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ぜんぶ私だけのもの

 私の時間は私だけのもの。
 今は40歳をひかえていて、ひとりでのんびり好きなように暮らしていて、その時間はほとんどすべて、好きに使える。

 とはいっても、仕事だったり、家族の何やかやで自由にならない時間というのは存在する。それでも、周りを見まわしたときにこれほど自由な時間を持っている今の環境に(しあわせだな)と感じることがある。

 そうやって実にしあわせな日々を送っているせいで、拘束される時間が長かったり、自由な時間がないという場合、余計に強いストレスを感じる。こんなことくらいでストレスに感じるなんて我儘だよなとおもうけれど、そういう反応をとるようになってしまった。

 特にひとりを、ひとりの時間を死守したくてここに至ったわけではないけれど(つまりご縁があればという気もちがなかったということではなく)、家族がいるようなことなんかをときどき想像してみると、うーんやっぱり煩わしいかななどとおもってしまう。
 もう少し若い頃は、このままスクルージみたいに偏屈で孤独な年寄りになっていくのかもしれないな、などと自分の未来を案じたりもしたけれど、最近はもうスクルージでもいいや(失礼)とおもったりもする。

 ありがたいことに、こんなスクルージ予備軍の私にも(頻繁ではなくても)同じ時間を過ごす友人たちがいて、それはとても心あたたまる体験として私の中に蓄えられていく。
 つい今さっきもそういう時間を過ごすことができた。その蓄えのおかげで、私はひとりでいるときも、孤独とかいうものを感じることはほとんどない。

 私の母は、20歳で嫁いで成人式への出席もできなかったし、40代の半ばくらいまで飛行機に乗ったこともなかった。つまり気軽に旅行も行けなかったし、3人の子どもの世話と店のいろいろにその輝かしい年代の時間のほとんどを割いて生きてきた。
 気の毒だ。
 さらに最近で言えば、仕事が終って眠る前の時間なんかに、大好きな韓国のドラマなんかをのんきに観ていると姉から注意されるとこぼしていた。姉が指摘して言うのには「もっと有益な番組を観ろ(ニュースとか)」だそうです。
 気の毒だ。もう60も半ばなんだから、若い頃の時間を取り戻せなくても、せめて好きにさせてあげたい。母は金星期(16歳~25歳ごろ)に自分の金星を満足させるための時間がとれなかったから、今ごろそれをやっているだけなのだ(韓国アイドルにはまる)。大目に見てやってほしい。

 ときどき会うこの気の毒な母は、この年齢でも好き勝手生きている私の将来を案じているし、歯がゆかったりあれこれと心配をしているみたいだけれど(まあ、その気もちはわかる)おかあさん、私はしあわせです。

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