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春を、迎えに行く。

節分、立春が過ぎ、暦の上ではもう春が始まるんですね。先週も雪かきに追われ、春が近づいてきてるなんて全く感じられないのですが…。

この時期になると、必ずと言っていいほど繰り返す会話。
「もう、雪はいいよね」

そう、「今シーズンはもうお腹いっぱい」という意味をこめて、毎年同じ会話をするのです。

春は春で雪解け水で道路がべちゃべちゃになり、大変なんですけどね。それでも「この雪かき生活から解放されたい」という願いがこめられているのです。

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会社勤めをしていると、1か月先、2か月先の予定に向けて今から準備をしなければいけないことがあります。わたしも春や桜をイメージした催しを考え中。

これが、案外、楽しいんですよね。
気分だけは、もう春。


以前は、こんな風にやらなければならないことが向こうから近づいて来るのを、うんざりしながら待っていたんですよね。

「あぁ、やることがいっぱいだ」って。
そして、期限ギリギリまで見ないふりをしてみたり。

でも、最近気づいたんです。
やらなければならないことが来るのを待つより、こちらから迎えに行った方がずっと楽なんだって。

そう、仕事の担当が定期的に回ってくるのはわかっているのだから、まだまだ先のことを、今から用意していたっていい。

『アイデアのストック』というやつですね。

以前のわたしは『ストック』というのがどうも苦手だったんです。それは、「その日の気分で動きたい」という想いが強いから。

手帳に書きこむ予定もほとんどないし、買いだめをしないので冷蔵庫もスカスカ。「その日暮らし」が好きなんです。

「その日暮らし」を検索すると、こんな説明がされていました。

・日当によって毎日を食いつなぐ者
・人生の目的を持たない者

まぁ、昔からいい意味で使われる言葉ではないと知っていましたが…。

わたしの感じている「その日暮らし」とは、「自由な暮らし」のこと。未来の何かを考えながら暮らすのは、窮屈なんです。起こってもいない未来の何かに縛られるよりも、今を充実させたい。そんな想いが強かったのです。

それは今も変わりはないのですが、最近は「少し先のことを考えながら暮らすのも、時には楽しいな」と。きっと、以前は「未来に備える」が楽しいことと感じられなかったんでしょうね。

「病気になった時のために」
「失業した時のために」
「災害に遭った時のために」

どれもこれも考えると暗い気持ちになるものばかり。

でも、「未来の何か」って、別にネガティブなことばかりじゃないですもんね。そういったことを考えてしまうのは、ただの思考のクセ。それに気がついてから、ちょっと先のことを考えるのが、嫌ではなくなりました。

そうやって違う方向から未来を受け止めていくと、その「ちょっと先」が仕事のことだとしても、苦ではなくなってきたのです。

期限ギリギリになって絞り出すと、やっぱり気持ちの焦りがあるし、細かい所まで詰めていけないのです。

一方、前々からストックしていたものを調整して使用するとなれば、「この部分は、もうちょっと工夫できるかも」なんて考える余裕も出てきます。そしたら自分の中で完成度が高いものができるし、いいこと尽くしですよね。


ということで、わたしは今、春に向けていろいろ思案しているところ。「冬、長いなー」なんてぼやきながら暮らすよりも、ずっといいですよね。




ステキな一日を★

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