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ゲイでよかったわけはない

髪を切りました。
なんだかもう全部が鬱陶しくなって、仕事も友達も家族も地元も過去も将来も預金残高も全部振り払ってしまいたくなるときがたまにある。が当然そんなことはできるはずもなく、もう俺に何も纏わり付かないでくれ〜という気持ちでいつもの美容院を予約していつもの美容師にいつもより短くしてくれと頼んだ。珍しいね〜と笑い楽しそうに話しながら髪を切っていたが正直彼が何を話していたのか覚えていなくて、ただキラキラと光る彼の薬指を鏡越しになんとなく眺めていた。たしか彼は自分の一つか二つ上で、長年付き合った初めての彼女と結婚してそれはそれは可愛い犬っころと3人で暮らしているらしい。自分がこの美容院に通い始めたころは普通のスタイリストさんだったがあれよあれよといううちに店長を任されるまでになっていた。努力の賜物とはいえなんでこんなに生きるのが上手いんだ?大正解みたいな人生を歩んでいる人は眩しすぎて直視できない。自分と見比べてこの差はなんだと思うがそんなことを思っても仕方がなくて、所詮自分は自分でしかないし、他人は他人でしかない。そしてこの先血縁を結べない以上、もうこの世界には他人しかいない。数ヶ月前に軽くかけたパーマが微妙に残って鬱陶しかった毛先も、気がついたときにはもう既に床の上のゴミになっていて、自分の身体の一部なのに使い捨てのような感覚がする、いやまあ使い捨てなのではあるが。やっぱり短くするとちょっと可愛くなっちゃうねと戯けて茶化す美容師。お世辞7割イジリ3割。すこし切りすぎたかもなと思いながら、こんなに可愛いやつを捨てる男もいるんですよと言おうとしてやめた。いや本当は言おうともしてない。


ゲイに生まれてよかったかどうかと聞かれても、絶対に自分はよかったと言わない。だってもし普通に生きられるのならば、それは普通に生きる以上に良いことなんてないでしょう、いやそもそもその普通ってなんだ。自分はマイノリティの当事者という立場にいながら、自分が最も差別的な思考をしていると思う、というより自分が当事者であるからこそ、最も差別的な思考をしてしまう。男らしさ、あるいは女らしさに誰よりも拘る。とはいえ自分はそこまで自分自身に男らしさを求めるタイプでは無いが、女っぽいと言われることには凄まじく嫌悪感を覚える。だから自分はいわゆる「ホゲている」口調では話したくないし、ほんの少しの男っぽさを持ち合わせていたい。別にムキムキだったりムチムチだったりになりたいとかいう外見的な話では決してなくて、というのも自分の考える男らしさとは「とにかく楽観的で適当で、バカなことばかり言っているちょこっとクズ」というこの上ない偏見と超個人的理想に塗れたものであり、その世間一般にいう男らしさとはまた別の理想を追い求めている。いや自分の考える男らしさとは本当に男らしさなのか?いや絶対に違うだろ、たぶんこれは自分が理想とするノンケ像で、自分が魅力を感じる対象であり自分がそうなりたいと思う対象なのかもしれない。いつだっておれはいかにもノンケっぽい人として生きていたいわけで、いかにもノンケっぽい人と一緒にいたいのかもしれない。実際ゲイと人と一緒にいるよりもノンケ友達と一緒にいるときのほうが気が楽だと感じることが多い。無論性的な話題がない場合に限っては。

よくゲイに生まれてよかった理由として、ゲイだからこそ出会えた人がいると言うが、正直なところ自分はゲイだからこそ出会えてよかったと思える人がまだいない。経験の量なのかもしれないが、はじめはこの人と会えて良かったと思っても、しばらくすれば"会わなくてもよかった"になり、大抵の場合それは"会わなければ"よかったに変わる。そもそもゲイだからこそ出会えたは、ゲイであるがゆえに出会ってしまったでもあるし、ゲイでなければ出会えたはずの人には出会えなかったでもある。もし自分が「普通」の人間としてここまで生きてきて、そしてこれからも生きていくのだとしたら、どんな人と出会ってどんなことを考えて、どんな自分を理想としていたのだろうと考える。もしその世界線であれば出会えたはずの人が、今もこの世の何処かにいると思うとなんだかとても損をした気分になる。自分を自分たらしめているものが今と圧倒的に異なったときの自分を少しだけ愛しく思う。

とは言いつつもいつか自分が死ぬ間際になれば、なんやかんやこんな人生でよかったのかもしれないと思ってしまうような気がしていて怖い。でもその理由はもう分かりきっていて、思い出は美化されがちだから仕方がない。実際自分は中学生のときにボロクソに虐めを受けていて当時は本気で死んでやろうかと考えるほどに心身ともに限界だったが、今となってはそれはそれで良い経験だったと思えるのも事実、なんでもかんでも結局のところは喉元過ぎればナンチャララ、もう他人事のようになってしまう。まあ実際にそう思うことになる日がいつになるのかは誰にも分からないが、兎にも角にも今の自分がやらなくてはいけないことは一つ、ただひたすらに毎日毎日お世話になっておりますと言い続けなくてはいけない。一体自分はあと何回お世話になればこの生活を抜けられるのかと毎日考えるが、そんなことを考えるだけ無駄なのかもしれない。お、と打ち込むだけで"お世話になっております"、も、と打ち込むだけで"申し訳ございません"と一瞬で変換してくれるようになった自分のパソコンに向き合っていると、妙にニヤニヤした顔で後輩が近づいてくる。先輩〜、髪切ったら可愛くなっちゃいましたね〜。イジリ10割。やっぱり切りすぎたのかもなと思いながら、こんな可愛いやつを捨てる男もいるんだよと言おうとしてやめた。いや本当は言おうともしてない。結局仕事が片付き始めた頃にはもう終電間際になっていて、誰一人いなくなったオフィスを出て駅へ向かう。なんだか妙に疲れてしまって、特に用もなく開いたiPhoneにもう疲れたなぁと無意識的に打ち込もうとすると、も、の時点で使い古した"もうすぐ着くよ"が一発で変換されて虚しくなる。駅までの途中、酔っ払った若いサラリーマンが手ぶらでただ一人、愉快にフラフラと踊っていたのだけがとても良かった。

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