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〈NFTアート〉への共同ステートメント

はじめに

この記事は、2022年4月22日より5月1日まで、東京都千代田区の3331 Arts Chiyodaで開催中の展覧会「Proof of X」のイベントの一つとして開催したトークイベントの記録です。この展覧会には、一般的に認知されているNFTおよび〈NFTアート〉とは大きく異なる、先端的な作品が展示されています。かなりハイコンテクストではありますが、期間中の多くの時間帯にアーティストが複数在廊し、直接対話することができます。NFTおよび〈NFTアート〉に期待している方、懐疑的あるいは否定的な方、いずれにとっても学びの多い展覧会だと思います。ぜひご覧ください。(小林茂)


  • 日時:2022年4月24日

  • 会場:3331 Arts Chiyoda

  • ホスト:Akihiro Kato、Toshi、wildmouse

  • ゲスト:高尾俊介、小林茂

  • 議事録作成:小林茂

トークイベント

登壇者自己紹介

加藤:会場も温まってきた頃だと思いますので、そろそろ始めさせていただこうかなと思います。これは「3331 Arts Chiyoda」というところで開催しております「Proof of X—NFT as New Media Art」という展覧会で、4月22日からスタートして5月1日まで行われております。この展覧会では、NFTを中心に、ただ画像と紐付けたようなものではなくて一つのメディアとして、特性だったりとか効用だったりとかを、それぞれの作家が考えたりとか、いろんな視点で捉えて作った作品が展示されています。そんなに大きいスペースではないんですけど、かなり充実した内容になっております。これは〈NFTアート〉への共同ステートメントというトークイベントなんですけど、それ以外にこの後3時からもトークイベントがまたありますし、まだまだいくつかTwitter Spacesなどでも関連イベントとして行っていく予定です。この1週間ちょっと、〈NFTアート〉について少しでも興味を持っていただけて、見ていただけると嬉しいです。会場にhasaquiさんと永松さんが書かれた、NFTアートの現状とかいろんな論考が載った44ページの冊子がありまして、すごく重要な内容になってます。投げ銭システムですので、お気持ちを入れていただいて、持って帰っていただけると嬉しいです。後からおそらくネットでも公開するとは思うんですが、確実に早く手に入れたいとか、見たい方は会場にいらしていただけると嬉しいです。

はい。今回のトークでは「〈NFTアート〉への共同ステートメント」について話します。2021年の11月19日にIAMAS主催で行った「〈NFTアート〉の可能性と課題」というイベントを起点にスタートしたんですけども、いろいろ関係する方々を巻き込みつつ、全4回Twitter Spacesで行った議論などをもとに、最終的にステートメントをまとめていきました。ここにいる4名と、オンラインで繋がってる高尾俊介さんという方が起案者になってまとめております。会場でも壁面に展示しておりますし、GitHub Pages等でもご覧いただけますので、後で見ていただけると嬉しいです。

今日はそれに関するトークを展開させていきたいと思います。ちょっと簡単に自己紹介をそれぞれいただけますでしょうか。

wildmouse:株式会社TARTのwildmouseと申します。普段はブロックチェーンエンジニアとして働いていて、クリエイターさんの活動を支援させていただいています。今回の「 Proof of X」展において3作品ほどを展示させていただいて、〈NFTアート〉の共同ステートメントにおいては、技術的支援で関わらせていただいた者になってます。よろしくお願いします。

高瀬:同じく株式会社TARTのToshiといいます。よろしくお願いいたします。私は今日一緒に登壇しております高尾さんと一緒に、《Generativemasks》というNFTを発行・運営させていただいておりまして、そのご縁から〈NFTアート〉への共同ステートメントの策定にも関わらせていただきまして、一緒に議論をしてまいりました。wildmouseと一緒に本展にも3作品ほど展示をさせていただいている者でございます。よろしくお願いいたします。

小林:情報科学芸術大学院大学[IAMAS]の小林と申します。この〈NFTアート〉への共同ステートメントのきっかけとなったイベントを主催したことからこれに関わりまして、主な役割としてはテキストとしてまとめていくところとか、議論の整理みたいなところを担当していました。どうぞよろしくお願いします。昨年の11月19日に開催したイベント自体はオンラインで行ったもので、記録はYouTubeで今でもご覧いただけます。全編で3時間位のものになっております。

高瀬:3時間もあったんですね。

加藤:3時間話しました(笑)。19時スタートで22時でしたね。

小林:終わった後にまたオンラインで交流会みたいなのやったので結構長時間でした。

加藤:起点の話もまた後で出ると思います。じゃあ、高尾さん続けてお願いします。

高尾:はい、高尾です。クリエイティブコーダーという肩書きで、現在は神戸市にある甲南女子大学というところで教員をやりつつ、クリエイティブコーディングを続けてやっています。NFTアートでは《Generativemasks》というプロジェクトで、作品をリリースしつつ、広くコードで表現するみたいな活動を続けてやっているところです。今日はよろしくお願いします。

