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堂崎教会とド・ロ版画

 先月の下五島訪問は、主に奈留島と久賀島がメインだったのだけれど、福江島での時間があまってどうしようかとおもった。未訪問の地区や教会というのも多く、悩んだけれど、堂崎教会にもう一度行こうとおもった。

 ここは現在資料館となっていて、展示資料のなかにド・ロ版画があるのを思い出したのだ。前回訪問時に見た記憶がほとんどなかったため、きちんと見ておきたいとつねづねおもっていたのだった。

 レンタカーを手配して、堂崎教会に向かった。この日の午前中は久賀島へ行ったのだったのだけど、久賀島への航路で海からも眺めた教会堂を目指す。

やっぱりなんといっても背中である

 ド・ロ版画について少し。
 明治初期、禁教が解けたあと(明治6/1873年)の布教再開にあたって、ド・ロ神父が視覚資料として日本人の版画師に制作させたと言われている。図像は10種類あり、そのうちの「善人の最期」「悪人の最期」「最後の審判」「煉獄の霊魂の救い」「地獄」の5種類は教理に関するもの、残りは「イエスの聖心」「聖母子」「幼子イエスと聖ヨセフ」「聖ペトロ」「聖パウロ」の5種類で、これらは聖人像である。
 フランスの印刷所で技術を学んだド・ロ神父は日本に赴任後、印刷事業の担当者として教会暦や教理書などを印刷している。このころは石版印刷であったのが、時代が進み明治10(1877)年ごろになると、長崎でも鋳造されるようになっていた金属活字を用いての活版印刷に移行する。ド・ロ神父は女性や子どもでも理解がしやすいよう、漢字を使わず平仮名を多用した教理書などを多く印刷したらしい。
 同じころ、この大型木版画が制作されている。ちなみにそれらが印刷された印刷機が置かれていたのは、現在大浦天主堂キリシタン博物館となっている『旧羅典神学校』の一室だということだ。この建物はド・ロ神父の手による建造物のなかでいちばん古い。
 ド・ロ版画の画師はというと、経歴不明の田口盧慶とも、宮崎惣三郎とも、岡月洲などともいわれ、とにかくはっきりしないらしい。

 堂崎の資料館に話を戻す。
 ここに展示されているのは「善人の最期」「悪人の最期」「最後の審判」の3枚である。
 ド・ロ版画は長崎をはじめいくつかの土地で発見・保管されている。この目で見たことはないのだけれど、熊本県天草市の大江教会には聖堂の中に額装したものがかけられているそうだし、愛知県名古屋市の主税町ちからまち教会にもあって、これは文化の日にのみ一般公開されると聞いた。福岡県三井群大刀洗町の今村教会にも保管されているらしい。
 大浦天主堂キリシタン博物館では、約2年かけてド・ロ版画、版木の調査研究と保存修理事業がおこなわれ、今年(2022年)の1月に企画展で公開された。公式ホームページで一部修復の様子などが見られるので興味のある方はリンク先をみていただきたい。

修復資料『最後の審判』

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 さて堂崎教会である。
 禁教令が撤廃され、五島列島で最初に建てられた煉瓦造りのこの教会は、ペルー神父の設計、鉄川與助・野原与吉の施工で明治41(1908)年に完成したという。正面は海に向かって建っている。このときの訪問時には、私を除いてひとりの拝観者がいたくらいで、御堂の中はしんとしていた。ゆっくりと展示品などを見て回れたのはとてもよかった。いちばんの目的であったド・ロ版画もじっくりと眺められた。
 ひと通り見て外に出て写真を撮ろうとおもったところで、団体客がやってきた。ガイド付きである。元気のいいおばさまが9割を占める全員が中に入っていくまで、じっと待っていた。空はあいにくの曇り空だったけれど、いくつか写真を撮ったり海を眺めたりして教会をあとにした。来られてよかった。

この日は曇り空だった

 あと少し、時間がある。ほんとうは堂崎教会はささっと見学を済ませるつもりだったのに、ついゆっくりしてしまって、結局他の訪問は諦めるしかないようだった。まだ行ったことのない三井楽のほうや、井持浦のほうまで行きたかったけれど仕方がない。時間の許す限り島を走って、レンタカーの返却のため港まで戻った。

 こうやってひとりで好きなように時間を使うというのも、やっぱりいいなとおもう。いや、仕事で来てるんだし、ちゃんと業務は果たしてるんだけれど、でも実は(というか)この時期のダイヤは普段より便が少なく、時間をゆっくりととるしかなかったのだ。それで少し、自由が増えたのだ。ありがたいことである。

 堂崎教会というところについて、実に簡単に書いてしまったけれど、このド・ロ版画についての他にも、マニラ・マカオを経てプチジャン神父によって里帰りした、日本二十六聖人のうちのひとり「聖ヨハネ五島」の聖遺骨が展示されていたり、日本人初の海外派遣宣教師としてブラジルに渡った中村長八神父を輩出していたり、マルマン神父によって子供たちの救済施設「子部屋」(のちの奥浦慈恵院)がつくられたりと、五島においてはなかなか存在の大きい教会である。ちなみに今はこうして資料館となっているわけだけれど、浦頭うらがしら教会の巡回教会として定期的に行事もおこなわれている。

 福江島という島も、またゆっくり巡ってみたいとおもった。

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