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母は少年のように爺さんと遊ぶ

 2016年03月某日、

「次私、また私、はい私、UNOっ!」
 リビングルームに顔を出せば、母は必死の形相。何が楽しいのか爺さんと一対一のカードゲーム。スキップ、リバース、スキップで、ワイルドドロー4。
「リバースはまた私なのか?」俺は母に問う。
「じゃないと役札の意味ないじゃない」
「ママは強いなぁ」
 爺さんは柔和な笑みで呟く。そして、億劫そうに腕を伸ばし、震える指先で山札から四枚のカードを引いた。
「親父ぃ、私、あんたのママになった覚えはないよ」
 何度聞いても母の「親父ぃ」には違和感がある。
 母は少年のように爺さんと遊ぶ。きっかけはある著名人らの言葉だった。それは本に書かれていたものであるとか、テレビやラジオで聞いたとものであるとかではない。たまたまSNSのタイムラインに流れてきた呟きであった。

知っている人が亡くなると、せめてハグだけでもしておくんだったと後悔するが、生きている人にはなかなか言い出せない。
@yoshimuramanman
2016年03月14日 19:37

「私はやるよ」
 母はスマートフォンを投げ捨てて立ち上がった。そして、布団にくるまっていた爺さんを無理矢理抱え起こし、その骨と皮ばかりの頬に肉厚な頬を寄せた。続いて、痩せ細った老体に豊満な胸を押し付けて両腕を巻きつける。爺さんは驚いて「ホイ」だの「ヤイ」だの声をあげる。あらん限りの力で母を振り解こうと試みるが、爺さんは直ぐにあきらめ脱力した。
「まだまだ死にゃしないから」
 母はようやく落ち着きを取り戻し、腕を解いた。北風と太陽の話を思う。ちょっと違うか。

美味しそうな手作りシフォンケーキにおしっこする夢で目が覚めた。
@makotoaida
2016年03月15日 05:20

「本当は馬鹿な息子が欲しかったんでしょう」
 母は爺さんを問い詰める。爺さんは布団にくるまったまま、じっくりと言葉を選んだ。
「そんなことはない。確かに、おまえの次は男の子がいいかなとも思ったよ。でも、こればっかりは授かりもんだからな」
「やっぱり、そうなんじゃん」
「娘と息子、両方の親をしてみたいと思っただけのことよ」
 母の息子化が進んだのはそれからだ。俺がまだ幼かった頃のことを思い返し、それを再現する。
「遊ぼうよ」
 布団をバンバン叩く。爺さんは眉を顰めて半身を起こした。
「何がしたい?」
 遊びたい一心で声を出してみても、幼い餓鬼は何をしたいのか分からない。家の中で親父と遊ぶ手段といえば、相撲に、チャンバラ、トランプ/UNOに、双六に。
「相撲するよ」母は無茶を言う。
 爺さんはため息をついた。それでもこの国の畳に布団の文化は素晴らしい。親子で相撲をとるためになくてはならない。ベッド文化であったなら親子相撲は成り立たない。慎み深いこの国の親子はスキンシップする術を無くしてしまう。
「よし、やろう」
 思いがけずやる気を示した爺さんは、拳を突き出し、親指を立てた。
「指相撲?」
 母は眉を顰めつつもその手を掴み、同じように親指を立てた。俺は杓文字を掲げて行司を務める。
「はっけよい」
 組まれた拳に力を込められる。
「のこったぁ」
 途端に拳が暴れだした。
「一、二、三、四、五、六、七、八、九、一〇っ」
 爺さんは唇を突き出して一気にテンカウント。まさかの勝利。
 母は呆気にとられたような顔から、不意に涙を浮かべて目尻を垂らした。
「私は親孝行でしたか?子供を一人しか産まない女なんて、少子化のこの世界じゃなんの足しにもならないなんて言うのもいるけど、私はあんたにとって自慢の娘ですか?」
「俺だっておまえしか授からなかった」
 母は首を傾げる。
「で、自慢の娘なのかよ?」
「そりゃ、もちろん」
「私、息子を産んだよ」
「そうだな。嬉しかったよ」
「じゃあ、もっとこいつと遊べよ」母は俺を指差す。
「もう身体が言うことをきかん」
 爺さんは再び布団に潜り込む。
「私たちは二世代で二人しか子供ができなかったんだね」
 爺さんからの応答はない。ただ母を憐れむかのよう天井に向かって目を細めた。ひょっとしたら眠いだけなのかも知れない。年寄りはあまり眠らないものと聞いていたが、爺さんはよく眠る。俺はその都度、寝顔を見下ろしながら爺さんの見る夢を想像した。

