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自己愛性パーソナリティ障害を知る価値について

「自己愛性パーソナリティ障害(NPD)」と言うワードは、僕のTwitterでのアカウントのツイートの8割は占めるくらいの勢いのワードなので、何となく“今更感”が満載ですが、ふと気付くとこれがメインテーマでのnoteは無かったので、振り返りの意味も込めて改めて「自己愛性パーソナリティ障害」をテーマに書いてみる事にしました。

モラハラ加害者が自己愛性パーソナリティ障害の場合

モラハラの原因といっても一重に「これ」と言う決まったものは特には無いのかもしれませんが、モラルハラスメントの提唱者は加害者の特性について「自己愛的な変質者」と述べています。

なので「病的な状態」と言われる「二次性のナルシシズム」が関与している事は間違いないことだと思います。

良く「発達障害」がモラハラの原因だと主張される方が割と多くいらっしゃいますが、基本的には発達障害の方でも育成環境の関係で「ナルシシズム」をこじらせてしまい、「二次性のナルシシズム」になってしまっているのではないかとこの先説明する内容の中からもそう思います。

※モラハラの原因をどう考え、どう捉えようと思うそれはそれぞれの個人の自由なので、被害者本人がそれに納得して前を向けるのであればそれはそれで構わないと思います。

中には「二次性のナルシシズム」が「自己愛性パーソナリティ障害」の核になるとも書かれてたりしますが、個人的にも「ナルシシズム」と「自己愛性パーソナリティ障害」にはかなり共通する部分が多くあるので「二次性ナルシシズム」の延長線上にあるものが「自己愛性パーソナリティ障害」であるのだと思っています。

今回は一応モラハラの加害者が「自己愛性パーソナリティ障害」だったらと言う過程の下で話を進めさせていただきます。


モラハラスイッチ(始まるきっかけ)

自己愛性パーソナリティ障害(NPD)の人間は基本的にニ極思考(白黒思考・分裂・スプリッティング)と言われる極端な考え方がベースにあります。

基本的に知り合ってからモラハラスタートするまでは白黒思考の「白」の状態です。
この状態は「理想化」と呼ばれる状態で、NPDの人間はパートナーの良い面しか見えません。見えないどころか悪い面さえも良い方にしか取らないと言うかなり極端な状態です。

この状態で今のところまだ被害者となっていないモラハラ被害者は今までに感じたことのないような溢れんばかりの愛情(の様なもの)をNPDの人間から与えられているような錯覚を起こします。

この状況が後にモラハラがスタートした時の被害者の決断を鈍らせます。

大体のモラハラが始まるきっかけと言うのは、比較的わかりやすく、加害者にとって都合が悪い状況になったときに始まることが多いと思います。

例えば男性が加害者の場合は、子供が生まれた時です。

本来ならば男性にとっても「我が子が生まれる」と言う事は特別なことで、大変うれしいことです。今時は男性が育児に参加することが一般的になってきているので、もちろん普通の男性なら自分が育児にどう関わっていくかを一生懸命不器用ながらも考えていくことでしょう。

ところがNPDの男性は奥さんに「自分だけを特別扱いして欲しい」と言う思考を無意識の中で持っています。この“無意識”と言うのがなかなか厄介で、無意識なのでそれを表現する方法が本人には分からずにイライラと怒りの感情を募らせるのです。

例えばそれを自覚した男性がいたとしましょう。どうしてもそれを通したいので奥さんに「子供以上に自分を特別扱いしてくれ」と甘えて言って来たとすれば「一般的な男性」からすれば「頭大丈夫?」って聞きたくなりますし、「一般的な女性」から見ても気持ちの良いものではないかも知れませんが、まだ救いようが有るのかも知れません。

ですが「無意識」の中にそう言う感情を、秘めた人間は「思い通りに行かない=怒り」に変換されます。

そこが白黒思考の「黒」に切り替わる瞬間です。

その瞬間は様々なケースが考えられ、出産以外にも引っ越し、家を建てた、同居、借金がばれた、浮気がばれた、それ以外にも加害者本人に都合が悪かったり、自分が優位に立てなかったりと言うところがスイッチになるケースが多いと思います。

スプリッティングによる「理想化と脱価値化」についても知っておいた方が後々役に立つので良いかと思います。

この「理想化と脱価値化」は完全に対象を脱価値化してしまうまでは割と不安定なもので、まだ被害者に対して利用価値があったりすると、ときには「理想化」をしてみたり、都合が悪くなると「脱価値化」をしてみたりかなり不安定な状況が続くことがあります。

