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『台湾天才IT大臣オードリー・タンの問題解決』の読書感想について座談会!/大塚

台湾のIT大臣、オードリー・タンの考え方についてインタビューした以下の本を読みました。

これを元に、架空の感想座談会を組みましたので、その模様をお伝えします。

【座談会出席者】
A男/保守主義な考えの持ち主。でも自分が時代遅れじゃないか少し心配。
B子/進歩的社会主義の思想をもっている。A男に反発している。
C郎/文筆家。関係のない話を脈絡なくぶっ込んでくる。
D美/ネイルアーティスト。C郎に好意を持っている。
E爺/ニヒリズムに染まった頑固爺さん。他の人をネチネチと批判する。

以下文中で区切り線に囲まれた部分は、本書からの引用を表します。

『オードリー・タンの問題解決』読書感想座談会

(1) 普遍的な愛


(1)-1 主流から外れた視点が社会の智慧となり価値観の修復を促し、墨家は自然の摂理に基づく普遍的な人間愛の重要性を説く。

つまり、社会の主流とは逆の視点が、いわゆる主流の価値観を修復するきっかけとなるのです。その視点はゆっくりと、でも確実に広まってゆくものです。やがて、たくさん勉強したから自分はすごいのだといったうぬぼれは手放せるようになります。すべての声が智慧なのです。私たちが言論の自由を欲するのは、多様な見解や複数の視点を求めているからなのです。

オードリー・タン、黄亜琪、2021『天才IT大臣オードリー・タンが初めて明かす 問題解決の4ステップと15キーワード』(Japanese Edition) 、pp.46-47、Kindle 版.

墨家が説いているのは人間本来の愛です。愛は、あなたと私が先に社会的関係を結んでいるから生まれるのではなく、私たちが同じ自然の摂理のもとで生きているから、そこに愛が生まれるのです。

p.76

A男「オードリー・タンの本を読むと、彼女が提唱する問題解決へのアプローチは伝統的な価値観に反する部分もあるが、それが社会の智慧として一応は価値があると言える。しかし、社会が直面する多様な問題に対しては、伝統を革新することだけが答えではない。」

B子「A男さんの考えは保守的すぎるわ。オードリー・タンのような革新的な思想こそが、現代社会における問題解決の鍵でしょう。主流文化に固執し過ぎると、新しい視点が見えなくなるわ。墨家の人間愛も素晴らしいけれど、それだけでは社会の問題は解決しない。」

C郎「ところで、台湾のIT政策って、日本と比べると進んでいるよね。日本も見習うべきだと思うんだ。」

D美「そうね。デジタル分野の進歩は、教育や医療、経済にも大きな影響を与えるものね。」

E爺「しかし、問題解決のステップとやらを綺麗事で語っても、根本的な問題は解決しない。オードリー・タンのような天才がいたとしても、政治や経済の障壁は容易くは取り除けん。社会の矛盾を直視せずに技術の進歩だけを信じるのは愚かなことじゃ。」


(1)-2 僻地や一次産業の視点からは勉強以外にも価値があることが認識され、教育の目標は、単なる読書の崇拝や職業学校の軽視ではなく、終生学び続けることにある。

いわゆる社会の主流の視点ではなく僻地の人や農業・漁業従事者の視点に立つことによって、「勉強以外のものに価値はない」という固定観念を修正できるというメリットがあります。

p.46

以前はほとんどの人が、職業高校に進学する子は学力が低いと考えたり「ただ読書のみが尊く、それ以外は皆卑しい」という儒教思想に追従したりしていましたが、今そのような考え方に疑問が突き付けられています。最終的な目的は、誰もが学びを継続し、生涯学習の道を歩んでいけるよう導くことです。

pp.86-87

A男「オードリー・タンの提言は重要だが、僻地や一次産業を重視することが教育における根本的な解決策とは限らん。勉強以外の価値を認識することは大切だが、伝統的な教育の価値観を完全に否定すべきではない。読書推奨や職業教育の見直しも、バランス良く行われるべきだ。」

B子「全く、A男さんったら古いわね。オードリー・タンが言うように、僻地や一次産業にも大きな価値があり、教育の多様性を認めるべきよ。学びは一生涯にわたり、多様な形で行うことが最終目標なのだから、読書だけでなく職業教育も同じくらい重要なのよ。」

