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定年後こそ、天職に出会える。得意なことと、偏愛で幸せに生きようー1.

八木仁平さんの名著「やりたいことの見つけ方」の分類によれば、ボクは得意なことで定年後の13年間活動してきたことになります。
ボクのやりたかったことの中の「得意なこと」は、教えることでした。

とても屈折していていまや苦笑せざるを得ないのですが、最初に職業を意識したと同時に絶対になりたくないと思った職業が、教師でした。
昭和40年代の地方の小都市の高校生だったボクは、大学に進学するか高卒で働くかを考えた時に、周囲のモデルになる大人たちのあまりの貧相さに立ち往生していました。
 当時の大学進学率は20%台で、大学はわざわざ行くところで、何のために進学するのかを考えなくてはいけませんでした。
ボクの問いかけに教師たちは、安定した職業に就くために大卒資格が必要だと答えました。この頃の地方の小都市の、望ましい就職先ベストスリーは、銀行・市役所・教師でした。それらが堅い仕事で失業のない職業とされていました。
つまり、教えることや人の成長に繋がる喜びを持って仕事をしている教師たちではなく、安定した職業を選んだに過ぎない教師たちに囲まれていたのでした。
ですから、ボクはまさしく若気の至りで視野が狭かったかもしれませんが、こんな大人にだけはなりたくない、イコール教師にはなりたくないと考えてしまい、そのときに自分の可能性のひとつを閉じてしまったのです。

高校3年生の春から、大学を経て社会で38年間働き、様々な仕事を見てきました。
自分の資質の中に「人の成長・変化に、関わる能力と喜び」があることを強く認識して、(自前ですが)プレゼンテーションやスピーチを教える仕事を始めました。
定年前の仕事も好きな仕事でしたが、教える仕事の方が天職だったんだな実感しながら、70歳をはるかに超えても続けてこれました。
やりたかった、得意なことを仕事にできて、それも定年後という、働くことにシンプルに向き合える時間の中で満喫できてとても幸せでした。

得意なことを見つける前に、大事なことで向き合い方を決めました。

定年後やりたいことが見つからないと、悩まれている方が多いようです。
ボクは、定年直後、さあ何をやろうかと考える前に、したくないことはしない」を優先して、
その結果の範囲で働くことにしようとまず考えました。7つありました。

  1. 雇われたくない。

  2. 組織で仕事はしたくない。

  3. 通勤はしたくない。

  4. 定時の仕事はしたくない。

  5. 場所に縛られたくない。

  6. コネに頼りたくない。

  7. 儲けにこだわりたくない。

定年前は自分の価値観を抑制して働いてきたのですから、定年後働くにしてもまたもや自分を抑え込んだり、我慢をしたり、ストレスとお金を交換するのは絶対にやめようと考えました。

会社勤めという団体競技から定年になって個人競技に、個人戦にせっかくピッチを変えたのですから、
定年前の働き方にこだわるのはまったく持って意味のないことです。
定年後20年が用意されているのは、ひとりの自分を楽しむためにあるのだと教えていただきました。
自分自身が幸せに生きるために、時間が用意されていることに感謝すること

ですから、価値観となる「定年後を生きるために大事なこと」をまず決めてから、さて何をして少しばかりの収入を得ようかと見渡しました。

好きなことで価値を提供できるに越したことはありませんが。

当然ながら、自分が熱中できることが対象となりますが、好きなことで稼げることが理想です。
ですが、仕事にするということは、何らかの価値を社会に提供してお客様にお買い上げいただかないと成立しません。

そう考えて、好きなことに隣接している「長所・強み・得意技辺り」を試行錯誤して探しました。
その中で有効だったのが、他人からの目でボクの何が強みと認識していただけるかを探したことでした。
当時隆盛だったsnsのmixiの勉強会などに参加して、20〜40代の人たちと交流しました。その中で、ボクが仕事出経験してきたプレゼンテーションのことに興味を持っていただいたのでした。
若い社会人がプレゼン関連のコミュニケーションの技術・ノウハウを知りたいというニーズの断片を見つけました。
そこで若い人たちと「mixi3分スピーチ勉強会」を立ち上げて、1年間で200人以上の人たちと実践して、教える仕事に就くことができました。

できることと、得意なことは大きく違う。

ボクの場合、得意なことを仕事にするのに、定年後という時間になりましたが、これはこれで必然的なことである意味納得感のあることです。

先ほど試行錯誤と書きましたが、すんなりと過去の仕事の経験やノウハウが活かせた訳ではありません。定年退職時のキャリアは、人事・総務の仕事でしたし、その前は経営企画に携わってきましたので、定年後当初は、経営企画コンサルタントを名乗り活動を始めていましたが、まったく通用しませんでした。
自分が保有している能力でいえは、直近に勤務中で獲得していた経営企画の分野の方が自分には多少自信があったのですが、依頼がなくとも工夫を重ね、なんとかアピールをして販路開拓に頑張ることは長続きしませんでした。
それよりmixiの3分スピーチ勉強会の方が、1年間無償であったにもかかわらず、多くのことが学べて自分の中の適性や能力の掘り起こしに夢中になれました。それはまさに「教える」ことが得意であったから、まったく苦にならず、やらされ仕事ではなく、やりたいことだったからでしょう。
つまり「得意」が持つチカラに出会えたことが、定年後であっても新しい仕事にできた最大の理由だと思います。

定年後こそ、天職に出会える。

定年後は、仕事を選ぶ余裕があります。収入の多さで選ぶ必要は低いこと。すぐに何でも良いからと働かなくても良いのです。
そして何よりも、長年社会で揉まれてきた自分というものが理解、把握できていて、やりたいこと、できること、やりたくないことに得心がいっています。
とりわけ、仕事の能力には3つの要素があって、専門能力・仕事を進める能力・人間力だとボクはカッ替えています。
その中で、幸せに仕事ができるのは、専門能力よりも仕事を進める能力・人間力だと理解できていることが大きいです。

逆に言えば、若い時はろくに自分を把握できずに、当然ながら経験値や能力も伸長していない状態で、職業を選んできたのですから、誰もが好きなことや得意なことで仕事に就いた訳ではありません。
それを考えれば、定年後に選べる仕事というのは僥倖に満ちているのです。
仕事を選べて仕事に満足できて、自分の価値を発信できる。
なんて幸せなことでしょうか。
定年後は、こうした素晴らしい機会が待っていると言えるのです。



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