ステートメントのはじまり

加藤:よろしくお願いします。この5名で進めていただきたいと思います。まずは〈NFTアート〉の共同ステートメントについて、どういう経緯でこれが始まったのかというところから。2021年11月19日の〈NFTアート〉の可能性と課題というイベントの後に、僕と(小林)茂先生と高瀬さんで何かについて話す機会がありました。そのときに、今すごい盛り上がってるけど、いろんな問題や混沌とした状況がある中で、ただ盛り上がってるのをそのまま盛り上がったままにしておいて、何も言わずにこのまま進めていくと、ただ投機的な部分だけが盛り上がってしまう。参加したアーティストにとっても良くないし、弾けたときとか、ブームが去ったときに何が残るんだろう。コンセプトを持ってやってるアーティストの方もいらっしゃるはずなので、その時にそういうことを考えている人がいるっていうことを、何らかの形で出した方がいいんじゃないか、という話があり、それをきっかけに始まった気がしています。

高瀬:ちなみにこのイベント自体は、そもそもそういうのが念頭にあって開催されたものなんですか?それとも興味関心みたいなところからだったんですか?

小林:このイベントは開催が11月19日です。《Generativemasks》が8月にリリースされた後に大きな話題になっていて、1ヶ月後位に加藤さんが《WAN NYAN WARS》っていうのを始めて、これはかなり面白いなと思っていたんです。

この2つを紹介するようなイベントができないかなって思ってお2人にお声がけをして、「11月だったら何とかできそうです」っていうことになったんで開催するって感じだったんですね。その時には、そういう面白い活動があり、〈NFTアート〉自体も投機的なものとして捉えられてきてたけど、「そうじゃない、結構いろんなこと考えてる人たちがいるんですよ」っていうのを、ちょっとでも伝えられたらなと思ったんですね。参加した方は200名ちょっとくらいでした。事前のアンケートによると6割ぐらいが暗号資産をお持ちの方で、NFTアートも買ったり、売ったりしたことがある方も一定数いるという、当時の日本の状況からするとかなりレアな層の人たちが、集まっていただけたと思うんです。それゆえに、そこでかなり熱い議論が展開され、質問もとてもじゃないけど全部は紹介できないくらいのすごい数だったんですね。当初、事前打ち合わせで高尾さん、加藤さんと話してたときには、「Discordのサーバーとかも作った方がいいのかな?」「いやでも大変なので作るのはやめましょう」ということだったんです。でも、最後の方になっていくにつれ、「やっぱりここで出てきた話は継続しなきゃいけない!」と思って、2人に「ちょっとすいませんあの話繋いでください」と言っている間にDiscordのサーバーを立ち上げて、それをみんなに紹介して、終わるみたいな感じでした。

加藤:今映ってるのが、〈NFTアート〉の可能性と課題を経て作られたDiscordのサーバーです。今でも何かちょこちょこっと気になった作品のつぶやきがあったりします。

公開までの経緯

高瀬:そこで議論が行われたり、問いかけが小林先生の方からあったりとかするのを拝見して、僕もそこで自分の思いを長文にまとめてバーンと投げた記憶がありますね。

小林:そうですね。最終的に掲示されてる形にまとまった「〈NFTアート〉への共同ステートメント」というテキストなんですけど、高瀬さんがそのDiscordに最初に書いたものとかっていうのが結構使われてる部分があるんですね。僕が「こうなんです!」って言って書くっていうよりは、皆さんが書いていったことを紡ぎ合わせて、そこから発酵するような感じでできないかなと試してたんです。だから、高瀬さんが最初に書かれたあの長文は、骨子というか重要なパートになってると思います。

高瀬:なるほど。ありがとうございます。

wildmouse:今、Discordを見返して高瀬さんのメッセージを見てるんですけど、TARTという会社がクリエイターのNFTをサポートさせていただいて、実際にプログラマティックなNFTを具体的にやっているところを反映したメッセージを書いてますね。最初の配信のときの議論から、抽象的な「ちょっと危機感を持った方がいいんじゃないか」っていうお話をいただいた上で、高瀬さんが具体的なメッセージを出してきて、始まったのかなという印象ですね。

高瀬:当時としては、《Generativemasks》を高尾さんとご一緒させていただいて、一定の反響がある中で、まさに渦中に自分たちが入っていった瞬間から3ヶ月とか2ヶ月ぐらいの期間でした。だんだん馴染んできたというか、どういうところに問題点があるのかとか、どういう可能性や広がりがあるのかとか、どういうプレーヤーがいるのかっていう、外側からのリサーチからでは得られなかった当事者的な危機感とか、ちょっとした恐怖みたいなものとか、緊張感とかそういうのもあったので、そういう意味で当時は抽象的でしたけど、自分の思いを伝えてみたっていう感じではありましたね。