C郎「話は変わるけど、一生涯学び続けるって、スポーツもそうだよな。年を取っても体を動かし続けることが大切だって。」

D美「確かに。教育と同じで、運動も生涯を通じて続けることが重要ね。体と心の健康を保つためにもね。」

E爺「しかし、問題はそんなに単純じゃない。教育の多様性を認めることは大事だが、実際には地域や経済的な格差が存在する。一次産業や僻地の価値を認めても、資源の配分や社会的な支援が伴わなければ意味がない。生涯学習とは言うものの、それを実現するための具体的な策が不十分なのだ。」

A男「オードリー・タンの提言を見ても、伝統的な教育の価値観が根本から覆るわけではない。終生学習は肯定されるべきだが、古典的な学問や読書の重要性を見失うべきではない。教育の多様性を認めつつ、バランスを取ることが肝心だ。」

B子「あなたが言う伝統的な価値観って、実はかなり時代遅れよ。オードリー・タンが示すように、終生学習には多様な形があり、墨家のような普遍的な愛を学ぶことも含まれるの。教育の多様性を受け入れ、主流から外れた視点を尊重することが、今の社会には必要なのよ。」

C郎「そういえば、普遍的な愛って話を聞くとね、スポーツでのフェアプレイを思い出すんだ。勝利だけじゃなく、相手を尊重する姿勢も大事っていうのが、まさにそれだよな。」

D美「ええ、愛っていうとフェアプレイだけでなく、芸術の中にも表れるわね。音楽や絵画、文学など様々な形で愛を表現することができるのよ。」

E爺「しかし、これらの理想を口にするのは簡単じゃが、現実はもっと厳しい。終生学習や多様な価値観の尊重は、資源の配分や社会的格差による制約を受ける。教育の目標が多様化しようとも、それを実現するための具体的な支援策が乏しい限り、理想論に過ぎんのだ。」

まとめ

A男が言うには、オードリー・タンの問題解決へのアプローチは、確かに伝統的価値観とは異なる部分があるものの、社会の智慧としての価値は認められるとのことだ。しかし、この世の中には、伝統を新しくすることだけが答えではない多様な問題が存在している。それに対し、B子はA男の見解が保守的だと批判する。オードリー・タンのような革新的な思想こそが、現代社会における問題を解決する鍵であり、主流文化に固執しすぎることは、新しい視点を見失う原因になると言うのだ。

一方で、C郎は台湾のIT政策が日本よりも進んでいると指摘し、日本も見習うべきだと提案する。D美も、デジタル分野の進歩が教育や医療、経済に大きな影響を与えていると同意する。しかし、E爺はこうした問題解決のステップを綺麗事で語るだけでは、根本的な問題は解決しないと警鐘を鳴らす。たとえオードリー・タンのような天才がいたとしても、政治や経済の障壁は簡単には取り除けない。技術の進歩だけを信じて社会の矛盾を直視しないことは、愚かなことだというのだ。

結局のところ、オードリー・タンの先進的なアプローチは、伝統を疑い新しい解決法を模索する価値があるが、問題解決には伝統的な価値観だけでなくテクノロジーの進歩も必要であると多くの人が言っている。A男は、教育の多様性を認めつつも、読書や職業教育などバランスの良いアプローチが必要だと言う。B子は、教育は生涯にわたり多様でなければならないと主張する。さらに、運動も生涯続けるべきだとC郎とD美が言及する。最後に、E爺は格差と資源配分の問題を指摘している。

しかし、これらの意見もまた、理想的な世界を夢見つつ、現実の厳しさから目を背けたがる人間の傾向を示しているに過ぎないのかもしれない。真に問題を解決するためには、根本的な矛盾に立ち向かい、時には痛みを伴う変革を受け入れる勇気が必要だ。それができなければ、いくら技術が進んでも、いくら新しい教育法を試みても、社会の深い闇は決して晴れることはないのだ。

(2) 多次元空間と集合知


(2)-1 オードリーは、インターネットの多次元的な空間を活用し、従来の空間概念を超えた思索と観察を通じて、集合知と個の尊重を融合させた柔軟な思考を持つ。

思索や観察が必要な場面になると、オードリーは一般的な二次元・三次元の概念を使わずにインターネットの世界に存在する多次元を使って対処しながらも、柔軟性のある空間を残して互いの違いを尊重している。情報が錯綜する今日、こうした多元的な視点を持ち、相手を柔軟に受け入れる姿勢でいることは、私たちが人生や生活を整理することに役立つのではないだろうか。

