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知る

2022年。
あけましておめでとうございます!

年内に書きたいこと・年明けに書きたい抱負と
リストアップだけはたくさんしていたのに
気がつけばもう1月が終わりそう。

新年の抱負も今さらだし、
なにより今年は転職や事業化を控えていて
7月の誕生日を迎える頃の自分が
まったく想像つかない!
ので、考えても時間の無駄かななんて。笑
とりあえずやろう!という
いかにも亥年生まれらしい意気込みです。


というわけで、2022年初noteは
季節やタイミングをまったく無視して
通常運転で、最近思っていることを
書こうかなあ、と思い画面と睨めっこ。

そういえば新年早々、
めちゃくちゃいい言葉を思いついたのです。

その名も、「一触即沼」。
ググっても、ツイート検索しても
なにも出てこなかったので
いつかわたしの代名詞にしたい。笑
書いたからね!発明者わたしだよ!

意味としては、まさにわたしのような
触れたら最後、未知の世界だったものにも
オタク気質を発揮してしまうタイプの
人間のことを指します。

TBSラジオ「アフター6ジャンクション」を
聞いていて、思いついたの。
とりあげられるカルチャーのうち
本や映画は好きだけど、ゲームやプロレス
洋楽もHipHopもしぬほど興味ないのに
なんで毎日こんなに楽しいんだろうと。

他のラジオやテレビ同様、このラジオでも
コーナーの最後にゲストの方からの告知
というシーンがあるんだけど、
みんな自分のことはさらっとで推しの
近況を告知して帰っていくのね。
なんて愛おしいんだろうと思うわけ。

そしてさらにこのラジオでよくあるのが、
普段音楽特集でお世話になっている人が
今日はこのドラマを語りに来ました、とか
この業界で一流の人が
最近ハマった美容について語ります、とか。

今まで、住んでいた沼が違っただけで
ちょっと触れたら沼り体質な人って
すーぐ新たな沼にもハマりがちなの。

これまた愛おしいし、
実際わたしが学生時代に築いてきた
同界隈のオタクコミュニティの子たちも
今もう誰もその界隈にいないのに
全員が何かしらのオタクやってるの。

もうね、生き方、というか
ひとつのそういう人種なんだと思うの。
大好きだよ、沼に生息するみんな。


一方で、
「推しっていう存在がいたことがない」
という人は普通に多いし、
芸能人のオタクとかの域を超えて
アートや舞台にも
ずぶずぶと足を踏み入れていくわたしは
わりとよく言われる言葉がある。

「なに、目指してるの?」
「それなんの意味があるの?」

残念、“知る”こと自体の楽しさに
気づくきっかけがないなんて。
なんてもったいの、と思ってしまう。

まあ、そういうわたしも
食わず嫌いが非常に多いがゆえに
「人生損してるよ!」と言われる方も
数多く経験していて、
そのたび「余計なお世話よ!」と
思っているので、
納豆の美味しさがわからないわたし同様
知ることの楽しさがわからない人が
いるもの仕方ないな、とも思う。

そんな人たちの分まで、
わたしたち一触即沼民が
“知る”ということの楽しさを
享受していこうじゃないの。


わたしが思う“知る”には
大きく分けてふたつあって、
一つが知識や世界を知る、
もう一つが
人生の幅を知る。

一つ目の知識や世界を知る
というのは本当に単純に
今まで自分の中になかった知識を
得ることによって
楽しめることの幅が広がること。

たとえば、一会社員のわたしは
物理の知識を得ても今後なかなか
活かす場所はないだろうけど、
娘からのなぜ?なぜ?攻撃への
戦闘力が少しは上がるかもしれない。

スタバで働いていたとは思えない
絵の下手さで画家の道には縁なくても
絵画保存修復家という仕事を知れば
美術館がもっと楽しくなる。

「なんの意味があるの?」という言葉の
「意味」を、『人生において仕事や金銭を
生み出すための手段』と定義するならば、
たしかにそれはないかもしれない。

けれど、
『12色の色鉛筆で描かれた世界を、
60色で描かれた世界に変えるもの』と
定義してもいいのならば、
大いに意味はあるよ、と思う。

相変わらず、音楽は
made in 川谷絵音しか聴かないし、
韓国文化なんかは専ら疎いし、
知ったもの全てを好きになれるか
と問われれば、それは全く別だけど、
それでも「知っていること」は
少しでも増やしていきたいなあと思う。


そして二つ目の、人生の幅を知る、は
自分が生きなかった人生を知ること。

わたしは21で結婚して娘を産んだので
30を目前に結婚に焦る気持ちや
キャリアと家庭を選ぶ悩み、
子どものいない夫婦の生活というのを
経験したことがない。

けれど、そんな人たちは
若いからと思われるのではという恐れで
人を頼ることができない
自分の味方は自分しかいないという
経験はしたことがないだろうと思う。

どちらがいいとか、優れているではなく
ただ、人ひとりが生きる人生という
ルートにはそういう道も存在すること
それをただ知ることはとても大切、
今のところ、これより大事なものは
ないのではないかなあと思う。

結婚や子育てに関する話だけではなくて、
たとえば幼少期に親が専業主婦だった人は
親のいない夜を過ごす経験はしていない。

けれど、逆に親と過ごす時間が
少ない子ども時代を過ごした人は、
親の期待に押しつぶされそうになる
という経験はしていない。

こうやって対比させれば
至極当たり前のことだろうけど、
毎日自分が歩んできたルートで
設計された人生だけで精一杯な日々で
そのことを常に意識しながら
過ごしていくのはすごく難しい。

けれど、知らないことは
ときとして無意識のうちに凶器になる。
知らないでいては、
今から発する言葉が相手にとっては
凶器になるかもしれない
と考えることすらできない。

そして人間は誰しも嫉妬と羨望から
切り離すことができない生き物なので、
「わたしはこれが大変でさ、
あなたはどんな苦悩がある?」
なんて話はなかなかできない。

みんな自分に近しい環境や価値観の人や
コミュニティを自然と選んで生きていく。

だから、一人で何通りもの人生を知る
そのことに一番役立つのが
本や映画だと、何度でもつくづく思う。


「知識や世界を知る」ことは
時間も手間も労力もかかるし、
全てが自分に還ってくるとも限らない。
「人生の幅を知る」ことは
もちろん楽しいだけではなくて
苦しくなったり目を背けたくなることもある。

それも踏まえて、
それでもやっぱり「知る」ことが好き。

人は、どんなに素敵な親がいようと
愛する人と一緒にいようと
我が身を削って子を持とうと、
どんな人だって結局のところ孤独で、
人に傷つけられ、人を傷つけながら、
ひとりきりで自分の人生を生きていく。
そういうものだと思う。

だとしたら、一人でも楽しめる手段は
一つでも多く持っていたいし、
傷つけてしまう人は一人でも少なくしたい。

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