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多様性の敵についてー『青のフラッグ』を読んで

昔からマンガやアニメを見ていて惹かれるのは、主人公ではなく「敵」だった。

彼らが話す言葉が好きだったからだ。

敵が言葉を語るとき、切実な思いが表れることがある。主人公の敵となった動機には、不遇な過去や不器用な性格、彼らの理想が反映されている。

主人公が持つ絶対的な信念とは異なる、その複雑な心情に共感し、心が動かされていた。

しかし多くの場合、敵は言葉を奪われる。

ショッカーは「イー!」しか言えない。
弱い海賊には名前も与えられない。

彼らの思いは単純化され、主人公の思想を支える材料にされる。

それが残念だった。

でも『青のフラッグ』は違った。

青のフラッグは高校を舞台にした学園モノで、主人公・親友・ヒロインという三角関係のよくある物語。しかし、同性愛が物語を動かす主軸となる。

青のフラッグで取り上げられる1つのテーマは「多様性」だ。LGBT含めマイノリティの人物を中心に物語が進んでいくため、読者はマイノリティ側に共感し、多様性を善として、読み進める。

だから多様性を受け入れない人物は、敵に思える。
そして、ゲイを「気持ち悪い」と言った人物、ケンスケは敵になった。

ケンスケは喧嘩っ早くて言葉も暴力的、他者の気持ちを想像することも少ない。主人公や主人公の周りの人物が他者への配慮を忘れない人たちだから、対になる存在だ。

敵を好きになることが多い自分から見ても、ケンスケは何の魅力も感じない「陳腐な悪」に思えた。

しかし、作者はケンスケから言葉を奪わなかった。



物語の終盤、ケンスケが多様性を支持する人物と話す場面がある。

「オレは、」「オレにとっちゃ、」「オレからしたら、」とケンスケは、彼の意見を話す。

「普通は、」「そんくらい、」「それだけで、」と相手は、ケンスケの意見を全て否定する。

ケンスケが「オレ」を主語にして、彼の言葉で彼の思いを話しているのに対して、多様性を正義とする人物は彼の意見を一切受け入れず、「普通」を主語とした一般論で叩く。


ふたりの言葉の重さを比べたとき、多様性を絶対の正義と考えていた自分は、多様性という概念が持つ空虚な一面に気づいた。



多様性は、現代のイデオロギーだと思う。

マイノリティを否定するような考えを話せば、すぐ誰かに石をぶつけられる。相手の言葉は聞かず、よくある言説がそのまま相手の考えだと思い込んで、否定する人がいる。

もちろん、相手の意見をよく聞いて話す人もいる。でも、やはり叩くだけの人が多いし、自分にも思い当たる節がめちゃくちゃある。


しかし、多様性が受け入れられない人にも個々の考えや動機がある。

社会的に正しいとされる思想を受け入れられない自分に苦しんでいて、必死に理由を言葉にした、切実な意見を持つ人もいる。

青のフラッグを読んで、自分は、そんな人たちの言葉を奪っていたのだと気づかされた。



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