pp.43-44

私にとって思想とは、誰か一人だけで創造されるものではなく集合知の結晶であり、みんなのアイデアを凝縮したものを指しています。現代のホモ・サピエンスはお互いが高度につながった集合体ですから、私は孤独を感じたりしません。また、私の関心事が人から見向きもされなくても、インターネットにアクセスするだけで豊富なデータを収集できます。それらはみんながシェアしている集合知から生まれているのです。

p.85

A男「オードリー・タンのアプローチは、現代の技術を駆使したものでありながら、根本的には古典的な思索と観察に基づいている。伝統的な空間概念を超えたとはいえ、その核心は集合知という人類の叡智を尊重する姿勢に他ならない。我々は新しい技術を取り入れつつも、古き良き価値を見失ってはならない。」

B子「A男さんの言い分は、過去への過度な固執を感じさせるわ。オードリー・タンの多次元的なスペース活用はむしろ、異なる視点を尊重し、多様性を重んじる現代社会における教育の進化形なの。私たちは古い価値観に縛られずに、常に柔軟な発想で問題解決を図るべきよ。」

C郎「オードリー・タンの話を聞いてると、何だか将棋の戦術みたいだよね。一手一手が多次元的に繋がって、大きな戦略になるんだ。」

D美「そうね、それに似たようなもので、クッキングもあるわ。レシピ通りに作るだけじゃなくて、自分の感性を活かしてアレンジするの。」

E爺「多次元的な空間を活用した思考など、結局は現実逃避の産物じゃ。現実社会での具体的な問題解決には、インターネット上の理想論ではなく、地に足のついた実効性ある政策が求められる。技術の進歩がもたらす偏りを是正し、全ての人々が恩恵を受けられる社会を築くには、具体的な施策と実行力が不可欠だ。」


(2)-2 台湾のスタートアップが世界に羽ばたくことも容認し、現代のアントレプレナーは国境を超えた共創を行うべきという、オードリーの主張は示唆に富む。

台湾で起業したらずっと台湾に居続けるべきだとか、台湾で上場すべきだとは思いませんし、台湾を主な市場にしなければならないとも、台湾のユニコーン企業を目指すべきだとも思いません。そんな視野の狭い考え方を私は持っていません。台湾でよいアイデアを思いついた人が新天地で大いに輝くのも、とてもすばらしいことだと思います。
あるいは、どこか別の場所で何かひらめいたけれども、そのアイデアを生かせるのは台湾しかないと分かり、会社ごと台湾にごっそり連れ戻したとしたら、人材を循環させることになるのでやはり非常にすばらしいことです。現代の起業はメイド・イン・ザ・ワールド、全世界が一緒に行う創作活動なのです。

p.89

A男「オードリー・タンの思考は、確かに先進的ではあるが、それが故に土着の伝統や文化の重要性を忘れてしまう恐れがある。技術に依存しすぎると、私たちが大切にしてきた価値観を見失ってしまうことだってあるのだ。」

B子「A男の言う伝統の重要性を否定するわけではないけれど、オードリーのような柔軟性こそが、常に変化する世界において、新たな価値を創造し、人々を繋げる力になるのよ。国境を越えて集合知を活用することは、文化や伝統を豊かにする機会でもあるわ。」

C郎「この話を聞くと、なんだか寿司の握り方を思い出すな。一つ一つの技術が組み合わさって、芸術的な一皿を生み出すんだ。」

D美「全く、料理のレシピと同じで、基本に忠実でありながらも、新しい食材や調理法を取り入れる柔軟性が必要よ。」

E爺「しかし、このインターネットを駆使した多次元的な世界での起業が、果たして全ての人に平等な機会を提供しているのか、疑問じゃ。デジタルデバイドや情報格差は依然として存在しとる。新しい技術を導入する際には、その影響を受ける人々の実態をしっかりと考慮しなければ、真の意味での共創など成り立たんのじゃ。」

まとめ

A男が言うには、オードリー・タンの問題解決の方法は、新しい技術を使いつつも、集合知という人間の知恵を重んじていることを示している。しかし、国境を超えた結びつきを重視するあまり、土着の伝統と文化を忘れてしまう面もあるという。
しかしながら、B子の考えでは、A男の見方は過去への執着が強すぎると感じられる。オードリー・タンが提唱する多次元的な空間の利用は、多様性を受け入れ、それを尊重する現代社会の教育の進化を象徴している。そこで我々は、古い価値観に縛られずに、柔軟な思考で問題を解決していくべきだというのだ。