僕は才能のある人しか好きじゃない。それが例えダメ人間という才能だったとしても。才能は自覚して活用して初めて才能になる。
@ishikawakoji
2016年03月16日 11:43

「親父ぃ、あんたの取り柄ってなによ?」
 時折、思うことがある。母は爺さんに問いかけるフリをして、実は俺に問いかけているのではないだろうか。
「指相撲、か?」
 俺は渇いた笑いを漏らす。
「一度勝っただけだろう。なんか、これがあるから俺です。これだけは譲れません。なんてものは無いわけ?」
 爺さんが口を開きそうになると、母は先回りする。
「私たちだとか、つまらないこと言わないで頂戴よ」
 爺さんは眉を垂らして視線をこちらに向ける。そこで俺は助船を出航させた。
「爺さんは俺の想像力を掻き立てる」
 母は眉を持ち上げる。
「あんた、たまには面白いこと言うじゃない」
 その満足げな表現に母の面影を見る。母が爺さんの息子になんかなれるわけがない。
「そのシミだらけでブツブツだらけの顔がいい。薄い毛が静電気で立ち上がっているところもいい。今となっては骨と皮ばかりなのに、人殺しが賞賛される戦争事態を体験しているところが凄い」
 そんなこと口にしていいのか。自問する前に発声を試みた。
「人殺しなんて威張れるもんじゃない」爺さんは言う。
「偉そうに言うな」俺は言う。
「偉そうか?」
「年寄りってのは、それだけで何を言っても偉そうなんだ。気をつけな」
 母は、俺と爺さんのやり取りを好ましく眺めた。
「若いってのは大した取り柄だ」
 爺さんの言葉はやはり偉そうだ。そして、俺は問う。
「爺さんが今もし若かったら、何がしたい?」
「やりたいことは沢山あるさ」
「例えば?」
「そうだな。まず焼いた貝が食いたい」
「貝?」
「蛤、蚫、栄螺。焼いてチョロッと醤油を垂らしたものだったら浅蜊でもいい」爺さんはゴクリと唾を呑み込む。「嗚呼、歯の無い骨皮筋太郎でも食い意地が張れるもんだ」
「爺さん、貝が好きだったのか?」
「最近テレビで見たせいだろう。栄螺だったよ。網焼きにした巻貝に醤油をチョロッと垂らしてさ、グツグツいい出したら、串で刺してクルクルと緑色した内臓の先まで巻き取るのよ」
 俺はグロテスクなそれを思い浮かべる。貝の内臓など好まない。しかし、その硬い身をしゃぶりながら日本酒を舐めるのは悪くない。
「しかし、爺さん、あんたは酒を呑まないだろう」
「炊き立ての白米が欲しいね」
「貝はおかずになるのか?」
「ならないか?」
「ならないな。牡蛎フライだつて、俺は豚カツの添え物だと思っている」
 俺は新宿さぼてん『カキフライと健美豚ロースかつ定食』を思う。
「若いってのは大した取り柄だな」

先ほど、古館さんのニュース・ステーションで、ドイツのワイマール憲法の教訓「緊急事態条項」の危うさ。たいへん興味深く見ました。「ドイツのワイマール憲法がいつの間にかナチの憲法に変わっていた。あの教訓に学んだらどうかね」という麻生発言が、鮮明によみがえりました。((((;゚Д゚)))
@sasakikensho
2016年03月18日 22:56

