天国と自殺

「よっ」
天国.comにアクセスし登録時に渡されたIDとパスワードを入力すると、自室のパソコンの画面に見慣れぬアバターが出現した。事前に登録だけしてあったものの、やはり葬儀の準備などで時間がとれず、結局このサイトに訪問するのはこれがはじめて、式やらなにやらすべて済んだあとになってしまった。叔父とは直接会うことはあっても、スカイプはもちろん、電話すらしたことがなかった(やりとりはいつも手紙が主だった)ため、妙に照れ臭く、ぶっきらぼうに挨拶をした。
「おう」
しばらく間があって、叔父を表しているらしいそのアバターはやっと口を開いた。いかにも初期設定、といった風貌で喋っていない間も瞬きをしたり、体を左右に動かしたりもする。どうやら叔父の動き、正確に言うならば、叔父の脳が意図して指図を体に出している動き、を再現しているらしい。
「すまんな。操作方法がよくわかっていないんだ。聞こえてるのか?」
「うん」
私は返事をする。
「天国はどう?」
「なんにもないよ」
うんざり、といった口調だ。声は叔父のものじゃない。画面の向こうの、叔父の部屋なのだろうか、ガランとした背景に目をやる。
「退屈?」
「とても」
叔父のアバターが頷く。

両親がわりと早くに亡くなってしまったので、叔父は私に残された唯一の肉親だった。死んだ人とは二度と会えない。そんなこれまでの常識が変化しはじめたのは親が死んでから随分と経った頃だった。天国.comは死ぬ間際の人間から脳を摘出・スキャンし、再現して、外部から電気刺激を与えることによって新たな空間、新たな体をその脳に知覚させる。脳がそのままコントローラーとなったソーシャルゲーム、と言えばわかりやすいだろうか。生前に本人が同意しており、そこそこするが登録料さえあれば天国.comに加入するのに特別な資格はいらない。もちろん死ぬ前の手術がかなわなかったら脳のスキャンはできないし、つまり本当に死んでしまう前に肉体は殺してしまうわけだから、倫理的な批判も起こっている。もっとも、こんな出たての胡散臭いサービスに登録しているのはいわゆる意識高い系と呼ばれる人々であって、この仮想天国とでもいうべき空間には、生前名を轟かせた有名ブロガーやら、某IT企業の前社長やら、その信者やらが多くを占めているらしい。それでも私は病床の叔父を見舞いながら、登録を勧めた。唯一の身内で、唯一の友達。失わずに済む方法があるならそっちの方が良いに決まっている。叔父はどっちでもいいけど、と承諾してくれた。

「小説でも書いたら?」
私のせいで叔父は、叔父の意思を継いだ変なアバターの姿に変えられ、天国で退屈しているのだ。暇つぶしの提案をする義務ぐらいあるだろう。
「小説?……あ、お前!」
「ふふふ。遺品整理のとき見つけちゃった」
パソコンのカメラに向かって原稿用紙の束をかざす。
「読んだの?」
「恋愛小説書くなんて意外だった」
画面上のアバターが赤面する。叔父はこんな表情をしないので気味が悪い。このアバターは必要なんだろうか。疑問が生じてくる。設定を変えれば顔も声も似せられるのだろうが、叔父はそんな細かい作業をするような性格じゃない。
「俺だって若い頃は恋とかしたのよ」
「ふうん」
なんて言いつつ、なかなか出来がよくて読みながら少し泣きそうになったことは黙っておくことにする。

「小説じゃないんだけどさ」
叔父が言う。
「なになに」
「今後こっち来る人のために原稿書いてるんだよね。送るから読んでよ」
すぐにメールが送られてきた。FROM天国、とは書いていないけれど。
「叔父さんメールなんていつ覚えたの」
「こっちきてから」
某IT企業社長と仲良くなって教えてもらったそうだ。なんだかんだ楽しんでいるじゃないか。
呑気な叔父の様子を微笑ましく思いながら添付ファイルを開いて、目に飛び込んできた文字の物騒さに驚く。

仮想天国における自殺学入門

「どういうこと?」
「退屈で仕方ないんだ。永遠の命なんていらないし、ここ仮想現実の世界で自殺を試みようと思って。面白そうじゃない?」
貰った原稿データをスクロールすると、仮想天国における自殺方法が章立てされて書かれている。仮想天国における死とは何か。ソーシャルゲームと同じだ。データの消滅である。ソーシャルゲームだったら人であるユーザーがデータを消せば、ゲーム内の人格は死んでしまう。しかしユーザーとゲーム内の人格がイコールだったら?ソーシャルゲームのキャラクターは自分の意思では消滅できない。叔父はそれをなす方法を探し、まとめるつもりらしい。

第1章 生きていた頃のやり方で死を目指す
第2章 永遠に眠ると書いて永眠
第3章 天国.comをハッキングする

……

章だけ読んでもなにやらよくわからない。
「ここに書いてあることを順にやっていこうと思う」
呆気にとられる私を置いてけぼりにして叔父は続ける。
「だが困ったことに、成功した暁には続きが書けなくなってしまう。死んじゃうんだからね。だから頼みがあるんだけど、俺が死ねたら、続きを書いてくれ。どの方法で死んだのかは伝わるようにするから」
「いやいやいや、自殺しないでよ」
やっとのことで返事をすると、アバターの目がまん丸になる。叔父の脳は驚いているらしい。ムカつく反応だ。命をバカにしている。
「なんのために叔父さんのこと仮想天国に登録したと思ってるの!」
つい声を荒げて叱る。
「わかったから、怒らないでよ」
「叔父さんが死んじゃったら私、いよいよどうやって生きていけばいいかわからないんだから」
泣きたくなる。私も仮想天国に行けば叔父さんに会えるのだろうか。私も脳だけになって、バーチャルの空間へ行って叔父さんの声と顔を調整してやり、肌で叔父さんを実感したい。錯覚でなにが悪いというのか。脳が無ければ人間はなにも感じない。結局脳が感じることが正しいとはいえないか。

「うーん。じゃあ、小説の続きを書くよ」
叔父さんは幼児をあやすような、すっかり困ってしまったよ、とでも言いたげな口調で誤魔化しにかかる。そんな態度を取られるとこちらがわがままを言っているようで腑に落ちないが、死ぬなんて馬鹿なことをやめることについては納得してくれたみたいだ。
「そうだよ、気になってたの。未完だったでしょ。続きどうなるの」
私は半泣きだ。
「ハッピーエンドがいい?」
「うん」
「じゃあそうするね」
急に優しい。別に機嫌をとってほしいわけじゃないのにな、と思う。それでも叔父さんの文章がまた読めることになったのは嬉しい。叔父さんの文章が好きなので文通をしていた頃も本当に楽しかったのだ。まさか小説まで書いているとは思わなかったが。完成したらこっそり出版社に送ってしまおうか。印税生活を夢見て涙がひっこむ。

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