C郎は、オードリー・タンのアプローチを聞くと、将棋の戦術を思い起こすそうだ。一手一手が多次元的につながり、大きな戦略へと発展していくのだと。それに対してD美は、クッキングも似ていると言う。レシピをただ追うだけでなく、自分の感性を活かして料理をアレンジすることによって、多次元的な発想が生まれる。

しかし、E爺の見解はかなり懐疑的だ。多次元的な空間を使った思考は、実際には現実逃避に過ぎないと言うのだ。本当に必要なのは、インターネット上の理想論ではなく、地に足のついた実効性ある政策であり、技術の進歩による偏りを是正し、全ての人が恩恵を受けられる社会を築くためには、具体的な施策と実行力が不可欠だと強調する。

このように、オードリー・タンのテクノロジーと古典的思考の融合に関する主張は、伝統と革新のバランスの重要性や、多様な視点からの学びについての議論を巻き起こす。

(3) 民主主義の光芒


(3)-1 蔡英文総統は民主主義を価値観の多様性に基づく対話の場と定義し、台湾政府はブロードバンドとオープンな公的議論の場を通じてすべての人に発言力と権利を与えることでその実現を見込んでいる。

「私たちはこれまで、民主とは二つの価値観の対立だと思っていた。だがこれからは、民主は多様な価値観の間で行われる対話でなければならない」。これは蔡英文総統の就任演説の一部で、私はよくスピーチの冒頭でこの言葉を引用しています。「対立」から「対話」への転換は、この時代に生きる私たちの使命です!国民に迅速に回答し、血の通った民主政治を実現するのです。

p.37

なぜ私たちはブロードバンドの使用を人権とみなすのでしょうか。それは、国民にどんな背景があったとしても、ブロードバンドを使えばみんなに声をあげる力と権利があるという一種の「民主(主権在民)」が、実現できるからです。

p.62

A男「民主主義が多様性を受け入れる対話の場であるという蔡英文総統の定義は理想的過ぎる。真の民主主義は、伝統と秩序を守りつつ、ゆっくりと進化するものだ。ブロードバンドによってすべての人に声を与えることは、混乱を招きかねない。」

B子「だけど、A男さんの言う伝統や秩序も、時には変化を必要とするわ。蔡英文総統のようにブロードバンドを活用して対話を促進することで、民主主義がもっと包括的で平等なものになるのよ。多様な意見が反映されることこそ、真の進歩だわ。」

C郎「へえ、そう言われると、なんか音楽のジャムセッションを思い出すな。いろいろな楽器や音楽スタイルが集まって、新しい音楽を生み出すんだよ。」

D美「そうね、それって、絵画のコラージュみたい。違う素材や色を組み合わせて、全く新しい作品を作るの。民主主義も、いろんな人の声を集めて、新しい社会の形を作るってことね。」

E爺「しかし、民主主義の対話の場を理想化する前に、ブロードバンドが本当に全員にアクセス可能か、その実態を見極める必要がある。デジタル格差が存在する今、単に技術を提供しただけでは、声なき声を解消できないのじゃ。」


(3)-2 聖厳法師の「向き合い、受け入れ、対処し、手放す」という教えをオードリーはオープンソースの運営にもいじめへの対応にも活かし、理解と構造的解決を目指している。

2020年に法鼓山で講演した際に、「向き合って、受け入れて、対処して、手放す」という聖厳法師の箴言をいただきました。ですが、実はそれより前から私はこの四つのキーワードを、インターネット上のオープンソースコミュニティでプロジェクトを行うときのプロセスに置き換えていたのです。

p.20

問題の折衷や解決が必要になる場面は、日常生活で頻繁に発生します。私が小学校時代にいじめに遭っていたことをご存知かもしれませんが、私の解決方法は、いじめっ子のことを進んで理解することでした。理解できたら、復讐するのではなく構造的にいじめが二度と起こらなくなるような新しいやり方で、同級生と交流するようにしました。

p.58

(個人だけではなく)構造面に反応すれば、今後同じことが起こらないように対処できるのです。構造面から新たな行動を起こすことで、自分が二度と同じ目に遭わないようにできるだけでなく、他の人がいじめに遭う確率も下げることができるでしょう。

p.59

A男「聖厳法師の四段階教えは、伝統的な知恵として重要だが、それを現代の問題に当てはめるのは無理がある。オードリーのような革新者でも、対話やオープンソースの精神を高めることは、古くからの秩序に混乱をもたらす恐れがある。」