一説にはこの一時的な「理想化」の期間をを「ハネムーン期」と言われたりするようですがNPDとスプリッティングの観点から見るとこういう風に見えます。

そして利用価値が完全になくなったことを悟ると被害者に対しての完璧な「脱価値化」が始まります。

スプリッティングを始めとする「認知の歪み」についてはNPDの場合、全て他者にその攻撃性が向かいます。

その上でも「認知の歪み」も理解しておいた方がNPDの人間の心理も理解し易くなるので、もしご存知無い方は下記のリンクを参考にしてみて下さい。


基本的なモラハラの動機①神経症的競争

モラハラの動機は、基本的に加害者の「無意識」の中にあります。

NPDの人間は「自分は特別」で「誰よりも優れていて」「何でも知っていて」「何でも出来て」「何をしても許される」“特別な存在”だと無意識で思っています。

ただ、それを思わせてる要因は「加害者本人が無意識に抱えている想像を絶するほどの劣等感」らしいので益々ややこしい感じです。

普通は劣等感が強い人って卑屈になったり拗ねたりって印象なのですが、とことんまで激しい劣等感になると、それをそのまま受け止める事が出来なくなるので無意識がそれ(想像を絶する劣等感)を無かった事にする為に“虚勢”を張り“傲慢”になるらしいです。

確かに、本当に自分自身に自信がある人ならば、威張ったり怖がらせたりしてわざわざ相手を脅す必要はないですもんね。

なのでNPDの人間はその無意識の中で、自分の本質がバレるのが怖くて怖くて仕方ないと考えていて、そのためにそれがバレないように虚勢を張り傲慢になり、人(ターゲット)に恐れられるように振る舞うのです。

ですが、ターゲット以外の人間には誰から見ても良い人間に見られたい気持ちが異常に強いので、他者から見られた自分を異常に気にします。

※その辺りの使い分けが例えば純粋(二次障害が無いという前提で)な発達障害の人ができるのかと言うところが実際気になるところです。

誰よりも優位でありたいと言う気持ちの表れが、「神経症的競争」と言う形で現れてきます。

「神経症的競争」について詳しくは下記のリンクをお読みください。

簡単に「神経症的競争」を説明すると、“本来ならば競う必要の無い相手と、競う必要の無い事柄でさえも競わずにはいられない”と言う状況で、おまけに“絶対に負けられない”と言う呪いにかかっています。

その為、その勝負に勝つ為には幾らでも事実を捻じ曲げるし、自分の主張でさえもコロコロと変えて行き、どうしても負けそうになった時にはその自分が挑んで来ていた勝負すら無かった事にしたりとやりたい放題です。


普通、自分の主張を通そうとした時には、いかに自分の主張に整合性があるのかを訴えますが、NPDの人間に整合性なんて関係ありません。

※この辺りも二次障害の無い純粋な発達障害の人が何の拘りも無くコロコロと自分の主張を変えられるものかと感じる所です。

多分モラハラの被害者の方なら思い当たる節があるのではないでしょうか。

突然意味のわからない事でキレ始め、自分の優位性を主張し、逆に被害者がいかに劣っているのかを叩きつける様に主張(人格否定)して来る。

それが「無意識」の動機の一つです。

基本的なモラハラの動機②神経症的要求

これもNPDの人間の「無意識」が作用している事ですが、「神経症的要求」が動機の2つ目です。

これも詳しくは下記のリンクをお読みください。

基本的に「神経症的要求」は要求された側が“理不尽だ”と感じる要求なのに、要求した側はそれが何よりも優先されるべき事柄だと信じて疑う事が無い様な状態です。

これもモラハラの被害者の方は当たり前の様に日々苦しめられている事だと思います。

自分は特別な存在で、何よりも優先されるべき人間だと思っているので、それが履行されない時には信じられないくらいの勢いでキレ始めたりします。

自分が要求するのは当たり前なのに、人が同じ様に要求すると自分の事は棚に上げて、鬼の様に人格否定してきたりするのはこれも大きく影響しているのだと思います。


基本的なモラハラの動機③ダブルバインド

「ダブルバインド」と聞いてすぐ分かる方いらっしゃいますか?

