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キョウモ ナオ ソコニ イテ クレル ダケデ

オトナの階段をあがる
それは年齢を重ねることと 
比例をしている訳じゃない
ような 気がしている



『助け合いが主たる目的だろう?  町に住まう人々が共に助け合う為に、わざわざ
組織の形成をしているんだろう?  それなのに誰も彼もが皆変わらず平等に交代で[役]を担うこと、それがその組織に席を置くことが出来るその免罪符になって
しまっているんだろう? [役]を担うことが主たる目的では、無いはず、
それなのに。』


いずれ誰もがひとりになるその可能性を秘めていると、かつて、その予測をした
ことがあったかどうか、今となっては、その記憶は無い。
けれど気がついてみたら、ひとりだった。家族は作った。今もある。けれど皆
あちこちに居る。ひとりは彼岸へ。一人は遠い街へ。一人は・・・。
気がついた時には、ひとり、だった。暮らしは出来る、暮らしは出来ている
暮らしは出来ては、居る、のだけれど。

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