B子「それは違うわ。オードリーの取り組みこそが進歩的で、聖厳法師の教えを実践的な解決策に変えているの。向き合い、受け入れ、対処し、手放すというステップを通じて、オープンソースコミュニティやいじめ問題においてより良い変化を促すことができるのよ。」

C郎「そういえば、四段階っていうのが面白いな。料理でいうと、素材を選んで、下処理して、調理して、食べ終わった後の片付けか。それぞれのステップで味が変わってくるんだよな。」

D美「まあ、ファッションデザインでもそうね。トレンドを把握して、素材を選んで、デザインして、コレクションで発表する。最後には次のトレンドに移るために、今のスタイルを手放すの。」

E爺「しかし、問題解決のための四段階などと甘く見てかかる前に、オードリーの方法が本当に根本的な変化を生むのか疑問じゃ。オープンソースの運営やいじめへの対応は複雑で根深い。表面的な解決法では、構造的に改善されない問題が後を断たないのじゃ。」


(3)-3 オードリー・タンは、その数奇な経歴と豊かな人間性、傾聴による理解力をもって、台湾の政治に若くして異例の足跡を残している。

生まれつき重い心臓病を患っていたオードリーは、天才であるがゆえに小学校では壮絶ないじめにあい、中学校を自主退学し、15歳で起業するなど、ほとんどの人が経験することのないような成長過程を体験した。
やがてトランスジェンダーであることを好評し、30代で早くもビジネスを引退して、公僕になると決意した彼女は、台湾最年少の若さで政務委員に就任する。

p.2

世界屈指の頭脳を持つ天才IT大臣として形容されることが多いオードリーだが、取材を通じて見えてきたのは、それ以上に、深い思いやりと旺盛な好奇心、前向きなユーモアといった豊かな人間性によって、数々の問題と対峙する底力を培ってきた人物の姿だ。

p.3

オードリーにとっての合理的な理解法や分析方法とは、彼女が早くから関わっていたオープンソースの世界と同じように、対話する相手が変わるたびにすべての人の側に立って(take all the sides)「傾聴」し、動的発展を完全に理解して調和させることを指している。

p.16

A男「オードリー・タンという人物は注目すべきだが、その手法が政治の伝統や秩序にどのような影響を与えるかは慎重に考慮すべきだ。優れた頭脳と人間性をもってしても、既存のシステムに無理な変革を押し付けることは、混乱を招く恐れがある。」

B子「それは違うわ。オードリーの革新的なアプローチは、伝統的な政治の枠組みを超えて、真の問題解決に向けた新しい道を切り開いている。全ての人の声に耳を傾けることで、より公平で包括的な政策を生み出すことができるのよ。」

C郎「オードリーの話を聞いていると、なんだか音楽を奏でるみたいだね。まるで、様々な楽器の音を聞き分けて、それぞれの個性を活かしながらハーモニーを作り上げるようなものさ。」

D美「そうね、ファッションデザインにも通じるわ。様々な素材や色、デザインを傾聴して組み合わせることで、独自のコレクションが生まれるもの。」

E爺「しかし、オードリータンの手法が如何に画期的だとしても、根本的な政治構造の問題を解決できているかは疑問じゃ。新しい技術や手法を取り入れたところで、官僚制の硬直性や利権構造は容易には変わらんのじゃ。それに対する具体的な手立てが見えん限り、本質的な進歩は期待できんのじゃよ。」

A男「そう。確かに、オードリータンの政治への影響は、確かに新鮮かもしれないが、その手法が伝統的な政治構造に適合するかどうかは疑問だ。政治というのは、ひとつの新風が吹き込むことで揺らぐほどの、やわな体制じゃないことを忘れてはならない。」

B子「いやいや、オードリータンのような人物こそが政治の新しい地平を開くのよ。伝統に囚われず、対話と多様性を大切にする姿勢は、民主主義の本質を体現しているわ。」

C郎「そういえば、オードリーのように問題解決の手順をオープンにするって、ゲーム開発にも応用できるんじゃないかな。」

D美「うん、ファッションでも同じ。オードリーのような多角的な視点で、トレンドを先取りしたデザインが生まれるのよね。」

E爺「しかし、いくらオードリー・タンが優れているとしても、根底にある政治構造の旧弊をどう変えるかが問題じゃ。台湾のデジタル民主主義にも限界はある。無数の意見が交錯する中で、いかにして統治を効率的に行うか、具体的な方策が求められるのじゃ。」