僕は全く知りませんでした。でもちょっと調べただけで、その当時の我が家の日常である事に気付きました。

簡単に例をあげて説明すると、
例えばあなたはご主人に

「あそこに置いてある○○を片付けておいてくれ」

と頼まれました。いつもイライラしてるご主人なので機嫌が悪くなられるのも嫌なので、さっさと○○を片付けました。すると…

「あそこにある○○なんで片付けたんだ!触るなって言っただろ!」

とキレ始めました。
その数日後○○が例の場所に出しっぱなしになってたのですが、気を利かせて片付けたりしたらまたキレられるしと思いそのままにしておきました。すると…

なんで○○が出しっぱなしになってるんだ!片付けも出来ないのか!」

とキレ始め… みたいに、このケースだと「片付けろ」と「片付けるな」と言う相反する命令をし続ける事を「ダブルバインド」と言います。

その結果どちらが相手にとって良いのか分からないので片付けるのかどうかを確認すると

「そんな事も分からないのか!」

と配慮したこちらを再度否定して来ます。結果どこにも正解の無い罰ゲームだらけのクイズをさせられている状態です。

これかなりNPDの人間は多用して来ます。

この「ダブルバインド」は言い方を変えるとある種の精神攻撃みたいなもので、長期間こう言う環境にいると何が正しくて何が間違っているのかと言う基本的な基準が正しく判断出来なくなってしまうそうです。

この様なとんでもない悪意の塊の様な所業を“無意識”のうちにやってのける所がNPDの本当の怖さだと思います。

相反する事を要求されるので、明らかに理不尽な要求なので「神経症的要求」に分類される様な気もしますが、特殊だけど特徴的なNPDの攻撃手段なので別にしておきました。

ちなみに「ダブルバインド」は、統合失調症になる心理社会的因子と一説では言われてる様なので、長期間その様な環境にいらっしゃる方はお気をつけ下さい。

※余談ではありますが、この「ダブルバインド」ASD等の発達障害の人には出来ない事らしいです。なのでモラハラだと自覚される環境で「ダブルバインド」がある場合には、ほぼほぼその原因は「自己愛性パーソナリティ障害(NPD)」だと考えても良いと言う事だと思います。


基本的なモラハラの動機④境界線の不全・投影

モラハラ加害者の無意識の動機の中で、一番イメージを掴み難いのがこれなのかもしれません。

そもそも自分とそれ以外の人間の境界線が無いと言う概念が初めは全く理解出来無かったのですが、それをこの「えるえつさん」のnoteで理解する事が出来ました。

リンク先を読む暇が無い忙しい方の為に簡単に説明すると、「境界線の不全」は…

自分と他人の境界線がはっきりとしている人ならば、例えば自分が「パスタ食べたい」と思った時に友達が「ラーメン食べたい」と言ったとしてもそこに怒りの感情なんか湧いて来たりしないですよね。

例え自分が「パスタ」を食べたいと思ったとしても、自分とは別の人間の“友達”が自分とは違う「ラーメン」を食べたいと考えたとしても自分と友達は別々の人間なので食べたい食べ物が違っていても何の問題もありません。

どっち食べに行くかなんて普通に話し合って食べに行けば良いのだと思います。

これが逆に自分と他人の境界線があいまいな人のケースだと、自分が「パスタ食べたい」と思った時点で、「自分の考え=友達の考え」としか考えられないので友達が「ラーメン」と言った時点で「え?何冗談言ってるの?本当はパスタが食べたいんでしょ?正直に言っていいんだよ?」みたいにこちらの思いは無視してやたらめったら考えを押し付けて来る人いませんか?それが「境界線の不全」な人です。

今まで説明したものとこれらが複雑に絡みあって行くのですが、先程説明していた「脱価値化」した後にこのケースだとすると、加害者が選んだ「パスタ」が唯一無二の“正義”でそれ以外の選択肢は全て“悪”となってしまいます。

加害者が「脱価値化」した対象が「ラーメン」なんて言い出そうものならとんでもない事になり、世の中全てのラーメンを食べる人を「悪」と言い出したりする可能性もあります。

彼(彼女)等にとって「脱価値化された悪」は何をどうしたとしても許される存在(奴隷の様なもの)なので、どれだけ酷い言葉で暴言を吐いたり人格否定したとしてもそれらは彼(彼女)等にとって“正義”の行いになります。

次の「投影」ですが「えるえつさん」のnoteのリンク先を読まれた方ならもうお分かりでしょうがこれも簡単に説明させて頂きます。

NPDの人間は基本的に自分は誰よりも優れていて、唯一無二の完全な人間だと思っている反面、そうで無い自分がいるのも無意識下では分かっている様です。

ですが“そうで無い自分”の存在をNPDの人間は許しません。では、その“そうで無い自分”をどうするかと言うと、その“そうで無い自分”を脱価値化した対象に押し付けるのです。

