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スピノザ先生!


感情に流されてはいけない、と知りつつ、わたしはどこまでも流される。

楽な方へ楽な方へ、より考えなくて済む方へ。

たとえばひどく落ち込むとき、わたしは感情に流されている。それは、意図して流されることが「楽」だからだ。

100分de名著(NHKオンデマンドはすばらしいチャンネルで、もはや延々観ていられる)のスピノザ回を見直して、現状を捉えなおそう。

今この行為、行動、感情は、「誰の力を最もよくあらわしているか」と考える。

國分先生はカツアゲを例に挙げていた。お金を出したのは自分だが、出させたのは不良少年である。

同様に、いま落ち込んでいるのは自分だが、落ち込ませているもの・ことについて分析すると、それは自分以外、つまり変えられない何かに依拠することに気づくだろう。

となれば、スピノザ先生の出番である。

「組み合わせが悪かったね」

と心の中の彼に微笑んでもらい、自分の力、コナトゥスがなんなのかもう一度自分を見直す。

とにもかくにも、家に帰ろう。

そして力の出るものを食べてから、考えようじゃないか。

(ある日の日記。)

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