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2019/1/21

そうそう、本来はこういうことを書きつけたくてnoteを始めたのだった。みなさま今年の大河ドラマ『いだてん』はご覧になってますか。先日第3回の放送があって、まだまだ始まったばかりなのだけどわたしは日々、こういった、人生を送ることを肯定してくれているような作品に触れられるって素晴らしいことだよなぁと少々大げさに作品を愛でている。

とにかく、なにより主演の中村勘九郎さんの演技が大変好ましい。彼の演じる金栗四三というキャラクターはいわゆる「実直な男」で、視聴者からすれば愛らしい主人公であっても劇中の登場人物からみると鈍臭い田舎者なのだ(現時点では)。しかしそんな四三も元気一辺倒なわけではなく、周囲の眼差しも感じ取っているし、感じ取りながら田舎の家族(四三だけが中学、高校通わせてもらえている)には気丈な手紙を送ったりする。そんな恋しい田舎に休暇を使ってやっと帰ってきたと思えば、家族からの微妙な疎外感を覚えるのだ。脚本の妙!畑仕事のシーンで四三の背中越し遠くに家族たちを写すカットよ!風が吹けばあたりまえに草木がそよぐように、四三がふっと孤独感を覚えた瞬間に我々視聴者はキュッと切なくなるし、四三がパッと目を輝かせれば我々は否応なしにワクワクしてくるのだ。勘九郎さんの芝居からは四三の感情がダイレクトに伝わってくる。

年始に野田版『鼠小僧』が映画館で上映されていて、初めて故・中村勘三郎さんの芝居をみることができた。勘九郎さんのお父上である。(シネマ歌舞伎に大感謝。)演技のなんたるやもわからない素人ながら、勘三郎さん演じる鼠小僧を目撃したことはなんというか、目の覚めるような体験だった。ぐぐっと人をひきこむ力学が働いていて、演じられている役柄に質感がある。というか、演じられている、という感じがしない。役その人がその場にいるような感じ。鼠小僧の心情が揺らげば、観客もうろたえて困惑する。役と役者と観客が一体になるような、やはり「体験」なのだ。

お父様と比較したいわけではない。ただ、舞台上/画面に登場した瞬間に観る人の心を掴んでしまう魅力が、役者力とでもいうべきものが共通して存在していると思う。あと目が似てる。めっちゃ似てる。勘九郎さんも舞台上で観たことがあって、三谷幸喜・作演の『ろくでなし啄木』という3人芝居だった。3人芝居なので脇役も何もないようなものだが、勘九郎さんは藤原竜也演じる主人公・石川啄木の"友人役"だった。だいぶ昔のことなので記憶が薄れていることを注記しつつもこれまた素晴らしい芝居だったのだけど、『いだてん』で魅力を余すことなく炸裂させているところをみるとやはり、勘九郎さんは主役の器なのだと思う。ちなみに『ろくでなし啄木』はわたしが人生で初めてこれが演劇か!と雷に打たれた、あるいは開眼した、運命ともいえる作品でめちゃオススメ、めちゃ素晴らしい作品なので是非みてみてね。

『いだてん』の素晴らしいポイントは他にもあって、わたしがわざわざ言うまでもないことなのだけど脚本がとにかく巧い。2つの時代を行き来するうえに時系列も行きつ戻りつ、視聴者を混乱させないどころかその時系列をうまく利用して演出もするし登場人物の関係性をはっきり浮き上がらせる。技あり!である。第1話で嘉納治五郎を中心に据えたの効果的ですよね。唸っちゃう。

そしてドラマのナビゲーターとも言える森山未來さん演じる孝蔵(のちの志ん生)の素晴らしさ。四三とは異なった角度から、これまた視聴者のハートを捕らえて離さない。活き活きとしていて生き様が美しい。どうしようもない奴として描かれてきた孝蔵がふっと落語と出会って、心を動かされているその横顔をみてドキッとしない視聴者なんているのだろうか。孝蔵に限らず、みんなひたむきに人生を生きていて胸を打たれる。中村獅童さん演じる四三の兄もこれまた…

と、喜んで観ていたはずの『真田丸』の録画がなぜかまだ半分残ってる人間が新しい大河ドラマについて年始に熱弁するのも(してしまったけど)信用ならないので、この辺りで。ほんとうは横尾忠則の最高のロゴとポスターの話もしたい。最高ですよね。しかしこうやって、書かずにいられない位に「すてき!」と思える作品に出会えるってそうそうあることじゃない。この時代を生きていることを幸運に思う瞬間があるって、それこそ幸運なことだ。ね。

#日記 #エッセイ #感想文 #大河ドラマ #演劇

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