まとめ

A男が言うには、民主主義は多様性を受け入れる対話の場であるという蔡英文総統の定義は、まるで空想のようである。しかし、これは真の民主主義が伝統と秩序を守りながら、ゆっくりと変化していくという彼の見解に基づいている。ブロードバンドによって全ての人に声を与えることは、実は混乱を招く一歩かもしれないというのだ。

しかし、B子はその考えに反論する。彼女によれば、A男が重んじる伝統や秩序も時間と共に変わるべきものだ。蔡英文総統のようにブロードバンドを活用して対話を促進することで、民主主義をもっと包括的で平等なものに変えることができるというのだ。多様な意見が反映されることが、本当の進歩を意味する。

そこで、C郎が話に加わり、民主主義を音楽のジャムセッションに例える。様々な楽器や音楽スタイルが一堂に会して新しい音楽を生み出すように、民主主義も多様な声を集めて新しい社会の形を作り出すのだという。

D美もまた、民主主義を絵画のコラージュに例える。異なる素材や色を組み合わせて全く新しい作品を作るように、民主主義もいろんな人の声を集めて新しい社会を作るというわけだ。

しかし、E爺はこうした理想化された話に疑問を投げかける。ブロードバンドが本当に全員にアクセス可能かどうか、その実態を見極めるべきだというのだ。デジタル格差が存在する今、単に技術を提供するだけでは、声なき声を解消できないのではないかと言うのだ。

結局のところ、民主主義における蔡英文総統の理想的な定義と、伝統と秩序を重んじる慎重な進化という考え方が対立している。ブロードバンドを使った対話の促進は、混乱を招くものなのか、それとも多様性の受け入れと平等を進めるものなのか、意見は分かれている。さらに、デジタル格差の問題も無視できない。

オードリー・タンの手法は、伝統的な政治に変革をもたらす可能性があるが、その影響はさまざまだ。新しいアプローチが公平な政策を生むという意見もある一方で、根本的な構造問題の解決には疑問を持つ声もあるのだ。

全体のまとめ

A男によれば、オードリー・タンの問題解決へのアプローチは、確かに伝統と相反する部分があるものの、社会の知恵としての価値があるらしい。だが、世の中には単に伝統を破るだけでは解決できない多様な問題が蔓延している。それに対してB子は、オードリー・タンのような革新的な思想こそが現代社会の問題の解決策であり、昔からの主流文化に固執することは新たな視点を失う原因だと断じる。

C郎は台湾のIT政策が日本よりも進んでいると言い、日本も見習うべきだと主張する。D美も、デジタルの進歩が教育や医療、経済に大きな影響を与えていると同意する。それにもかかわらず、E爺は、問題解決へのステップを美辞麗句で語るだけでは根底にある問題は解決しないと警告する。オードリー・タンのような天才がいたとしても、政治や経済の壁は簡単には取り払えない。技術の進歩にのみ頼り、社会の矛盾から目を逸らすのは愚かなことだと言う。

結局のところ、オードリー・タンの先進的なアプローチは伝統を疑い新しい解決法を模索する価値があるが、問題解決には伝統的価値観とテクノロジーの進歩が共に必要なのだ。

また、A男は、教育の多様性を認めつつも、バランスの良いアプローチが大切だと言い、B子は教育が生涯多様であるべきだと主張する。C郎とD美は運動やスポーツも生涯続けるべきだと付け加える。そしてE爺は教育格差と資源配分の問題を指摘する。

またこの議論を踏み台にして更なる意見を付け加えると、オードリーが主張するような、国民の意見を公平に聞き届けるオープンなインターネット上の議論の場は、確かに多様な視点を政策に取り入れることにはなるが、それがかえって決断の鈍さをもたらす可能性も無視できない。また、オープンソフトウェアなどの透明性、技術や知能の蓄積については、それがイノベーションを推し進める反面、真偽の確かでない大量の情報が世に氾濫し、かえって混乱を招く危険性は否定できない。さらに、未来への投資として無償公開したデータや議事録も、本来の意図を外れて、犯罪や陰謀論、プロパガンダに悪用されてしまう怖れだってある。

真に問題を解決するためには、根本的な矛盾に立ち向かい、時には痛みを伴う変革を受け入れる勇気が必要だ。それができなければ、いくら技術が進んでも、いくら新しい問題解決法を試みても、社会の深い闇は晴れることはない。オードリーの含蓄ある指摘と果敢な挑戦をある点では受容しつつも、それを超えた革命を希求し、実践しなければならない。


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