加藤:多分それでいうと、高尾さんもきっとまさに当事者として何かそれこそ、あれだけ《Generativemasks》が跳ねてというかバズってそれを元々寄付に回すっていう話をされたと思うんですけど、最終的には税金とかいろんな関係もあって財団法人を、みたいなところになったと思うんです。多分その11月のイベントの頃って、そのあたりも結構まだふわふわというかざっくりはしてたと思うんですよね。その辺りっていかがだったんですかね。

高尾:そうですね、先ほど高瀬さんが言われた通りです。高瀬さんはブロックチェーン専門の事業をされていて経験もおありだったと思うんですけど、僕は本当に8月の17日のタイミングで全てが自分と紐づく感じで出てきて、そこから勉強しながらやってる部分もあります。ですので、課題でいうと、先ほどの税金とか、個人がどういうふうにコミュニティとかを支援するかってところもそうですし、可能性と課題のシンポジウムの方で話した作品の盗用とか剽窃みたいなところですよね。特にあの頃は無茶苦茶な頻度で作品がパクられたり、僕の周囲の人たちもパクられたりしてたので、そういったところをステートメントの部分では、主に問題意識として持って取り組んだという感じでした。

加藤:そうですね。あの頃は高尾さんがいろんなパクリの人たちに対して、1個1個対応してたのが、何か大変そうだなって見てましたね。

高瀬:高尾さんの目利き力がすごくて、「ぱっと見ればこれは誰のか分かるから、これは絶対にパクリだ」みたいなのをすごくチェックされてたのは鮮明に覚えてますね。

加藤:やっぱそういうのがあって、アーティストも真摯にやってるんだろうけど、判断つくのがその本人だけだったりとか、ライセンスとして何か定義されているかというとそうではなかったりとかするのも多くありますし。僕の《WAN NYAN WARS》もそうだったんですけど。《WAN NYAN WARS》の場合は、一般に合わせよう、今こういうのが流行ってるよね、っていうのを皮肉ってやろうぐらいな感じの気持ちも若干あったので、「ついてないでしょライセンス?」みたいな何か挑戦も若干あったんですよね。やっぱりやっていくと、ただ皮肉るだけだと、それはそれで終わってしまうというか…。僕のスタンスとしては、皮肉りつつも、それをどうするのかを何らか作品とか行動で見せなきゃっていうのも同時に思ってます。なのでこのステートメントの中のユーザーの便益がどうなるのか、誠実さみたいなところがあって…。ライセンスの話でいうと、永井さんがいらしたときの話とか面白かったですよね。

小林:3回目ですね。

加藤:全4回あったうちの第2回とは3回ゲストをお呼びして、第2回はOpen Art Consortiumの伊東謙介さんっていう方でした。3回目に弁護士の永井幸輔さんをお招きした時は、このステートメントの強制力がどれぐらいなのかみたいな話がありました。あと、オープンソースのカルチャーの中でのステートメントの位置づけを参考に出されていたかと思うんですけど…。

小林:そうですね、ステートメントっていうものをどう扱っていくのかというときに、このステートメントっていうものに対して賛同するっていう形に最終的にしたんですよね。参考にしたのは、オープンソースハードウェアについての取り組みです。ライセンスを決めよう、ライセンスを決めるためにはそもそも定義を決めなきゃいけないよね、という取り組みがかつて行われた時、メーリングリスト上でのものすごい長い議論の後に取りまとめたものができ、それに対して「私はこれを支持します」っていう人の名前が300人くらいズラッと並ぶという形で支持したんですね。

ステートメントってただの声明文なので、何の強制力もないんです。ただ、去年のことを思い返してみると、日本メタバース協会ができたときに、そういうものができると、「自分たちが今まで活動していた領域が侵犯されるんじゃないのか?」という危機感を感じたり、反発を覚えたりってことが起きました。そうならないようにするにはどうすればいいんだろうな?と考えたんですね。これがいきなり法律みたいな感じになって決めちゃうとか、「〈NFTアート〉とはこういうものです」っていうふうに決まっちゃうとかすると、多分あまり支持されないだろうなと思ったんです。ですので、あくまで「私たちとしてはこういうことを考え、現状をこういうふうに認識していて、こういうふうに行動していきます」ということだけを言い、それを支持する人は、そこに対してサインをしてもらうと。大体いいけどここは違うよねっていう人がいたら、forkして別バージョンを作ってもいいし。この辺はオープンソース系の今までに行われたものを参照しつつ、どうすれば、このステートメントを発することによって、〈NFTアート〉というものを健全な緊張関係をはらみながらも、発展させていくことに繋がるんだろうみたいなこと考えてました。

加藤:それがあるからといって、詐欺が防げるというわけでもないですけど、今こういう視点を持ってる人がいるよということを何か声明として出すみたいなところはありますね。

