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淡路島移住計画 ② 確信編

3日間の淡路島体験を経て、年内の淡路島移住を心に決めました。まず何をおいても必要なのは住む場所ですから、物件探しをしながら、並行して土日ごとに少しずつ東京生活の締めくくりを行っていきました。

この段階ではまだ何も具体的なことは決まっていなかったので、東京の「見納め」を一つひとつこなしていくことや、大切な友人に直接一人ずつ会って報告をしていくことで自分自身の実感も徐々に深まっていきました。

東京の見納め行脚

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10月に入ってから、土日ごとに東京観光に出かけました。16年も住んでいても、「いつでも行けるから」と行かずじまいになっていることが多くあったからです。

まず最初に行ったのは田園調布。我が家の本棚には長嶋茂雄コーナーがあるくらい長嶋さんファンなので、最後に有名な長嶋邸を拝んできました(場所が全然わからず1時間くらい歩き回りましたが)。その日はそのまま多摩川グラウンド沿いを北上し、等々力渓谷も見てきました。

そして翌週は最近ハマっている「男はつらいよ」の舞台、柴又の街と帝釈天(上写真)を巡り、バスで南下して椎名誠の「郷愁の街に霧が降るのだ」の郷愁の街、小岩の水道橋で往時に思いを馳せたのでありました。

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そのままかっぱ橋道具屋街で「丁寧な暮らし」の下準備として包丁と桐のまな板を買い揃え、浅草の日比谷Barで元同僚のさぬキッスとケントと合流。一度は食っておかねば、と思いながらついぞ食べられずにいた「駒形どぜう」を食べながら最後の江戸を満喫したのでありました。

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普段は集合写真とかダルくて撮らないんですが、記念行脚なのでガシガシ撮りました。「おっさん同士、かわいく写ろう!」というコンセプトだったのに、さぬキッス(右)全然わろてへん。

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ちょうどその頃、上京したての頃にコピーライター講座で仲良くなったあちゅろーが仙台から東京に戻ってきたので、超絶久しぶりに乾杯。社会人経験が同じだと、突き当たる悩みもだいたいおんなじ。ビールの泡洗浄でココロをクリーンにしたのでした。

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ずっと放置していたといえば、東小金井のスタジオジブリも見たことがなかったのでチェックしてきました。スタジオジブリ本社の隣の広大な敷地に「第二スタジオ建設予定地」とありました。これからさらに事務所を拡大するのでしょうか。近所に宮崎駿さんのアトリエや、ジブリ社員用の保育園などもあり、素敵な建物のオンパレードにセンスオブワンダーが大いに刺激されました。

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また、ちょうど唐十郎の「紅テント」がシモキタに来ていたので、演劇も体験できました。ラストシーン、舞台の奥がパカっと空いて、主演の女優さんが普通のシモキタの街へ歩き去っていく演出は圧巻でした。シモキタに14年もいながら大人計画×宮崎あおいの「サッドソング・フォー・ アグリードーター」くらいしか鑑賞したことがなかったので、良い経験になりました。

シモキタ飲み友との飲み納め

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割と実感を深めたのは、シモキタでしょっちゅう飲んでいた友人に報告する時でした。まずは広告の話をとにかくたくさんしたコピーライターのコータ。東日本大震災の日、徒歩で帰宅する時に偶然再会してから飲みはじめ、与太話から派生した商品開発の仕事も一緒にできたので、思い出話を肴に美味いビールが飲めました。

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そして同期のマナベくん。BLUE TEARSをはじめ、Every little thing, Every precious thing、Hello again、失くした1/2、ZOO 愛をください、メロディー、SOMEDAY、今宵の月のように、喝采など心に沁みる名曲を歌い納めたのでした。マッキーの「三人」の「さよなら僕の一番初めの東京」がこんなにも沁みた日はなかったです。

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