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これがお金に対する“普通”の価値観なのか?

友達がパートナーと別れたというので話を聞いていたところ、なかなか出口の見えない状況に私も疲れてきてしまいまして、友達に
「カウンセリングの勉強してたから、ちゃんと時間と料金決めてセッションしようか?さすがに相場よりは安く提供するよ」と提案しました。

すると
「友達なのにお金を要求されてショック」
と言われてしまいました。

これがお金に対する“普通”の価値観なのか...?そりゃ経済も回らんわ。(白目)

私としては自分の知識や経験が友達の役に立てる、この方法で友達の力になりたいと思っての提案でした。
友達も楽になるかもしれないし、私もセッションの経験が積めるし双方にメリットがあると思ったのです。

たしかに、私も会社勤めをしていた頃は自分のお金は自分が身を削って得たものであり、苦しみの対価であり、いかに使わずに過ごすかに必死になっていました。

この友達も現在会社勤めをしているので、その考えにどっぷり浸かっていても不思議ではありません。
しかし。それにしても。

このままではお互いに疲弊し友情も終わってしまうでしょう。

コスパ(コストパフォーマンス、費用対効果)という言葉が消費者のものとして一般化してしまい、企業もそれを売りにして商売をしているところが多いから、このような極端な価値観に陥ってしまうのだと思います。

加えて、なぜカウンセリングにお金が発生するのかということがあまりにも知られていなさすぎます。
これについてはその業界の方々にもっと啓蒙活動を頑張っていただいて情報を広めてほしいところです。私も機会があれば記事にしてみようと思います。

なので今回はお金の価値観のほうにフォーカスしていきます。


先ほど触れたように、多くの人(特に雇われている立場の人)は下記のようなお金に対する思い込みを強く持っています。
・苦しまないとお金は手に入らない、お金は苦しみの対価だ
・お金を稼ぐのは大変なことだ
・お金はなるべく使わないほうが安心で良いことだ
・お金をたくさん払うことは自分が損することだ
これらはお金に対する闇側からの認識で、刷り込まれた幻想です。
すでにたくさんの人が「この認識では苦しい一方なんだよ」といろんなところで発信されていますが、私の身の回りには届いていないことが友達とのやりとりでわかったので、何番煎じだろうと書いておきます。

お金は本来、支払う側と受け取る側の双方が幸せになるためのツールです。
上に書いたような、片方が損をしてもう片方が得をするようなものではありません。

お金を支払うとき、そのお金は自分に対して価値をもたらすものです。つまり自分に対してその金額を支払っているのです。
100円のものを買ったら100円の価値を自分に与えている。
1万円のものを買ったら1万円の価値を自分に与えている。
だって、そのお金を支払うことでその金額分の品物やサービスを受け取っていますよね。物質としてのお金はそのサービスや品物を提供した人に渡されますが、その本質的な価値は自分へと与えられています。

そしてお金を受け取るということは、自分が相手に対してサービスや品物によって価値を提供したということです。感謝の印としてお金を渡されることもあるでしょう。
つまり苦しまなくてもお金を受け取ることができるということです。お金を得ることに苦労は必要ありません。相手の役に立ったから、相手がその価値を受け取りたいと思ったからお金を支払って、自分は受け取ったのです。
お金を得ることも人の役に立つことも嬉しいことですよね。(もし嬉しくない人がいたらこっそりでいいので教えてください)

このように、お金は支払う側と受け取る側双方を幸せにするものです。


このお金を出し渋った友達(この書き方をするとまるで私が守銭奴のようですが)、上に書いた闇の幻想に囚われているだけでなく深層心理では「自分には価値がない」と思っているようです。二重の鎖によってお金を出せなくなっているんですね。
お金は使わないほうが良いものだし、自分に価値を与えていいという許可が出せない。
見ているほうも苦しくなってきます。


お金はみんなが幸せになるためのツールだということが、もっと広く世の中に浸透していくことを願っております。

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