高瀬:何かその流れで小林さんの印象的だったなと思ったのは、何かに取り組んでいて専門にそれをやってる人たちは、何か大きな問題がある前に、我々はどういう考えであったのかっていうことを示しておく必要があるという話です。それをやっておくことで、後に何か大きな問題に発展したときでも、そこに参照し得るものがあると、違った展開があるんじゃないかっていうことをおっしゃっていたのがすごく印象的でした。

小林:今のお話について補足すると、私がそう言ったのではなく、ある人に言われた話としてご紹介したんだと思うんですね。何か起きたときに、さっと取り出せるというか、起きてから慌ててでなく、じっくり考えて準備しておいて出すっていうのが重要なんだよとか、それがいわゆる専門家、有識者、当事者と言われる人たちの役割なんじゃないのかっていうことを全然別の件である方から指摘されたことがあって、なるほどなと思ってたのをその時思い出してお話したって感じです。

加藤:オンラインの取り組みというかデジタルの取り組みなので、顔が見えなかったりとか、何を考えてるかわからないみたいなところがそもそもあったりとかして、その人のTwitterを見たから信用できるのかとか、作品を見たから信用できるとか、そういうわけではないので、何かしらの署名だったりとか意思表明みたいなネット上の行動が残せるっていうのはよかったのかなと思ってます。高尾さんが評価されてるのは、デジタル上の活動を長くやられていて、そこの蓄積があったからこそなのかなと思ってます。やっぱりそれが《Generativemasks》の大きかったところだなと思っているんですけど、《Generativemasks》の場合って、ライセンスを最初から決めてたじゃないですか。それって、どう決まったんですか?

高尾:僕は普段、自分の作ってるものをクリエイティブコモンズで公開してるので、割と自然に何か作ったらクリエイティブコモンズかなとか、商用じゃなかったら改変してもらってもいいかなとか、そういうマインドでずっとやってきたから、「NFTで出すからライセンスを固めよう」みたいには考えなかったですね。2人と話す中でも、そこは議論にもならなかったというか「CC BY-NC-SAでいきますね」みたいな感じだったように記憶してます。

高瀬:そうですね。特に何かそこに大きな注目があるっていうよりも、「わかりました」っていうような感じぐらいだったかなと記憶してますね。

加藤:それで言うと、ステートメントも最終的にライセンス話は意外と最後までやって結構かかったじゃないですか。やっぱり集団でやるときのライセンスは難しいなって思いました。ステートメント自体、ステートメントのウェブサイト、署名用のコントラクト、それぞれのライセンスを一気に決めたと思うんですけど、あの辺も本当は多分いろいろ考えるポイントはあったと思います。

小林:ステートメント自体について言うと、ステートメントを書くとき、私が私の言葉で書きましたっていうのではなく、みなさんがいろいろ話されてたことを紡ぎ合わせて、そのまま繋ぐだけだとつぎはぎのものになってしまうんで整えたりとか順序を入れ替えたりしていったんです。けれども、今の著作権法っていうものの上に則ると、やっぱり誰かが著作者になっちゃうんですよね。それは仕方ないことだとして、CC0を採用することによって、全力でその著作権を全てとにかく放棄する。積極的に放棄する。「どうでもいいよ」ではなくて「(著作権は)要らないんだからこれ!!」と全力で放棄することができると。

そうやって放り出しておいた上で、私はそれに賛同しますっていうふうに、起案者の人たちもそうだし、直接起案には関わっていないけれどもゲストで参加してくださった方とか、あるいはTwitterとかGitHubとかでとコメントくださった方々も、支持をするんだったらその突き放されてどっかその辺にあるやつに対して、関与するっていうのにしたいっていうのが、個人的な思想ではあったんですね。それが本当にベストなのかどうかっていうのは、ちょっとまだわかんないところはあると思うんですけれど、Web 3とかクリプト文化における非中央集権みたいな考え方を、こういうものを作るときに果たしてどうやれるんだろうっていうのの1つの実験というか実践としては考えてましたけどね。かつてCC0、CC BY、CC BY-SAなどいくつかのパターンを試したことがあり、そういう予備運動的なものがあったので今回はCC0かなという感じでした。でも、みなさんの中で、本当は他のライセンスの方が良かったんじゃないか?みたいなのってあったりするんですかね。

高瀬:CC0で良かったと思ってますね。ステートメントが誰のものであるかっていうことを主張しないということがいいのかなと思って。策定者がいて、そこに中心になった人たちはいるものの、「自分がこれやったんだ!」っていうことを言うようなものではないと思いますし、それらがより柔軟にforkされたりとか改変されることで、新しいアーティストとかクリエイターの人たちが自らの意思に基づいたステートメントを作りやすくなっていくっていうところも見ていくと。あと、NFTカルチャー的なところで言うと、CC0っていうものが、ある種注目を集めているタイミングでもあったと思うので、そういうのを複合的に考えても、すごい良い選択だったんじゃないかなと個人的には思ってます。

