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生活は死ぬまで続く長い実話



くどうれいんさんの「うたうおばけ」を読んだ。優しくて可愛くて絵本のような随筆だった。思わず胸に抱えて、写真を撮ってしまった。

生活は死ぬまで続く長い実話

こういう素敵な文章を読むと、わたしも日々起きた笑えたり、泣けたり、感情がぐちゃぐちゃに動いた出来事だったりを書き留めておきたいな〜という気持ちに一時的になる。結局、1週間後には忘れていたりするんだけどね。人間だもの。

noteを振り返ったとき、将来のわたしが頭を抱えてしまうような恥ずかしい文章ばかりかもしれない。でも今のわたしは、少し前に書いたnoteを読むとちょっと安心したりする。あの頃のわたしとそんな変わってないね〜、あの子もそんな変わってないみたいだね〜って現状維持を確認したり、むしろ良くなったことがあったりすると、嬉しくなる。(なるべく後退は、したくない、わね。)

文章を残しておくことって、自分が自分自身のこの世でいちばんの味方でいるための、お守りなのかもしれない。



SNSで、「頭の中でエレメントたちが永遠と喋っている人たちは、割と稀らしい」っていう呟きを見た。その呟きをしていた人は、頭の中にいつも考えが巡っているらしかった。「みんなそうだと思っていたけど、そうではないようだ」呟いた人も、目から鱗の発見だったらしい。

考えてみると、わたしの頭のエレメントたちは寝ている時以外はだいたいせっせと忙しそうにしている。わたしのソウルメイトもだと思って、忘年会という名のいつもと変わらないファミレスご飯会で、つらつらとそんなことを喋った。

「あーたしかにそうだね」と納得して、それから互いのいろんな生きづらさを共感し合った。この子と話すと、人間って面白いし面倒くさい生き物だな〜と思えて、笑えてくる。

だんだんと哲学的な話になってきてしまって、「その行動を起こしてしまう時の心理ってなんだろう?」とかお互い言い出す。こうやって思い出して文字にするとすごくめんどくさい人たちだ〜と思うし、周りのテーブルの人たちも『そんなこと考えんなよ…』と心の中でツッこんでいるかもしれない。

でもときどきこうやって会って、話すだけで、カタルシスのようになる。性格もお互いに程よく悪くて、そのことに安心する。良い子でいなくても、飾らなくても、プライドがなくても、受け入れてくれる友達を、人生で見つけられることの幸せさを噛み締める2023年のおわり。



ともだちのともだちはともだち。会社で、わたしの幼馴染のともだちがいることが発覚。転職後、同い年の人がいない…と絶望していたわたしへ。ちゃんといましたよ。

「なんとなく話してみたいなと思って…」と話しかけてくれた人がそんな繋がりで、世間って狭いわと思い知らされる。田舎あるあるかもしれないけれど、え、同い年?高校は?もしかして?あいつの?ということが割とあったりする。

しかも、わたしの前付き合っていた人と高校の時かなり仲良しだったことが判明。その名前が出てきた時、上手く反応できなかったけど。バレたかしら?まあ、すぎた話だから良しとしよう。

同い年ということと、趣味が似通っていることもあって、すごく仲良くなった。またひとりともだちが増えた。その日はなんだかわくわくした。

すぐさま幼馴染に連絡をした。「すごく穏やかな人だったよ〜」と伝えたら、「そうなんだよ、俺もああなりたい」と言っていた。わたしは「そのままがいいよ〜穏やかにはなるな〜」と返した。「○○(元カレ)の名前出てきて焦ったよ〜」と言ったら「思わぬ落とし穴だね」と言って笑っていた。世間って狭い。



クリスマスイブの今日は、仲良しのお姉さんとジムに行ったあと、美味しいタイ料理を食べて、好き勝手喋って、明るいうちに解散。

今年最後のネイルはピンクブラウンにしてもらった。可愛くてつい眺めてしまう。そして今は揚げたての唐揚げを食べながら、ハイボールを飲んで、ぐうたらしている。自由って、大人って楽しい。


メリークリスマスイブ!



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