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旅路

"可愛い子には旅をさせよ"
昔の言葉か、最近作られた言葉かは分からない。
僕は14日と15日友達と四人で一泊二日の下呂旅行に行った。下呂は思っていた以上に都会ではなく、人の手が届いていない自然が周り沢山広がっていて見ていると力が湧き上がる。愛知とは比較にならない程自然の力は素晴らしいのだなと思った。自然を見たり感じたりするのが昔から好きだった僕からしたら下呂旅行は本当に行きたかった所だ。

 一泊二日の旅では下呂を満喫できず、不完全燃焼で終わって名残惜しかなるのではないかと思った。下呂の温泉街や、お土産屋さんに食べ歩きができる所、下呂プリン、昔ながらな喫茶店、風情がある和菓子の老舗店、串などの焼いている肉のいい香りが道に広がっていたりなどがあった。まだ書ききれない程沢山の所を行ったが、これを僕達はほぼ一日で満喫してしまった。

 一日目の午後三時半くらいに滑りこみで合掌村に行った。岐阜県にある合掌村は中学の歴史の教科書で見たことあるような気がして初めて来た気がしなかったどこか懐かしさを思い出させた。
合掌村は調べると午後五時に閉園するということで、僕達は気持ち早歩きで堪能した。気持ち早歩きだったが、途中から本当に早歩きで見ていたのは本人たちは気付いていなかったかもしれない。

 合掌村で下呂旅行で一番の思い出ができた。
それは足湯に入っていた時にたまたま同じ時間に入っていた僕達よりも年上の女子大学生ぽい二人組の人達が足湯から出る間際に、「お兄さん達、良かったらこのタオル使いますか〜?私達使っていないので〜」と優しく話しかけてくれた。

そのタオルを僕に渡してくれた。渡すのは多分僕じゃなくても友達の三人の誰かでも良かったと思う。たまたま僕が一番近くにいたからだろうか。それとも四人の中で僕が一番タイプだったか、、
んんん、失礼。口が滑ってしまった。

 僕は彼女たちの優しさに当てられたのか、合掌村で自然を感じていた心がさらに温まっていった。
だが僕はそんな、親切な彼女達のことをタオルネキと失言をしてしまった。今では冗談でも言っことを反省している。タオルを貸してくれた女性の事をタオルネキと言って、もう一人の女性を
ブーツネキ言い、「俺、あの人めちゃタイプかもしれん、、」と失礼に失礼を重ねてしまった事を。あの時、タオルネキと言わずに「ありがとう」の五文字を言えていれば僕の未来は変わっていたかもしれない。この五文字は時に言うのを躊躇ったり、言うのを迷ったりしてしまう。

キモい男と思われてしまうのではないかと意味分からない事を考えてしまったり、心の中で完結してしまう事が度々ある。なぜこの出来事が一番の思い出になっているのかが自分でも未だに分からない。

 夜友達と飲み対決をしていてストロングゼロを早いペースで飲み干して嘔吐したことよりも一番思い出に残っているのだ。きっと彼女らに僕は何か名残惜しさという呪いを残してしまったのではないか。彼女達に感謝の気持ちを伝えられなかった事、人として当たり前の事を出来なかった恥、タオルネキやブーツネキなどと言い、笑い物にした自分に対しての腹立たしさという呪いを残してしまったのだ。

 合掌村を出て旅館に行った時に、親切な彼女ら二人を見た時はあまりに偶然すぎて驚いて、開いた口が塞がらないとはこの事なんだろうと思った。だがまた僕は彼女らと目が合ってもすぐ逸らし、「ありがとう」の五文字がすんなり言えなかった。ここでも人としてのだらし無さが出て、不甲斐ない自分に憤りを感じた。
喉の奥でつっかえている何かを不快に思いながら眉をひそめた。


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