4階建の豪華な客室楼閣、300名が一堂に会せる巨大な宴会場、名物となるような凝った木造浴堂でした。 この工事の棟梁を任せたのが、小布施の宮大工、三田清助(さんたせいすけ)。彼は若いながらも木信地方の名匠と呼ばれ、さまざまな社寺仏閣や作詞家高野辰之の都内の住居を手掛けたことでも有名でした。 計画からおよそ10年余り、昭和9年、上棟式が行われました。この写真に写っている人数を数えると80名。大変な工事であったのがわ

          金具屋の歴史その4(昭和10年前後1930-40頃)

          金具屋の歴史その3(大正~昭和初期1912-30頃)

          大正時代に大きな動きとなったのが、長野鉄道(現・長野電鉄)の開業です。 これにより長野市(善光寺)から当町までの観光ルートが見込めるようになりました。特に国鉄からの乗り入れも可能になると、善光寺参拝の団体旅行がシームレスに町まで来ることができ、大きな強みとなりました。 下の画像は大正13年につくられた長野鉄道の路線図(予定図)の一部です。 なにかおかしいと思いませんか?そう、現在の終点である湯田中駅から先が掲載されているのです。 実は元々、長野鉄道平穏線は信州中野から

          金具屋の歴史その3(大正~昭和初期1912-30頃)

          金具屋の歴史その2(明治時代1868-1912)

          江戸末期から明治初期の資料によりますと、湯田中や渋温泉は湯治・逗留のみならず歓楽(博奕・女性関係)も盛んであったそうなのですが、まだ観光旅行ということはなかったようです。ただ渋温泉の通りは、群馬県の草津から善光寺への草津道の一部でありましたから、旅籠という要素は古くから持っておりました。 明治~大正時代の金具屋の建物の様子です。 玄関部分の金具屋本館、そして2号館です。(奥には会津屋さんやお薬師さんにいく階段もありますね) 湯治逗留、または街道の立ち寄り用の建物ということ

          金具屋の歴史その2(明治時代1868-1912)

          千と千尋と金具屋たてもの論

          この記事は2020年に金具屋九代目ブログに投稿したものを調整したものです はじめに(結論) 長くなりそうなので、先に結論から。 2001年7月の「千と千尋の神隠し」公開以降、『金具屋の建物がモデルなのではないか』という噂が広まっていき、国内だけでなく海外からの問い合わせや、世界ふしぎ発見などのメディアでも千と千尋とからめて取り上げていただくようになりました。20年以上たった現在においても、『モデルなのでは』という疑問や問い合わせは多く、真相は不明となっています。 しか

          千と千尋と金具屋たてもの論

          音泉温楽2023で企んでいること(2)

          金具屋九代目の西山です。今回も音泉温楽について少々書いていきたいと思います。もうちょっと細かいことを。 2009年から金具屋で行われている「音泉温楽・冬」。 音楽イベント部分については湯会さんが行っておりますが、会場、つまり金具屋内のスペースやフードなどの提供については私が担当して行ってきました。まぁ、会場主なので当然なのですが、その内容は毎回変わっています。同じようにやってれば楽なんですが笑、なかなかそうは問屋がおろさない。 今回はそのフードについて。 初期の頃はあま

          音泉温楽2023で企んでいること(2)

          環境問題への取り組みについて

          歴史の宿金具屋九代目の西山和樹です。ここでは金具屋の環境問題への取り組みや対応についてまとめます。 まず第一に、我々温泉場の人間はまさに自然の恵みそのもので商売をしています。現在の自然環境があってこその商売なのです。金具屋では以前から取り組みを行ってまいりました。 温泉熱による暖房 一番大きなものは、温泉熱を利用した暖房です。 湧出温度が98度という沸点で湧いている源泉を2つ所有しており、その熱を使い客室の半分以上と大広間の暖房の熱源にしています。2005年に源泉からの

          環境問題への取り組みについて

          金具屋動画アーカイブス

          歴史の宿金具屋の九代目です。ここでは金具屋で作成した動画や金具屋をとりあげていただいている動画を紹介していきます。 KANAGUYA THE ONSEN RYOKAN まずは公式のCM動画です。温泉モデルの吉山りささんにご主演いただきました。金具屋の一番魅力的な部分を凝縮しております。 かなぐやフォトスポット巡り! 公式CMと同時に撮影していったのが、こちらの動画。金具屋の建築をフォトスポットしてみたときにオススメの場所などをショート動画にしました。 「温泉の宿」金

          金具屋動画アーカイブス

          金具屋で販売されているグッズについて

          2023/11/4現在 温泉むすめ缶バッジ(2頭身金具屋オリジナル)が完売となっております。入荷待ちとなっておりますのでご了承ください。なお、次回分より若干仕様と価格が変更となります。 信州渋温泉、歴史の金具屋です。 金具屋情報のひとつとして、ここでは金具屋で販売されている商品についてお伝えします。 金具屋には売店はありません。 これは、渋温泉の街並み保存という目的で平成2年に館内の売店を廃止したことによります。 現在は「しぶざるくん」や「温泉むすめ」そして「千と千尋

          金具屋で販売されているグッズについて

          音泉温楽2023で企んでいること(1)

          毎年恒例となっております、金具屋での音楽イベント「音泉温楽」。今年でなんと15年目となりました! コロナ中も規模や方法をかなり工夫し続けていたので、本当に15年目、15回目の音泉温楽となります。 そのチケットが先日販売開始となりました。 イベント詳細や出演アーティストが発表されておりますのでぜひサイトを覗いてみてください。 音泉温楽を主催、運営しているのは湯会株式会社で、金具屋が主催をしているわけではありませんが、15年前から会場提供側として私きゅだいめもイベントのやり方や

          音泉温楽2023で企んでいること(1)

          金具屋の歴史その1(江戸時代1758-)

          このマガジンでは金具屋の歴史を紹介していきます。 「温泉宿」としての金具屋の創業は今から約260年前、宝暦8年(1758年)。 温泉宿を始める以前は鍛冶屋(金具師)で、飯山から渋温泉に移住をし商売をしていました。それが宝暦4年、土砂崩れにより裏山「神明山」が崩れ被災。復興中に敷地より温泉が湧き出したため、温泉宿をはじめたとされております。 金具職人であることから屋号を「金具屋」と命名され松代藩に届を出しています。 この画像は江戸時代、神明山が崩れる前の渋温泉の様子(発

          金具屋の歴史その1(江戸時代1758-)