加藤:そうですね。最新の『WIRED』のWeb 3特集でも水野祐さんがCC0の話をしていたりして、相性がいいというか多分、それの方が分散的には合っていて、コモンズになっていく、というか…。

高瀬:それこそイーサリアムのVitalikが著名なNFTコレクションに対して、「もっと公共的なものを作っていく方向に動いて欲しいな」っていうようなことを意見してたことがあったと思うんです。ブロックチェーンとか非中央みたいな話とかNFTとかを見ていく中でも、閉じていく方向性が今強まっている中で、広がりのある活動、あるいはもうちょっと公共的な活動っていうことがどれだけできて、ブロックチェーン上にそれがどう新しいレイヤーのインフラとして載れるかっていうところで、いろんな議論というかいろんなケースが生まれるんだろうな、と思うと、できるだけこういう何か自分たちに帰属する必要がないものに関して、あるいはもっと公益というか公共に対してできることがあるものっていうのは、CC0とかは本当に相性がいいんだろうなと思います。逆に、アーティストの作品それ自体に対して CC0を求めるような動きもあると思うんですけど、それは個別アーティストの考えとか、権利の保護とかも含めた、いろいろな多面的な思想があるので、ライセンスの付与の仕方っていうのはもうちょっとグラデーションがあるんだろうなと思いつつも、公共に向けていくっていうのは一つ考え方として個人的には賛同できるところかなと思います。

wildmouse:そうですね。ステートメントの文章に関してのお話は今いただいた通りだと思うんです。今回、ステートメントの署名っていうところにおいて、どこかのウェブサイト上で誰かが手書きのサインをするような形ではなくて、イーサリアムのブロックチェーン上にデプロイされたスマートコントラクト上に署名を残すっていう機構を採用しています。その時に、このウェブサイトの一番上に掲げられてる高尾さんが作られたNFTを同時にmintすることもできるようにしているんですね。そのときのNFTのスマートコントラクトのコードは自分が作らせていただいたものになるんですけれども、そちらのライセンスはCC0ではなくてMITライセンスにしているんです。そちらも自由に改変していいよっていうライセンスにしていて、これもブロックチェーンとかオープンソースソフトウェアっていうところで、パブリックにソフトウェアを公開して、誰でも自由に使えるようにしているっていうカルチャーとフィットさせつつ、ステートメントの文章っていうのも、個別のアーティストたちが自分の思うより良いステートメントっていうのを提示するっていうのに合わせて、ブロックチェーンのスマートコントラクト側のアプリケーションもこの方式の方がいいんじゃないかっていう、よりオープンな可能性を残すためにライセンスにしているっていう。可能性を閉じないっていうところで、なるべくオープンなライセンスを採用しているっていうところではありますね。

加藤:CC0もCC BY−NC-SAとかもまだつけてる人はそんなに多くない。これからまだまだ、それの何か法的な整理というかその時、実績というか何か今でも生まれてるとなるといいのかなとは思います。

小林:それこそTARTさんが関わってらっしゃるようなプロジェクトだと、ライセンスがすごくわかりやすく掲示されてますよね。本当に重要だと思ってまして、それがないと、結局どうなのかをいちいち聞かなきゃいけなかったりとか、読み込まなきゃいけないってのがあるんです。それに対して、きちんと掲示されていると「あ、そういう扱いなのね」みたいなことがはっきりすると思うんですよね。だから、ライセンスを明示することが慣習としてもっと広がっていくといいなと思います。

高瀬:私たちはジェネラティブアートのクリエイティブコーダーさんたちとお仕事することが多い中で、やっぱりエンジニアの方たちってライセンスに対する意識がそれなりに日頃から向けられてるのかなっていうのは感じてまして。OpenProcessingでも、簡単にライセンスを選択して公開できるような形で作品を公開されてきた経緯ってあると思うんですよね。新しくイラストとか含めた〈NFTアート〉のムーブメントの中に参入してきた方たちって、どのようにライセンスを設定あるいは設計していっていいかっていうのも、そんなにナレッジがないんだと思いますし、クリエイティブコモンズ自体も何か馴染みがないんだろうなと思います。最近は、「NFT License」っていうCryptoKittiesとか作ったチームが策定したライセンスを付与してるチームとかプロジェクトを結構見るので、そういう動きも含めて育ってきていると思います。各アーティストさんが、労力をそんなにかけずにより良いライセンスをNFTに付与できる環境ができるとよさそうだなっていうのは、素朴に思いますね。

加藤:ライセンスもそうなんですけどちょっとこれはそもそもの話に戻っていくんですけど、今このステートメントだと、〈NFTアート〉とか〈参加者〉とかを〈〉で区切ってますよね。それにした理由って何でしたっけ。結構いろいろ議論があった気がしてます。NFTを取り巻く環境ってものすごく広いから、別にNFTがアートだけを対象するにするわけじゃなくて、証明書だったり何かがあった証拠を残すぐらいのものとしてゲームにも使われるし、参加証とかそういうのにも使われると思うんすけど、この〈〉は一番最初のイベントからですよね?