「今夜の古舘伊知郎は攻めてたね」
 母はうっとりする。お陰でこっちはすっかり目が冴えてしまった。緊急事態条項の危うさ、古舘伊知郎の気迫も然ることながら、ブーヘンヴァルト強制収容所で山積みされた死骸やら、餓死寸前の人間たちが裸で行進する姿やら、そんなものを二二時の地上波で流されるとは思わなかった。
「UNOでもするか」と言い出したのは爺さんだった。
 母の息子化に伴って爺さんは日毎活力を取り戻しているようにも見える。時折、俺は爺さんの死に際を思い、どのように立ち振る舞うべきか思案する。しかし、どうやらそれはまだまだ先のことになりそうだ。
 母はケースからカードを取り出し、慣れた手つきでシャッフルしはじめた。寿司でも握るようにヒンズー・シャッフル。カードを二つに割ってリフル・シャッフル。そして、七枚ずつカードを配り、山札を中央に置くと一番上のカードを引いて表に向けた。赤の6。数字の下には9と見紛わないよう横線が引かれている。
 前回、爺さんに勝ったからであろう、母は誰に断るでもなく一枚目のカードを場に差し出す。
「古舘伊知郎、三月までだっけ?」
 赤の2。
「キレッキレだったな」
 時計回りに俺は赤のリバース。「おうっ」と爺さんは小さく声を漏らす。
「緊急事態条項だっけ?」
 半時計回りになって母は赤のドロー2。「おうっ」と爺さんは再び小さく声を漏らす。
「特定機密保護法を通して、安保法案も通して、万能感で脳味噌沸き立ってるんだろう」
 爺さんは山札から二枚を引いて黄のドロー2。俺は鼻を鳴らす。
「まわりが騒ぐから尚更ムキになってんのかもな」
 俺は山札から二枚を引いて黄の8。
「自民党草案の緊急事態ってさ、外部からの武力攻撃とか、大規模な自然災害とかだけじゃなくって、もう一つ内乱ってのも入ってるじゃない。あれ引っかかるよね。オウムみたいなカルトを想定してるんならいいけど、SEALDsみたいな子たちも封じ込めたいってことなんじゃ、な、い、の?緑っ」
 母はワイルドドロー4を叩きつける。「ひんっ」と爺さんは雌山羊のような声をあげた。
「二〇世紀の民主主義憲法の典型だって言われたワイマール憲法でも、『緊急命令発布権』一つでナチの意のままになっちまったってんだからな」
 爺さんは山札から四枚を引いて緑のスキップ。母は緑の5。爺さんは緑のドロー2。俺は二枚を引いて緑の7。しばし無言の勝負。母は青の7。爺さんは赤の7。俺は赤のリバース。話題の多くは古舘伊知郎の受け売りだ。そうそう御託は並ばない。
 それでもどうしたって理解ができない。
「あいつらは一体何がしたいんだ?」
「どんだけ嫌われても、政権取るからには一度くらい独裁してみたいものなのか?」
「嫌われるっつっても内閣支持率って四割くらいあるわけじゃない。国会議員の選挙投票率が五割くらいだとしてよ、内閣支持してますって言い切るくらいの奴らはやっぱり投票に行くんでしょう。大した数だよね」
「UNOっ!」
 爺さんが声を裏返した。俺と母は肩を揺らす。いつの間にやら爺さんの手には最後の一枚。俺は恐る恐る黄の3。母は赤の3で色の変更を試みる。すると、爺さんは顔をクシャクシャにして最後の札を場に捨てた。それはワイルドカード。
「ええっ、それってありか?」
 俺が声をあげれば爺さんは首を傾げる。
「ワイルドカードで上がっちゃいけないんじゃなかった?」
「駄目なの?」母も首を傾げる。
「だって核爆弾みてぇなもんだろ。否応なしにハイ終わりっ」
「日本国憲法も核兵器を禁止してるわけじゃないらしいよ」
 母は不敵な笑みを浮かべる。不敵というより不適。すると『核兵器』という単語に爺さんの反射中枢が応答する。
「核武装して地球をぶっ壊すくらいの覚悟があるなら、自衛官全員で丸腰になって腹踊りでもしてみせろってんだってんだっ」
 俺と母は肩を揺らす。そして、荒ぶる爺さんへ恐る恐る視線を運んだ。
「爺さん、あんた総理大臣やんなよ」
「親父ぃ、あんただったら緊急事態条項もありかと思うよ」
 爺さんは、そのシミだらけでブツブツだらけの顔を、今まで無いほどしわくしゃにして頬を赤らめた。薄い毛はますます立ち上がる。
 あれ?
 俺は目を疑う。逆立つ薄毛は静電気のせいではなかったのか?たまに耳とか鼻の穴とか自在に動かせる奴いるじゃない。俺は爺さんの頭皮に目を凝らした。
 母は手元に残った札を広げて溜息一つ。
「もう一度聞くけど、親父には、これがあるから俺です。これだけは譲れません。なんてものは無いわけ?」
 爺さんが口を開きそうになると、やはり、母は先回りする。
「私たちだとか、そんな悲しいこと言わないでくれよ。絶対」
 俺は想像の中で網焼きにした栄螺に醤油をチョロッと垂らす。
「大丈夫。爺さんはいつだって俺の想像力を超える」
 グツグツいい出したら、串で刺してクルクルと緑色した内臓の先まで巻き取る。硬い身は俺のもの。柔らかでグロテスクな内臓は爺さんのもの。そして、その両端から恋人さながらに齧りついたりもするのだ。

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