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「夜明けのすべて」は私たち自身の物語

 いつも映画の後は、誰かと感想を話し合いたくなる。けれど、今回は違った。

 見終えて数日経った今も、ただ静かに自分の中で思い返して、じんわりと余韻が残っているのを噛み締めている。温かいお湯がひたひたと心にしみていくような不思議な感覚。「夜明けのすべて」は、そんな作品だった。

 上白石萌音さん演じる藤沢さんと、松村北斗くんが演じる山添くん。そして、彼らを取り巻く最小限の人々で物語は進む。映画の登場人物としてはとても少ないし、描かれているのはごくありふれた彼らの日常だ。

 大きな事件が起こるわけではなく、ドラマチックな恋が始まるわけでもない。朝起きて、仕事に行って、職場でお昼を食べ、時にはおやつを配り合い、時には仕事の後に飲みに行く。そんな誰もが繰り返しているただの日常。
 だが、その日常が藤沢さんと山添くんにとっては懸命に繋いでいる細い糸になっている。PMSとパニック障害。パッと見には分からないが、爆弾を抱えて生きているかのような危うさが画面越しに伝わってくる瞬間が何度もあった。

“自分の心なのに、自分の体なのに、自分では動かせなくなる。”

 原作の本からの引用だ。藤沢さんは月に一度、PMSのせいで突然怒りのスイッチが入り、イライラしてどうしようもなくなる自分の体に悩んでいる。山添くんが炭酸水のキャップを開ける、プシュッという音がやたらと勘に触り、嫌な言い方で突っかかってしまう。普段だったら気にも留めないはずなのに。

 自分の話になってしまうが、私がバセドウ病の診断を受ける前もこんなふうに普段だったら聞き流せるようなことが引っかかって、カッとなったことがあった。その時はまだ自分が病気だと知らなかったとはいえ、些細な一言に激昂して泣いた私を見て、夫は呆気に取られていた。
 その時、泣きながら頭のどこかで、「私はなんでこんなに怒ってるんだろう」とぼんやり思っていた。自分でも変だな、夫に悪いなと思いながらも涙は止まらなかった。後になってあれは病気のせいで情緒不安定だったのだと知った。藤沢さんは私自身だった。

 映画の話に戻る。
 原作を読まずに映画を見た人たちは、きっと山添くんの第一印象がとても悪かっただろう。やる気はなさそうだし、ぼそぼそ喋るし、和気あいあいとした職場に明らかに馴染んでいない。一人だけ“栗田科学”のジャンパーを着ない山添くん。お菓子を分けられてもそっけなく断り、多分飲みの誘いにも応じたことがなさそうだ。

 彼がパニック障害を抱えていることは、藤沢さんとは違いモノローグでは語られない。山添くんと恋人の千尋さんがクリニックにいるシーンで、ようやくそのことが分かる。
 心配でたまらず、医師にあれこれ質問する千尋さんに対して、山添くんは何とも言えない気まずそうな表情で黙っている。その空気感もまた、私には見覚えのあるものだった。

 父がうつ病だと分かったのは、今から15年も前のことだ。私たち3人の娘には完全に事後報告だった。田舎から突然上京してきた父は、私と妹の前に診断書と退職願のコピーを並べ、「ということで、会社辞めます」と飄々とした口調で言った。あまりにも予想外のことで、飲み込むまでにかなり時間がかかった。
 専業主婦の母と3姉妹。女ばかりの家族の中で、幼い頃から父は文字通り大黒柱だった。いつも冷静で知識が豊富で、論理的。好奇心旺盛でユーモアもある。みんなが頼り切っていた、そんな父がうつ病?世界で一番似合わないとすら思った。

 後で母から聞いたのは、仕事のストレスが凄まじかったとのことだった。眠れず、食べられず、思考がどんどんネガティブに落ちていき、限界を感じたそうだ。
「辞めちゃえ、辞めちゃえ」
 あえて軽くそう言った母に背中を押され、父は50歳の時に30年務めた会社を早期退職し、独立開業する道を選んだ。

 「夜明けのすべて」の原作本では、山添くんがパニック障害になる前どんな人だったのか、少し詳しく描かれている。
 アクティブで友人も多く、千尋さんという恋人もいる。仕事は順調だし、体は健康そのもの。どこにでもいる、ごくごく普通の、人生を謳歌している若者だった。「まさかこの人が」と、誰もが思うような。

 千尋さんが山添くんのことを心配している様子は、あの頃の私たち家族を思い出させた。どんな言葉をかけたらいいか、何をしてあげたらいいか。病気に関する本を読み、父に当てはめてみては違うような気がして、結局何も言うことができずにいた20代の私。母は毎朝仕事に行く父の背中を、見えなくなるまで見送りながら、
「このままふっと帰ってこなくなるかもしれない」
という恐怖を抱えていたそうだ。

 家族だから、恋人だから心配する。だけど近すぎて上手く接することができない時もある。

 千尋さんにしてみればもどかしいことだろうけれど、山添くんが藤沢さんの手助けを受け入れたのは、“他人”ならではの距離感が心地よかったからなのかもしれない。

 映画のパンフレットで表紙にもなっていた、藤沢さんが山添くんの髪を切るシーンがある。いきなり人の髪を切ってしまおうとする藤沢さんの“突飛さ”が、とてもユーモラスな名場面だ。バリカンをウイーンと動かしてみる彼女の姿だけで、こちら側に「あれ、なんかやばそうだぞ」と思わせる。
 案の定失敗した彼女に、怒るどころか爆笑する山添くん。原作では、「2年ぶりに笑った」とある。SixTONESファンにはこの笑い方が北斗すぎてたまらなく愛おしいのだが、それを抜きにしてもこの山添くんの爆笑にはつられて笑ってしまう。
 もし恋人の千尋さんが「髪、切ろうか」と言っても、山添くんはやんわりと、きっぱりと断っただろう。