ちょっとこの様な言葉では分かりにくいかも知れませんので、ちょっと言葉を変えて説明してみます。

加害者は自分が努力の嫌いな“怠け者”だと無意識て理解していたとします。

ただ、自分が“怠け者”だとバレてしまうのが怖いので、自分が嫌いな人間が少しでも休憩しようとするとその人間に対して「怠け者!」と強く攻撃します。

明らかに加害者よりも働き者だと自覚していた被害者は「怠け者!」と攻撃される意味が分からず反論します。

それに対して加害者は何が何でも被害者を“怠け者”に仕立て上げ無ければならないので、その反論に対し「怠け者だと自覚があるから言い訳をしてる」的な言い回しでとにかく被害者が自分で「怠け者」だと間違った認識をするまで責め立てます。

これをまともに受け取ってしまうと、本当に意味が分からないし、明らかに事実と違う事でさえそれが当たり前の様に責め立てられるので被害者は何が正しくて何が間違っているのかと言う感覚が次第に狂わされてしまいます。

この様に「境界線の不全」な人間が対象となる人を「脱価値化」をする事でモラハラは加速していきます。

事実を捻じ曲げる考え方は「認知の歪み」を理解するのが手っ取り早いので、まだご覧になっていない方は先程のリンクを参考にして下さい。

ただ、「投影」に関してはある程度理解していると「加害者からの攻撃」のはずが「加害者からのカミングアウト」になっていたりするので、その後の交渉等の材料を見つけるチャンスだったりします。

こんな言い方をするのはちょっとどうかと思いますが、NPDの人間はその特性により何事も思い込みが激しく、物事を決め付けて考える傾向があるので、普通の人間の様に様々な可能性を多角的に考えたりする事が出来ません。

なので「え?馬鹿なの?」ってつい思ってしまう様な事を考えていたり、言い出したりしてしまいます。

これらの事を理解せずに対峙すればそれは、

「得体の知れない理解不能な恐怖」

ですが、理解する努力を続け、それらに対する理解が深まれば

「底が浅くて薄っぺらの自分にとって何の価値も無い何か」

と言う認識に変わって行き、そこまでなって仕舞えば被害者も心理的にはかなり楽になって行くので、やはり理解する事をおすすめします。


自己愛性パーソナリティ障害(NPD)の人間の目的

はっきり言ってNPDの人間は、例え社会的地位がある人だとしても「人格者」とは程遠い存在です。

ですが、ターゲット以外の人間の前では「人格者」であろうとします。

でもNPDの人間の無意識は「自分が人格者とは程遠い存在」だとわかっています。

そこで「とにかく“誰か”より優位でありたいと言う願望が出てくるのです。

そこにちょうど良く「優しく」「思いやりがあり」「利他的」で「共感力」があり、「真面目」な人(俗に言う被害者体質)がいるとその人を自分が優位になる為の生贄にするのです。

その為の手段がここまでに説明して来た事柄です。それらを使い被害者の精神面をボロボロにして、自分の悪い部分を全部担って(怒りや憎しみに溺れ)くれて、オマケにムカついた時には思う存分サンドバッグになってくれて、一生離れる事が出来無い(共依存)忠実な召使いにするのが多分目的なんだと思います。

ただ、何度も言いますがこれらの事(攻撃)を被害者がボロボロになるまでしておきながら、それらを全て“無意識”が支配しているので、心の底から「自分は正しく、自分が正義だ」と言い切れてしまう異常性がNPDの本当の怖さなんだと思います。


まとめ

一応これをご覧になっている方は「自己愛性パーソナリティ障害」と言うものにある程度理解されてる方だとは思いますが、念の為、初めて「自己愛性パーソナリティ障害(NPD)」を知った方の為に注意事項置いておきます。

もし、あなたを苦しめる「モラハラ加害者」が「自己愛性パーソナリティ障害(NPD)」かも知れないと、このnoteを見て感じ取った方は“必ず”この下のリンクを読んで置いて下さい。

間違ってもモラハラ加害者に「あなたは自己愛性パーソナリティ障害なのよ!」なんて絶対に指摘したりしないで下さい。

注意事項にも書いていたと思いますが、それをモラハラ加害者に伝えるメリットは何一つありません。

以前に何かで「あなたがしてる事はモラハラよ!」と指摘する様に勧めてる何かを見た事がありますが、モラハラ加害者にそれを指摘するメリットを僕は1ミリも感じません。

これは僕の個人的なNPDに対する受け取り方ですが、NPD自体普通の心療内科では診断すらして貰えない事が多い様です。(診断したりするとその瞬間から悪質なクレーマーをお医者様自ら作り出してしまう事になるので出来るだけ避けたいと言う事らしいです。)