小林:そうですね。イベントのタイトルで〈NFTアート〉としました。括弧の使い方っていろんなルールとか慣習があるんですけど、〈〉を使うときは新たな用語、キーワードだってことを明示する場合が多いと思うんですよね。〈〉なしにすると、既にNFTアートというものが確立されたものかのように見えちゃうと思います。そうではなく、これはキーワードで、まさに今定義中というか、どんどん書き換わっていくようなものなんですっていうことを、明示した方がいいなと思って最初からそうしました。

加藤:最近だと、フクロウをモチーフにした《Moonbirds》は〈NFTアート〉じゃないということを明示したりとか、アートとは何か?みたいなところすらも問われてる気がするんです。この展覧会の文章の中でhasaquiさんが、混沌としているこの状況こそが〈NFTアート〉をアートたらしめていると書いているように、区切ってはいるけど区切りきれない部分がもうあるなと今になっては思いますね。例えば、第2回に伊東謙介さんがいらっしゃったときは、「どれぐらい賛同していたかがわからないから、署名しておいてそれを逆手にとったようなアート作品が出てくるだろう」みたいな話をしてました。それを〈NFTアート〉と呼ぶのか?みたいなとこも多分出てくると思うんですけど、その辺はまだまだこれからの話ですね。

小林:そうですね。〈NFTアート〉とは何かという定義のところだけちょっと補足します。今この会場で配布されているhasaquiさんが書かれた小冊子には、〈NFTアート〉って何だろうということに対して、hasaquiさん自身の定義っていうのが最初にバシッと書かれてるんですね。これは非常に良い定義だと僕は思いますので、会場の方は投げ銭と共にぜひ読んでいただけるといいと思うんです。それに対して、このステートメントでは、〈NFTアート〉とは何かっていうことがどこにも書かれてないんですね。「作品に紐付いたNFTが発行されるという共通点がある」ということしか書かれてなくて、〈NFTアート〉とは何かっていうのは、これにサインをした皆さんによって定義されるんですっていうやり方をとってるんですね。これは結構特殊かもしれないなと思いながらも、〈NFTアート〉って何なんだろうというときに、いくつかの条件を満たしていればNFTアートだみたいなふうには多分言えないだろうなと思うんですね。それ多分アートも同じで、何がアートなのかアートじゃないのかっていうのを誰かが特権的に決めるっていう仕組みになってはいるものの、その条件って何なんですかっていうと明確に言えないみたいなところがやっぱりあると思うんです。で、このステートメントに一体何人の方が賛同してくれるかはわからないものの、そこに賛同した〈NFTアーティスト〉あるいはその〈NFTアート〉に関わろうという人たちがどういう人たちなのかっていうのを見て、そこから逆に「ああそうかこれも〈NFTアート〉なのか!」っていうふうに定義されていくとか、新たな人がサインをするとそれによって更新されていくというか、そういうダイナミックなやり方でしかこれはできないかなと思ってそうしてますね。なので多分、hasaquiさんがやられたようなやり方が正統派で、これはある意味逃げてるなと言われればその通りになっちゃうところあるんですけど、そのくらい何かダイナミックなものと言えるかなと思います。

加藤:「自分(たち)の〈NFTアート〉作品の〈参加者〉と誠実に向き合う」っていう言葉があったんすけど、そもそも誠実とは何かみたいな話とかもあるし、なんかどの程度やれば誠実なのかみたいな話も確か高尾さんから出ていて。僕とか高尾さんは〈NFTアート〉を実際に売って、購入者がいて、そうすると出して買ってもらった瞬間からその人と何らかの関係性を考えてしまうし、下手なことはできないなって思い始めるんですけど、それが普通のアートの作品と多分ちょっと違うところと思ってて。関係性が続き続けてしまうみたいなのはありますよね。

高尾:おっしゃる通りで、一対一や一体多の関係の話について議論したと思うんですけど、本当にそれが何かずっと続いてくし、何かその関係が、何かことあるごとにやっぱ自分の中に戻ってくるというかな、次の作品!次の作品!みたいなふうに、行きづらい部分ってありますよね。ブロックチェーンという仕組み上、何かこう、ずっとそれが繋がっているという、自分の場合は一万個の作品が自分に繋がってる状態というか。

