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それでも世の人は、東大を舐めずにはいられない

数年前に東大を卒業し、会社員をやっている20代女性です。

下記のnoteがバズっています。

タイトルこそ「東大を舐めている全ての人たちへ」ですが、内容は誰かが東大を舐めるか舐めないかにあまり関係なく、東大に合格することがいかなる努力を要し、どれだけの精神的苦痛を伴うかが表現されています。

私は小学校からエスカレーター式の私立高校から東大に進学しました。なのでこれを書いた彼のように中学受験こそしていませんが、東大に入学するために同じだけの苦痛を強いられてきた自覚があります。テストや模試の点数が最高点やAランクでないと、既に東大現役合格していた兄と比べられ「お兄ちゃんと同じように育てたのに、どうして同じに育たないの?」「妹は産まない方が良かったのかな」と母から言葉の暴力を受ける毎日。そんな中で「勉強しないと/東大に行かないと生きている意味がない」という謎の強迫観念に迫られ「起きている時間はずっと勉強」状態となり、なんとか現役合格しました。

こうした経緯があるので、上記のnoteの内容や書いた彼には至極共感します。この記事を読んで、世の人が入試の大変さや教育に執念を持つ親の残酷さを知るのはとてもいいことだと思います。

ただ、私はタイトルにどうしても反応してしまいました。「東大を舐めている」人たち。これは本当に、多数存在します。

社会人を数年やって感じます。

『東大入試は辛かった。でも東大卒業後も、同じだけ辛かった』

これをどうしても伝えたいと、記事を読んで思ってしまいました。東大生に、世の中の人に。

あくまで一般企業に入社した東大卒業生の一意見ですが、伝えさせてください。

東大に入学して、それなりに勉強して、それなりにいい友達もできて、楽しい大学生活を送らせてもらいました。大変だったけど、入試頑張ってよかった。そう思える4年間でした。

卒業してから、私は一般企業に就職しました。周囲の友人たちは官公庁やコンサル、商社、メガバンク等「ザ・東大卒」というイメージの進路を選ぶ人が多かったですが、私は自身のやりたいこともあり、BtoCの日系大手企業を選びました。

社会人になってからが、地獄でした。

世間の人たちは、私の想定の10倍以上、東大を舐めたがっていました。

私の就職した企業には、いわゆる「高学歴」の先輩はあまりいません。MARCH、関関同立がかなり上位と言われるイメージで、役職者は日東駒専あたりの学歴の方が多い感じです。(念のため言っておきますが、ここでは事実を述べているだけです、私は自分より低い学歴に対してバカにするような気持ちは一切持ってません)

だからこそ、なのかもしれませんが、入社した時は数奇の目で見られました。

新入社員として自己紹介をし、学校を聞かれて「東大」と言った瞬間、周りの人の目から光が消えたのを覚えています。

「まあ、仕事には勉強は関係ないからね」

東大、と言ったそのすぐ後に、その場にいた一番偉い役職者の方が仰いました。私は「東大だから仕事ができます」のようなことは一切口にしていません。ただ、学校を聞かれたから、東大です、と事実を答えただけでした。

その場にいた一番偉い人がそんなこと言うもんだから、周りの先輩がたも次々に同調しました。「仕事は人と人との関わりですからね、勉強できることは関係ない」「ですよねー、俺の同期の高学歴のやつも全然営業できなくて」「経験の方が大事ですよね」・・・。私は、東大卒というプロフィールを持っているだけで、なぜこんなに怒られているんだろう、そういう違和感をその時、初めて抱きました。

その違和感は、仕事をしていく中で、どんどん大きくなっていきました。

私自身、受験は集中力に頼って乗り越えたシングルタスク型の人間で、仕事があまり要領よくできるほうではなかったので、叱られるのは致し方ないことだったと思います。ですが、叱られるときの文句が謎だった。

「お前、東大のくせにこんなこともわかんないのか?物覚え悪いんだな」
「お前が東大出てもそんな感じなら、俺も東大受けてみようかな」
「ちょっと勉強できるからって先輩のことバカにすんなよ。俺の方が長く生きてるからな」

全部、実際に会社の上司や先輩や取引先から言われた言葉です。一言一句そのままです。

私は一般企業に入社して最初の一年、東大を卒業したことを心底後悔しました。

大学名を聞かれ、言った瞬間に構えられる。

マウントを取っていないのに逆にマウンティングされる。

人より苦手なことがあると、人の数倍バカにされる。

東大を出て、一般企業でいいことなんて何もなかったです。

2年目になってからはさすがに、プロフィールでのハンデは自分の人間性や業績で押しつぶさなければならないという当然のことに気づき、「いじられる」コミュニケーションや、「下から」目線に努力するようになりました。また、当たり前ですが仕事を必死で覚え、人より先に新しいことをし、人より努力し、一番の成績を出し、バカにされる機会をゼロに近づけました。

学歴を聞かれることも、当然あまりなくなりました。

ただ、上記のようなコミュニケーションと業務に関する血のにじむ努力をして、ようやく、人並みに扱ってもらえるようになったのです。

東大という学歴は、若手のうちは足枷でしかない。心底そう思いました。

恐らくですが…会社の先輩方からしたら、当たり前に自分より立場が下であるはずの新入社員が、「東大」という事実だけで、一側面でも自分より社会的に「上」と判断されるものをもっているわけです。(本人が上だと思っているか、いないかに関わらず。)

それは、彼らにとっては圧倒的な危機。どうにかして、自分が「上」だと周りに、後輩に、自分に、言い聞かせなければならない。その結果とる行動が、「東大を舐める」なんだと思います。

どんなに東大がすごかろうと、というより、東大がすごければすごいほど、世の人は東大を舐めざるを得ないのです。

もちろん、受験のときに死ぬ気で努力した経験は、いまの集中力の高さに繋がっています。現国や地歴の回答を書くために培った論理力、構成力は、仕事の体系化にも繋がっています。

けれど、あの「起きている時間ずっと勉強していた」日々の、「生まれたことを罵られながら勉強していた」日々の、対価が、これか。という失意はありました。

そういう残念な気持ちを抱くような社会が、まだ、現実にあります。私以外に、同じ思いをしている東大卒業生はたくさんいると思います。

けれど、私はこうした社会に対して、東大卒業生本人が頑張る、以外の解を見つけられていません。

だからこそ、冒頭の彼のnoteが、もっとたくさんの人に読まれ、もっとたくさんの人が「東大に入学するということ」のなんたるかを知ってほしいと思います。知ったら知っただけ、バカにする人も増えますが。。

そして、私のこの記事も、できるだけ多くの人に届けばと思います。社会の現状を知ってください。

社会人も数年目になった私は、来週からまた、自分の東大ブランドを自分で下げまくり、ネタにし、芸人として生きていきます。そして、人の数十倍努力して、誰にも文句を言われない仕事を頑張ります。


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