“2020年　ほころび”

　パンデミックが宣言されて以来、病院の様子は変わっていった。発熱外来が新設され、通常業務と並行して稼働しているし、院内放送では1時間ごとに感染対策を呼びかけるアナウンスがかかっていた。合間に患者急変を知らせるチャイムが鳴ると、どの知らせか分かりにくいのでとチャイムが変更されたり、近隣の病院が救急外来の受け入れを制限したため受け入れ患者数が増えて手が足りないので院内応援の看護師を派遣してくれとか、病床確保のために今は応援は出せないとか喧々ごうごうとしていた。

「え、砂肝さん休みなんですか？」
リーダー業務の一環で手術担当の配置計画を立てていたりりかは寝耳に水といった様子で熊田主任を見上げた。
「そう。それから私と春日先生で手術室の感染対策を考えないといけないから少し抜けるね。人手が必要になったら教えてちょうだいね。すぐ来るから」
　りりかは会議室に去っていく熊田と斉藤を見送りながらため息をつき、計画表に鉛筆で書き込んでいた人員で、砂肝と書き込んだ分を消した。しばらく頭を捻っていると、リーダー用PHSが鳴った。整形外科医の名前が表示されていた。
「はい、オペ室です。緊急手術の申し込みだったら泣きますよ」
「んん？その声は塚ちゃんかー。いや逆だね。来週の変形性膝関節症手術の患者さんが、感染が怖くて入院したくないってキャンセルになったから、その連絡。まあ、急ぐ手術でもないから延期でいいかなーと。じゃ」

　通話が切れて程なく、星も同じ話をするために本日のリーダーであるりりかの所にやってきた。
「つかやんも延期の件聞いた？あと、今日入院予定だった整形の患者さんも手術キャンセルで」
「どの手術ですか？」
「これじゃ、伊治原先生が麻酔する予定の2件目の膝のやつ」
砂肝さんに割り当ててた手術だ、ラッキーとばかりに、りりかは手術予定表にキャンセルの表示を追加した。

「そういえば、斉藤先生は感染対策会議に行きましたけど、今後それで抜ける間の麻酔担当医はどうなります？」
そう言って星に顔を向けると、星の曇り顔が見えたので、りりかは何かまずい事を言ったのだろうかとひやりとした。
しばしの沈黙の後、星が重い口を開いた。

「本来なら感染対策は部署長の、伊治原部長の仕事なんじゃが、部長がまだここに慣れてないから任せる言うて、全部春日先生に振ったんじゃ。あとは現場のこともわしに丸投げじゃ」
「ふうん？慣れてないなら仕方ないんじゃないですか？」
「そう思うじゃろ？あの人の丸投げはそんな次元じゃない！最初からやる気ないんじゃ！」

　思いがけず強い反応が返ってきたので、りりかは困った。どうしようかと周りを見ると、ちょうど静男が休憩から戻って来た。同時に星も記録室に去っていったので、助かったとばかりに静男に声をかけた。
「あ、尾花さん、明日の膝手術延期になりました」
「何ぃ！？なんで？」
「感染が怖いそうです」
なんだそれ、と静男は例の如く大きな声で言うので、それを聞きつけた明石誠が何事かとやって来た。
「延期だって、延期！」
静男がりりかの告げた事を繰り返すと、明石は仕方ないよと返した。この手術室のシーラカンス、もとい重鎮看護師である明石のひと言で静男は大人しくなった。

第3章は全2回です。