加藤:それでいうと例えば、僕のもう一つの作品《かぞくっち》は、ライセンスというか、購入してくださった方との約束というか、取り決めみたいなものは一応あるんです。こういう権利がありますってのは言ってあるんですけど、《かぞくっち》はもはや人工生態系みたいなものなんです。作品の説明を簡単にすると、人工生態系NFTっていうのを作ってて、ロボットとデジタル生命体でリセットできない生態系をシミュレートするみたいなことやってます。例えば生物の進化のパラメータを与えるときに、寿命とかを設定した瞬間にそのNFTがロボットの中で死ぬ。NFTとしては残るんだけれど生物としては死んじゃうみたいなのがあったときに、その死のパラメータを与えるところの、神なんだけど、責任感の重さみたいなのとか、それってどういうふうに誠実さを示していけるんだろうとかがすごい悩んで、これで改めて考えてしまってたところで。何か多分それはNFTアートというものだけが生み出した新しい感覚なのかなとも思ってるし、可能性の部分でもあるんですけど、課題もあるなとは思ってますね。

高瀬:だからこそ、続いていく関係の中でアートの有り様、あるいは作品の有り様って難しいし、そこに「誠実」という言葉があると、よりどう考えればいいのかってあると思います。1個前の小林さんの〈NFTアート〉の定義の部分で、お話を伺いながら思い出したんです。混沌とした〈NFTアート〉をあまり定義せず、後に集合的に定義されるとしておきながらも、その〈NFTアート〉に対する態度をステートメントとして出すってのは、最初見たときに結構トリッキーだなと思ったんです。でも、何らかの集合的に共有されている〈NFT アート〉っぽさみたいなのがそこにありつつも、それがだんだん、そこに集う人たちによって、その輪郭が捉えられていくというようなのがすごく面白かったです。当時、正解を求めている側面が事業者としてはありました。アーティストを支援するためにNFTを売りたいみたいなときに、これが〈NFTアート〉で、こういうカルチャーがあって、これが王道で、これが正解だ、これが売れるぞ、みたいなものをなんか欲していた自分もいたのかなと。それを、「参加する人々によって集合的に定義されますよ」って言っていただいたおかげで、創作の幅に対しての可能性がオープンのままであったというか、許された感じがしたし、新たなアートの取り組みを始めていいなって思えました。制約されているようでいて広がった感覚を当時覚えています。だからこそ、こういう何かよくわからない作品を今作ってるのは、そういう投げかけを多面的にしていくことで、新しい局面を切り開いていく、そういうアプローチによって、またさらに集合的に定義されていくっていうことが、何か意味を持ってくると思ってて。だからこそ〈NFT アート〉っていうものを批判する人も多分いると思うんですけど、もうちょっと、そこの面白みみたいなものをうまく遊んでもらい、〈NFTアート〉っていうものを拡張してもらいながら、態度としては真面目にやってますっていうところだけを見ていただけるといいんだろうなっていうのは、このステートメントの意味みたいな感じなのかなと思います。

wildmouse:自分たちのTARTの作品で今回展示させていただいてるもので、《The Ten Thousand》っていう3つのディスプレイが連なっている作品があるんです。これが何かっていうと、画像が紐づいてるものがNFTなんだろうか?どうなんだろうか?っていう細々とした疑問を持ちながら、改めてNFTについて考えた作品なんです。ステートメントの解を考えている最中で 〈NFTアート〉の定義についてDiscordで話してる最中にちょうどリリースしたので、小林先生から「《The Ten Thousand》っていうものがリリースされてますけど、これは今回の 〈NFTアート〉の定義を更新するために考慮した方がいいんでしょうか?」っていう話があった気がします。当時だと、これはかなりトリッキーなものだったので、今は考慮しない方がいいっていうような形で収めたかなと思うんです。何かそういう、現状で定まりかけているNFTアートの定義に収まらないものを扱える可能性を残しているのも、〈NFTアート〉っていう定義になるのかなっていう感じはしますね。

あと、誠実さとライセンスに絡めていうと、〈NFTアーティスト〉っていう単語も〈〉でくくってあり、クリエイターとかそういう言葉に収まってません。《Generative Fish》っていうプロジェクトが過去にリリースされかけたことがあるんですね。これが何かっていうと、MITライセンスで公開されているGenerative Artのプロジェクトがあって、それをリポジトリの作成者ではない人がforkして、それをNFTにしようっていうことが進んでいたんです。MITライセンス的には、NFTにして売ってもいいんですけど、それを本当にしていいのかっていうのを、コミュニティ側とか作者の対話の中で議論が進んで、最終的にこのプロジェクトは止めることになりました。リポジトリを作成した本人が作ってないものを誰かが作ろうとして、それをみんなとの対話の中で、適切ではないということで止めたっていうところで誠実性を感じるような一つの事例があったなっていうのを、このお話をする中で思い出しました。高尾さんなんかもう本当にいろいろなパクられ問題があったと思うんですけれども、Solanaとかで出している人たちと対応して、向こうの開発者の人たちが誠実に向き合って、作品に関しての話を進めていたっていうのもリアルタイムで見ているので、そういう誠実さっていうのがかなり人間的というか、そういうところを垣間見ている昨今かなと。

