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脳内が散らかっている様子がよくわかる雑文

 ある目的のためにいくつかの文章を書くことにした。このnoteみたいに、好き勝手に何でもかんでも書いていいわけではないものなので(あたりまえ)それなりのものに仕上げたい。

 それで日々調べものをしつつ、確認しつつ、噛みくだいたり、上下左右に付け加えたり、あるいは削ったり、みたいなことをやっている。

 それは教会まわりの色々で、資料がわりと豊富なところもあれば、手持ちがないこともある。資料に使えそうなものはなんでも目を通すよう心がけているんだけれど、そんなもののひとつに教会誌がある。教会ってだいたい周年事業で記念誌をつくるみたいだ。
 この記念誌というのがまた、あるところはしっかりと史実や歴史をおって書かれてあるものもあれば、記念アルバムや文集みたいなところもあって、そういうのを見ると力が抜ける。

 今日取り組んだある小教区のそれは、記念アルバムと文集タイプだった。うーん。

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 ヨーロッパの教会なんかとは違って、私が関わりのあるいくつかの教会の歴史や沿革は長くても150年をいくらか超えるくらい、それとそこから100年前後あたりの間、というところだろうか。
 布教時代とかだとさらに遡るけれど、そのへんの資料というのがまたバリエーションが豊富で、あれやこれやと読んでいると「ほんとかなあ?」と首を傾げたくなるのもいっぱいある。

 このあいだ外海そとめに行ったとき、山林のなかにある、潜伏時代の隠れ場所跡みたいなところを訪ねた。4年ぶりくらいだった。
 日本人伝道士のバスチャン(セバスチャン、洗礼名)という人物がいた。彼はこの地方に潜んで伝導活動をしたり、師であるジワン神父から伝承された、典礼や祝日を合わせるための1634年の暦(グレゴリオ暦と陰暦の日取りが違うため)をもっていて、それをもとに教会祝日表「バスチャン暦(または日繰り)」を編んで伝えたりしたといわれている。
 日本名がはっきりしないこのバスチャンは結局捕らえられ、拷問を受けたのちに殉教してしまうのであるけれど、そのときに予言を4つ残したとされていて、そのひとつめに「おまえたちを7代あとまでわが子とみなすが、それ以降はアニマのたすかりがむずかしくなる」とくる。

 アニマのたすかりとは魂の救いのことを指していて、バスチャンの守り(わが子とみなす)がもつのは7代までというのだ。そして、およそ7代あとに何があったかというと大浦天主堂でプティジャン神父と浦上の潜伏キリシタンの出合いだった。
 私がこの予言のことやこの屋敷跡のことを初めて見聞きしたのは、いつもお世話になっているTKさんの案内だったんだけど、TKさんがその4つの予言を発したときの調子がまだ耳に残っていて、資料なんかで文字で読んでいてもTKさんのその声とその調子がよみがえるほど印象的だった。なんだか呪文のようにもおもえてくる。
 7代の間、それがどんなふうに伝わってきたのかとか、そういうことが実感できなくって、それがどういう種類の印象として自分のなかに残るのかはいまいちよくわからないけど。

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 4年ぶりのこの史跡、訪ねる人もあまりいないのか、数回蜘蛛の巣にひっかかり顔を歪めながら進んでいると、草を踏む物音と共にイノシシの唸り声がしてびくっとした。一瞬引き返そうか悩んだものの、せっかくだからと息を潜めてそろそろと進んでいったのだった。

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 教会史以前のことを調べていると、こういう不思議な伝承・伝説とか、いつ記録をとったんだかわからない(つまりちょっとあやしい)詳細な会話のやりとりとかが出てきたり、禁教による弾圧や迫害の悲惨な様子とか、それをきらびやかな(?)美談に仕立てられてあったり、情報がこんがらがって混乱する。納得のいくものが書けるだろうか。
 ところで、プティジャン神父と浦上の信徒との出合いは当時すぐさまヨーロッパに伝えられ、当地で話題になったなどというのも聞くけれど、こういうバスチャンとか金鍔次兵衛神父のこととかも伝わってるんだろうか。
 現代の外国人のなかに(研究者とかじゃなくて)知っている人がいて、もしもどこかで出合うようなことがあったとしたら、けっこうびっくりしちゃうな。

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今日の「喫茶店メニュー」:先日久しぶりに喫茶店マガジンカテゴリの記事を書いたことで、コーヒーゼリーを作ってみようかなという気もちになりました。それでとりあえずインスタントので作ったら驚くほど手軽で感激(?)しましたね。ちょっとコーヒーの苦味が浅かったので、今度はそこらへんを考慮してやり直してみたいとおもいます。いいですよね、コーヒーゼリー。

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