見出し画像

めげないしょげない、でも泣かせて

たった2日で仕事を辞めた。
前回【やめる気持ちよさ】についての記事を書いたばかりだったから、何とも言えない気持ちだ。今回は何も積み重ねてもいないし、がんばってもいないので気持ちよくもなんともない。何もない。ただただ情けない。

そもそもフルタイム募集のところに、これまでの経験を買われて週3、4時短での勤務という、希望をかなえてもらっての雇用だった。
そこそこ時間をかけての採用だったし、業務を私の勤務日数に合わせて調整するとのことで待つ時間もあった。
だが、蓋を開けてみれば“フルタイムの人がやる仕事を何とかやってみてね”という内容で、“私の首が回らなくなってから業務調整するね”というものだった。
ちょっと聞いていた話と違う。
新しいことを覚えるのは好きだし、業務が多岐にわたるのはかまわない。だが、勤務日数の関係でスケジュール的にカバーできない仕事がいくつもあって、ちょっと意味がわからなかった。あまりにも無責任な仕事の渡し方だった。

わたしががんばれば何とかなる仕事だったかもしれない(なし崩し的に勤務日数を増やすことになっただろう)。けれど、給料と見合っていないし、これではフルタイムで仕事をやらないという選択をした意味がまるでない。精神的にも肉体的にも負担を強いられる業務内容だった。
引き継ぎが完了してから「できません」と言うよりも、辞めるなら早く決断してしまおうと思い、早々に辞めることを伝えた。
申し訳ないけれど、あまりにも無責任な采配すぎて呆れてしまった。業務調整とはなんだったのか。

今回のことは先方に非があったものの、それでもそこそこのダメージがある。
数カ月ぶりの就業だったし、何よりもそこの会社で働くことをたのしみにしていた。
文章作成や校正の業務があるのも魅力的だったし、Macで仕事をすることも、久しぶりにAdobeのソフトをいじることもたのしみだった。残念。

また人と関わることが少ない業務と聞いていたが、実際には多くの人とコミュニケーションをとらなければ難しい業務だったし、2日働いただけでかなり精神的に擦り減ってしまった。
正直なところ、自分がここまで人と関わることができなくなっていたとは思っていなくて、これが最もショックだったかもしれない。本格的に体を壊すまでは、ずっと人と関わる仕事をしてたのにな。

昨年までの数年間の間にストレス由来の病気を数えきれないくらい発症していて、もうこれ以上、負担がかかる仕事はできないことを自覚している。
2年ほど前に無理して就業をつづけたところ、帰りの電車に乗れなくなるほどパニック発作を起こしてしまったことがある。動悸がしてから涙が止まらなくなって過呼吸から呼吸ができなくなった。家族に何回も迎えに来てもらった。次、パニック発作を起こしたら電車に乗れなくなってしまう気がする。だから、その前に辞める。

これまでに何度もぺちゃんこになっているから、自分のことが少しずつわかるようになってきた。ストレスを回避する。わたしの心ががんばりたいと言っていても、精神はそれを拒否し、体を壊す。それで何度となく挫折してきた。たくさん迷惑もかけてきた。その度に心がすり減って、生きていることが嫌になる。

これまで自分のことを何度も甘えだと叱責して、がんばってきた。でも何もいい結果にならなかった。がんばればがんばるほど、精神も肉体もぐちゃぐちゃになっていく。がんばったら酷いことになるから、がんばることを諦めなきゃいけない。
わたしの生きる意味って何なんだろう、がんばることをしちゃいけない人生って何なんだろう……そう思うけれど、病気なんだからと受け入れるしかない。

たくさん泣いて、寝て、美味しいものを食べて、思考を整理してまた明日から新しい一歩を踏み出す。生きていかなきゃいけないから。

おさまっていた過敏性腸症候群がすぐにムクムクしだすから、いっぱい食べることは禁止なのだけれど、たまにはね。過食は自傷行為でしかないけれど、たまには許されてもいいんじゃないかと思う。
20代は自責と内省の繰り返しだった。もうそのフェーズは終わったから、駄目でも自分くらい自分を愛してあげたい。というか、なんとか愛そうと歩み寄ってる。
自分の能力を活かしたいなって思うけれど、精神が、体がそれを許してはくれないから、出来ることを地道にやっていくしかない。

めげない、しょげない。
でも泣かせてね。

がんこちゃん

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?