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ざらざらのざらめは美味しい。

はてなに戻ろうかなと思いながら、
どうせ戻ったところでそんなに書かないし、
このままでいいかなでもな......とここしばらくずっと思ったまま何もしていない。

ツイ廃の度合いが激しく、時々疲れて、
mixiに戻ろうかな......と思ったりする。
何かを書いては消して下書きに保存して、
結局やっぱり何もしていない。

このご時世で毎日が夏休みみたいになってしまっていて、新しい事の準備もちょこちょこのんびりしたりしているけれど、
暇過ぎるのは本当に良くない。
本当に良くない。良くないったら良くない。
(というのを今年の5月に書いて下書きに入れていました。ここまで。)

さて。

こう口に出す、書き残してしまうのは、
何だかバツが悪いと言うか、罪悪感と言うかで、
書いていなかったけれどでもそうだよな、
みたいな事が一つあって、それを書こうと思う。


生きている事を心の底から喜んだり楽しんだり、できていなかったなと振り返ると思う。昔から。
今でもできていないかもしれない。

父が他界した時に、今までちゃんとしてこなかった分、これからはちゃんとして母にも優しくしよう、そう思って、そうしようとした。
まぁ、できなかった。
最初はそうした。でも母に優しくする事はできない、この人とは合わない、無理だ、と思った。
(色々細かい事があったのよ......。)
ならもう自分の好きにしてやるわい、と思った。
でもどこかで消えない罪悪感があった。
それが母が他界して、無くなったように思う。
すぐに無くなったかと言うとそうでもないし、
他界して一、二年は色々大変で、そんな事思ったり考えたりもしなかったように思う。
寧ろ、何にもできなかったな、という後悔があった。どうしたら上手くいっていたんだろう、とぼんやり思う事もあった。

昨年くらいになってふと、
「抑圧から解放された」感があるなと思った。
それも、「母が死んだ事によって」解放されたな、という。
こう書くと、凄い酷い何この人最低、という感じがするようで本当に書けなかった。
その時もきっとまだ罪悪感があり、今でもその時から減ったものの罪悪感はまだある。
でも、確実に解放された感があって、それは事実で、そして罪悪感も同時にあって、それも事実で、それは受け止めなければならないのでは?と思ったりして。

子供の頃や若い頃にやらなかった事を、大分大人になってから自分のお金でやるのは、楽しい。
自分の生を、人生を、自分が楽しまなくてどうするんだよ、親みたいにそんなに年でもないのに突然死ぬ事があるかもしれないのに、と。


書いていて気付いたけれど、罪悪感が二つだな。
・「死んだ事によって解放された」と感じる事に対して。
・自分の人生を好き勝手楽しんでいる事に対して。

いやそもそも、それとは別にと言うかそのベースに、なんか祝福されていない感じを、生まれた事が罪なのか?いや罪を持って生まれてきたのか?みたいな気持ちを、ずっと背負っているのだから、罪悪感は元々あって、消える訳がないのだよな。

でも、好き勝手やっていこ、というのはもうそうなっているのでそうしています。


自分の中にあるものに気付けるようになり、
言葉にできるようになった分、未熟なりにどんどん成長していると思うもうこんな歳なのに。
それが自分のペースなんだな。
人間らしくなればなるほど死に近付くのだな。
早く人間になりたい?もう人間?まだ人間?

まとまっていないけれど、書いておきたい事は書けたのでこれにて。
(というのがいつものスタイルだな🤔)

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