それどころか自分の事を「障害」があると指摘された時点でNPDの人間は最大限の攻撃をされてるとしか認識出来無いので、それをきっかけにモラハラが激化したり、下手したらDVされてしまう可能性だってあると思います。

そんなまともでは無い人間を病院に連れて行く事自体、至難の業だと思います。

※一部の環境(自分が何もしなくても思う様な生活が出来る等)においては素直に病院に行き、何かしらの障害の様なフリをして、それを言い訳に何もしなくなる可能性もあります。NPDの人間は非常に狡猾です。

本人も認める事は無い、病院でも診断すらされない様な「特殊な障害」に対して「正確な診断」を求めるのは実際に無茶な話で、個人的には「診断」される事よりも、もっと大切な事があると思っています。それは、“被害者がその可能性(もしかしてNPD?)を知る”と言う事です。

自分を苦しめる人が「自己愛性パーソナリティ障害」なのかも知れないとその可能性を知る事で被害者が一番に考え無ければならない事は、その人(NPD)は他者に依存する事しか考えられないが、逆にこちらからの依存(願い・希望すらも)は一切受け止める能力は無いと言う事です。

簡単に言えば、「被害者側は利用されるだけ利用し尽くされるが、加害者側(NPD)は聞く耳を一切持たない」と言う事です。

それは「願い」や「希望」だけでなく、被害者からの「怒り」や「憎しみ」さえもまともに届く事は無いと言う事で、それを知る事が出来た時点で初めて被害者はその労力を違う方向に持って行く決意が出来るのだと思います。

以前にTwitterでもツイートしましたが、モラハラの加害者が「自己愛性パーソナリティ障害(BPDとの併存も含む)」と知る事で被害者の選択肢は、ほぼほぼ「あきらめる」しか無くなります。

相手は普通の人間ではありません。簡単に言えば「弱者を相手にして戦う事しか知らない特殊な戦闘民族」の様な存在です。

そんな特殊な存在を前に普通の人間が「諦める」と言う選択肢を選んだとしても、何も恥じる事は無く、それを「諦める(ポジティブに)」事で平和で穏やかな世界に辿り着けるチャンスが出て来ます。

それと「自己愛性パーソナリティ障害」と合わせて「被害者体質」と言うものを理解する事でもう一つ大きなメリットがあります。

これは一度モラハラの被害から逃げ出す事が出来た後の話になるのですが、上記の2つをしっかりと理解する事で今後この先でNPDの人の「餌食」になり難くなります。

流石に100%と言う訳にはいかないとは思いますが、NPDの人を近付き難くし、その上でNPDの人間を早めに見抜く事が出来る様になります。

たまに「最初からモラハラする様な人間なんて見抜ける訳が無い」とTwitterでも見かけますが、正直僕も初見では全くそれを見抜く事が出来無かった1人です。

ただそれは当然「自己愛性パーソナリティ障害」や「被害者体質」なんて全く知らなかった時の事で、逆に離婚した今でもこれらの事を知らなかったならば、当たり前の様にまたNPDの罠にかかっていたかもしれませんし、そういう知識も無く「モラハラ予備軍」に気付くなんて僕も同じ様に難しいと思います。

たまにTwitterで見てても、前のパートナーがモラハラで、再婚した相手がまたモラハラだったと言う方を見かけたりしますが、多分そう言う方はNPD関連の情報を知る機会が無かった方の様に感じます。

正直なところ、例え初見であっても「自己愛性パーソナリティ障害」やそれに付随するその他の情報や、「被害者体質」についての知識や理解があればと言う前提ですが「モラハラ予備軍」を事前に見分ける事は可能だと思っています。

なので、時が来れば自分の子供にもその事はきちんと教えるつもりです。我が子の幸せの為に。

このnoteをお読み頂いている皆さんには、
「モラハラ予備軍なんて最初から分かる訳無い!」
とただ決め付けて、学ぶ事を放棄して同じ悪夢を何度も繰り返したり、我が子にも同じ悪夢を見せてしまったりする事の無い様に「NPD」だけに限らず沢山の知識を身につけて、何事も人のせいにする事無く自分の足できちんと立つ事の出来、自分と自分の大切なものをしっかりと守っていける様になって頂けたらと思います。

それではまた。

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