見出し画像

【小説】塚山りりか氏の矜持、世界激変を添えて:第3章その2「制限と|伴《とも》に」

     “2020年 波紋”

 「砂肝さんも子どもたちの学校が休校になるので休みになります」
終礼報告で砂肝から連絡を受けたりりかが告げると、スタッフたちはざわついた。そこに感染対策室からの手術制限の通知を熊田と斉藤が告げるとさらにざわついた。
「手術制限?じゃ、オレたちは何をするんだ?」
静男が抗議するように声を上げると、熊田は続きを聞くようにと目配せした。

「と、いうわけで院内応援に行くことになりました。面会制限を含めた各種制限は来月から本格運用になります」

「個人防護服はどうなっているんですか?」
そう聞いたのは手術認定看護師の酒田昭だ。酒田の隣にいた浜崎優も興味深そうに熊田へ視線を向けた。熊田は質問の意図を理解しかねる様子で、話の続きを酒田に促した。

「いえ、認定看護師会用のSNSで、n95マスクを含めた個人防護服が不足しているので、手術用に昔の布ガウン一式を引っ張り出した、という病院があったので」
明石さんもよくご存知のやつ、とニヤニヤした様子で酒田が言うので、
「いやいや、布ガウンなんていにしえの物品、そんな年寄りじゃないですよー。熊田主任こそよく知っていらっしゃるのでは?布ガウンとは」
明石が自分に振られた話題を熊田に流した。
「こら!あんたと私は大して変わらないでしょうが!」
3人の流れるようなやりとりに失笑を禁じ得ず、手術室内に笑いが広がった。

 ひと通り笑った後で斉藤が神妙な顔で告げた。
「うちの感染対策室は優秀です。当面の防護服不足は回避できそうです。が、豊富にあるわけではないので、一部の物品は使い回しになると思います。というか、なります」
 ひえ、と誰ともなく声がした。りりかは酒田が、やっぱり布復活かー、やっとディスポ化できたのに、と呟くのが聞こえた。
「あと、グループ病院含めて県外からの応援も休止です」
と斉藤が思い出して付け加えると、げえ!と静男が言うのが響き渡った。下根先生は来れなくなるのかー、と誰かが呟いた。斉藤がその声に相槌を打つと先ほどとは打って変わってしゅんとした雰囲気になってしまった。

「以上、解散!」

 こうして手術室看護師の面々は要請があった部署へ日替わりで応援に出向くことになった。
 救急外来、発熱外来、外科病棟などで慣れない応援業務をしていると、改めて、看護師免許を取得してから、長いこと手術室で働いていたのだなぁ、とりりかは病棟での自分のぎこちない動きにしみじみと思った。

 ところで手術室の稼働が制限される事は、病院収益上の大きな損失を意味した。それを知っていても手術室で働いている面々に何ができただろうか。ただ、他部署応援に精を出すだけである。それでも5月中には、感染状況や病院経営などで、この体制も長くは続かない気配がしていた。
 それでりりかは再び手術室に顔を出すようになったのだが、手術に制限がかかる前よりも麻酔科医同士の関係が悪化しているように感じられた。
「…?」
 手術制限中でも応援業務や感染対策室の業務と並行して手術室を管理していた熊田主任も、心なしかイライラしているように見えた。


          ⁂
 世界的に流行していた感染症は、果たして局地的には収まる兆しを見せていた。この年の中旬を目の前にして、ニュースは再び経済対策や環境対策について議論し始めていた。
 地元の新聞には、地元で馴染みのある酒造所が消毒用のアルコールを生産したという記事が掲載された。




第3章 了

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?