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耽美主義者は「感情を自粛しない」

こんにちは、Jinkingtoshです。

タイトルの通り、今回は少し思想的なお話をしようと思いますが、難しい内容ではないので、どうぞ気軽に読んでください。

耽美主義とは

まず始めに、耽美主義について大雑把にではありますが、明確にしておこうと思います。そんなのは知ってるという方は、次の項まで飛んでいただいて構いません。

コトバンクのデジタル大辞泉によれば、耽美とは、『美を最高の価値として、ひたすらその世界に心を傾け陶酔すること。』と定義されています。

端的に言えば、耽美主義とは、そうした思想の立場や意見のことです。つまり、耽美主義者とは、その立場や意見を持つ人々のことです。

この耽美主義を芸術に対応させれば、その目的は、道徳や教訓を伝えたり、社会や政治に訴えたりするのではなく、ただ単純に美しい存在であり、その美しさ自体に価値を置く思想になります。つまり、美のみを追い求め、他は何もいらない。

耽美主義の思潮は、19世紀のヨーロッパ(主にイギリスやフランス)にて流行し、そのムーブメントは日本にも流れてきています。

一方で、僕自身は、恐らく耽美主義的な思想とはかけ離れた思想を持っています。というのも、音楽を聴けば歌詞を読み込んで何を伝えたいのかを探ったり、絵をみれば何を表現したいのかを探ったり、まるで癖のように自然とそういった勘繰りを行います。また、日常生活においても同様に、美のみで物事を判断したことなどそうそうないです。とはいえ、耽美主義者に対して批判的な記事を書きたいわけでは全くなく、もちろん自分の中に耽美主義的な一面もあるだろうし、様々な思考体系に触れていこうよというだけなので悪しからず。

耽美主義者の例

まず、「ラファエル前派」というイギリスの芸術家グループは、耽美主義の象徴的に知られています。

他にも詩人であるオスカー・ワイルドも有名でしょうか。また、彼の作品の挿入画家を担当したことで知られるオーブリー・ビアズリーも耽美主義者的な作品を生み出しています。

日本人だと、谷崎潤一郎や永井荷風らが挙げられます。

ただ、これらはほんの一部で、耽美派に類される耽美主義の芸術家は、結構たくさんいるので、是非調べてみてくださいね。気に入った芸術家がいたら、僕にも教えてください。

「感情を自粛する」とは

前置きが長くなりました。本題に移りましょう。

本記事のタイトルにした『耽美主義者は「感情を自粛しない」』ですが、そもそも「感情を自粛する」とは、どういう意味でしょうか。

まず、美を絶対唯一の価値基準とする耽美の精神は、つまり、感覚や情緒を重んじることになります。

しかし、現代を生きる僕は、そこまで素直に生きることができているわけではありません。誰しも、世間の目を慮り、他人との関係性の中で、時には自身の感情を抑えて言葉や行動を選択した経験がある思います。僕もその一人で、確かに感覚的に美しさを感じても、それに留まらずあらゆる思考を巡らせた場面がいくつも思い出せます。これは、「感情を自粛した」と言えるのではないでしょうか。そんなにも現実的に物事を捉えてしまう自分自身が嫌に思うときもありますが、道徳に目を背けないためにも、そうでもしなければいけない事態が多いのも事実です。

感覚や情緒によってもたらされた美を最優先にして、物事を判断して生きていくことは非常に難しい。返せば、「感情を自粛せず」に生きている耽美主義者に対して、羨望の眼差しさえ向けたい。こんな時代だからこそ、時には、より感覚的に、より情緒的に、それが人間らしさであるかどうかは置いておいて、そうすれば幾分か自分の気持ちに正直になり、素直に生きることができるのではないかと考えます。

「道徳や倫理に背け」などと言うつもりは毛頭ありません。嬉しかったら喜べばいいと思います。悲しかったら泣けばいいと思います。楽しかったら笑えばいいと思います。そんな程度のことです。(怒りに関しては議論の余地があるので割愛します。)

当時の耽美の精神とは、少し異なるかもしれませんが、敢えて現代にあてはめ、現代ならではの解釈するのであれば、体裁など気にせず、自分に素直になろうという精神であるとも言えます。好きなモノ・コトが、ちゃんと好きな自分に出会う。素敵なことだと思います。

結び

本記事は、一概に「耽美主義こそが正義である」などというメッセージを訴えるものではありません。それこそ耽美の精神に反すると思います。ただ世の中には、自分一人では想像もし得ないような価値・判断基準が無数に存在し、そんな人々の中で僕たちは生きている。というか、自分自身も他人から見てみればその一人かもしれない。そんなことを改めて考えてみると、あなたは何を感じるのでしょうか。

どれか一つの思想体系等に縛られるのではなく、アウフヘーベンしていきたいと思います。対立する必要は、あまりありませんが。

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