“千尋の前では、いつもどおりの俺でいたかった。”

 近すぎるから。心配をかけたくないから。弱さを見せたくないから。
 私にとってそれはやはり、娘たちの前では毅然とした父であろうとしたあの頃の姿と重なった。

 この映画の感想でよく見かけたのが、「優しい人しかいない」という言葉だ。
 栗田科学の人たちも、藤沢さんの友人もお母さんも、山添くんの恋人も、誰も厳しいことを言わないし突き放したりもしない。心配しているよ、というアクションは見せるものの、ずけずけと心の中まで追求してくることもない。懸命に生きようとする彼らをただ見守っている。

 山添くんの前職の上司である辻本さんもその一人だ。山添くんが辞めてからも、プライベートで会うほど彼を気にかけている。最初は前職に戻れるよう山添くんを励ますのだが、次第に明るく変わっていった彼がとうとう栗田科学で働き続けたいと告げた時、堪え切れずに辻本さんは涙する。

 家族でも友人でもないのに、自分のために泣いてくれる人が世界にどれだけいるだろう。

 この映画のクライマックスと言ってもいいほどの名シーンだった。「お前が戻れるように、俺がどれだけ骨を折ってやったと思ってるんだ」の一言ぐらいあってもおかしくなかったのに、辻本さんは山添くんの新たな決意を自分のことのように喜んでくれた。
 尊敬する上司が自分のために泣いてくれた。それはきっと、この時の山添くんにとっても大きな励ましになったに違いない。新しい職場の栗田社長もそれは同じだ。若い2人に寄り添いながら、遠くでそっと見守ることを選んでいる。

“前の職場と今の職場の上司の祈り。”

 大切な人を失う辛さを知っている社長は、山添くんの変化に敏感に気がつき、実に嬉しそうな顔をする。その温かさ。

「3回に一回は藤沢さんを救えるかもしれない」
と、山添くんは思うようになる。物語の後半にかけ、藤沢さんと山添くんは実にナチュラルにPMSやパニック障害のことを口にするようになる。彼らの心の距離は縮まるし遠慮もなくなっていくけれど、恋愛には発展しない。それもまた、この作品のユニークなところだ。

 山添くんの部屋で話し込んだ帰り際、藤沢さんは残っていたスナック菓子の屑をざーっと流し込んで一気食いする。それを見た山添くんは、「ないわー」と言いたげな呆れ顔。
 女子だったら、少しでも意識している人の前でこんなこと絶対にやらない。2人の間には本当に色っぽい感情がないのだと私たちは実感する。いちいち説明しなくても見ている側にそれが伝わる、というのは実はすごいことだ。

 物語のテーマとも言える最後のプラネタリウムの場面。藤沢さんの穏やかな優しいナレーションが、「夜明け前が一番暗い」と語りかける。

“喜びに満ちた日も、悲しみに沈んだ日も、地球が動き続ける限り、必ず終わる。そして、新しい夜明けがやってくる。”

 ナレーションを聞きながら、小さく頷く山添くん。その一瞬の表情で、思わず涙がこぼれた。藤沢さんの優しい声は、まさに希望の光だった。「だから大丈夫だよ」と言ってくれているかのようだった。

 この映画が2月に公開された意味をずっと考えている。
 私が暮らす東北は長く厳しい冬の最中だ。けれど、他の地域では梅の便りが聞かれ、着実に春の気配を感じさせられる季節でもある。
 真夏でもなく、厳しい冬に向かう頃でもなく、今この季節に「夜明けのすべて」が公開された意味。それもやはり、「明けない夜はない」し、「終わらない冬はない」というメッセージなのではないかと思ってしまう。

 映画のラスト、あれだけ嫌がっていたであろう山添くんが、栗田科学のジャンパーを羽織って藤沢さんのところへ自転車で向かう。心地良さそうな風を受けながら目を細める彼。ベランダでぼんやりとするボサボサ頭の藤沢さんの頬にも陽がさして、つやつやと輝く。その美しさが印象的だった。

 彼らの抱える問題が「治った」わけではない。彼らの関係が物凄く進展したわけでもない。けれど、彼らはこれからも地続きの今を生きて行く。優しい人たちに見守られながら。時には自分が助ける側になりながら。

 私のバセドウ病は、すぐには治らないと言われている。完治するまでに数年、数十年かかるのかさっぱり先は見えない。独立してメンタルが持ち直した父も、5年前のコロナ禍にうつ病を再発した。それでも生きていかなければ。大切な人たちを大切にしながら、自分の心と体を慈しみながら。

 登場人物たちのような、世の中こんな優しい人ばかりではないだろう。だけど、映画の中でくらい夢を見たっていい。世界は優しいと。自分も誰かに救われることがあり、また救う側にもなれるのだと。ストレス社会の現代、誰にとっても藤沢さんと山添くんの人生は人ごとではないのだと。

 起承転結もオチもない映画かもしれないが、見終えた後は少しだけ景色が美しいと思えた。
 この作品に携わったすべての方へ感謝をこめて。素晴らしい映画を届けていただき、本当にありがとうございました。北斗、誇らしかったよ。