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【小説】塚山りりか氏の矜持、世界激変を添えて:エピローグ「展望のきく地を遥かに去って」

      “2021年 嘱望しょくぼう

 塚山りりかがズレてきたマスクの位置を直すと、手に持ったケーキがかさりと音を立てた。地元で定番のチェーン店が始めていたテイクアウトメニューに、季節のケーキが加わったので、それを楽しみに帰る所だ。

 心なしか足取りは軽いが、徹夜明けである事には変わりない。
 緊急手術をフルPPEで対応できるようになってから、それらを着用した手術が入るようになった。ただでさえガウンを着込んだ手術は息苦しく感じることがあるのに、n95マスクでさらに息苦しくなり、体力は激しく消耗する。

 

 さて麻酔科医も相変わらず足りないので、伊治原部長は続投中だ。
 りりかは、伊治原に対して葛藤があったとしても、安全で良い手術を提供するために、今までと変わらない自分の持てる最高の技術で麻酔介助を続けようと決意した。しかし、状況を先読みしトラブルに備えて事前に行動へ移しても、今度はその行為にいちいち伊治原から物言いがくる(しかも枕詞に大学病院では〜とつく)となれば、だんだんと嫌気がさすのも当然だろう。

 それで、りりかは一度病院を辞めようかとも考えたが、手術室看護師として持てる最高の技術を提供する、という矜持を捨ててみるとそんな気持ちも無くなったので、相変わらず勤めていた。

 新しく来た長谷川は、あらかじめ聞いていた伊治原の噂に、かなり警戒していて、彼女と仲良くする気はない様である。そして以前から顔見知りの看護師たちなどに和気あいあいと、仕事や流行り事などの話しをするのであった。

 最近はこの病院も新規事業立ち上げに積極的になって、それで主任がスタッフに声をかけてまわっている。

 

 りりかは家に着くと、冷蔵庫にケーキをしまい、シャワーを浴びた。シャワーを浴びるとただちにケーキの事など忘れてしまったので、風呂場から出ると、そのままベットにダイブし眠りに落ちてしまった。


 しかし忘れ去られたケーキは、パサパサになった状態であったが、後日無事にりりかの口の中に消えた。
「うん、美味しい!また食べよう」
 りりかは満足気につぶやくとからの皿、お気に入りでアニマル柄のお手頃価格な皿、を片付けるために立ち上がった。それから口の中の、ケーキに奪われた水分を補給するためにコーヒーを淹れる準備を始めた。

 ふと見た窓の向こう、青い空と太陽が眩しく、りりかは目を細めた。険しくなった表情とは裏腹に、頭の中は歌と踊りで弾んでいた。



『塚山りりか氏の矜持、世界激変を添えて』これにて終幕です。最後までお付き合いいただきありがとうございました。
なお、この物語はフィクションです。

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