加藤:今、永松さんから「プロジェクト運用だったりコミュニティ運営が生まれる限り誠実さは大前提すぎる言葉な聞こえ方もします」というコメントがありました。僕が素朴に思ったのは、なんで〈NFTアート〉だけ、詐欺っぽいとか、誠実さをすごく主張しなければいけないんだろう?とあらためて思ったりして。一般的な街中にも謎の画廊とかがあって、それは詐欺じゃないのか、それが誠実なのかどうか見えないところも多分あります。恐らくNFTの場合には投機的な側面が見えてしまい、流通も行われやすいところから、誰かを陥れやすいという側面が出てきてしまっている。関わる人に対してそれが誠実であるということを主張して欲しいみたいなことがあると思っていて。ステートメントを定義するときも、第三者に対して誠実さを要求するかという議論もありましたよね。それは途中で削ったところではあるんですけど、誠実であると署名する私たちはきっと内面的に、それに関係する相手が誠実であることを期待してる気がしていて。そこは明文化はしてないんですけど、〈NFTアート〉が持つ、混沌の状況の中における誠実さみたいなのがいろいろあるんじゃないかなと思ってたんです。

小林:そうですね。第2回から第3回に行くときで第3回でそこをどうしますかねっていう議論が結構長くあったわけなんですけど、なんでそれを議論することになったかっていうと、きっかけの1つとしては、第3回のゲストでもある永井幸輔さんから、Web 3の文化においては第三者に対して何かを求めるっていうのはあまりなじまないんじゃないだろうかっていうような主旨のご指摘があったんですよね。確かにそれはそうだなっていうところがありまして。当初12月の末に提示したドラフトには、「自分たちはこうします。で、皆さんもこうしてくださいね。」と書かれていたんですけど、後半をバッサリカットしたんですよ。ステートメントって、本当にいろんなタイプのものがあると思いまして、「自分たちはこうします」っていうことだけを訴えるものから、「あなたたちはこうすべきだ」とか、「この戦争はこうすべきだ」みたいなことを訴えるものまでいろいろあると思うんです。今回は、自分たちは〈NFTアート〉というものをこういうふうに認識してますっていうことを示し、それに対してこういう態度で臨みますっていうとこで終わってるんですよね。「で、その先に何を?」っていうところは、書かれてないっていうところですね。さっき高瀬さんがトリッキーっておっしゃいましたけど、いろんな意味でトリッキーなステートメントになってるかもしれないですね。

加藤:正攻法の一例が、最近自民党から出た『NFTホワイトペーパー(案)』みたいな提言だと思います。でも、あれが何かを保護してるかっていうとまだそうではないし、それが規制となってしまったら何かを阻害してしまう可能性も出てくるし。だから僕らがステートメントにした理由って多分そこにあって、Web 3であるべきだろうと思っているし、みんなに期待もしているんだけど、自分たちに制約も課すみたいななんかバランスというか…。やっぱり、これが一つの思想を反映しているんですね。ステートメントですし、要るなと思って試みとしてやった理由は、やっぱりそこにあるんだなって。だからこれが今後国の戦略が出てきて、利用者保護みたいなことで何か規制ができてきたときに、それは恐らく多くの人にとっての誠実さにはなるんだけど、その一方で規制してしまうアートも出てくるだろうし、そのときにこれがまた参照されることがあるんじゃないかなという気もしているんですよね。僕らがこれを宣言したことが、今後どうなっていくのかっていうのはすごい気にはなるけど、forkとかまだ行われてないですしね。大体1時間ぐらい話しましたので、今後の話に移りましょうか。

今後の展望

高瀬:そうですよね。今後様々な〈NFTアート〉の取り組みがいろんな形で出てきて、今想定しているような状況よりも更に多面的な作品がどんどん出てくるんだろうなと思います。日本もそれこそ今、自民党の話がありましたけど、国の方でもWeb 3的な動きに対しての積極的な態度表明をしようという動きが多分あるんだろうなと思っています。それらを観測しながら、一事業者であったり、一アーティストとして、どう向き合えるんだろうなっていうのは、日々考えないといけないですよね。そこでさらに、本当にもう毎日のようにタイムラインを見れば、NFTが取られたとか、暗号資産が取られたみたいな問題があります。議論していた当時にもありましたけど、今もなお毎日のように見かけていて、身近な方がハックされたりとかっていうのが、日常的に起こっている。盛り上がりがどんどん広がって、対象者も増えて、国とかも含めた様々なレイヤーの人たちもどんどんどんどん入ってきて、より混沌が極まるみたいな中で、頑張ってこの態度を示し続けなきゃいけないんだろうなっていう感じですかね。

加藤:僕は今回この展覧会を企画しながら皆さんと一緒に作り上げたんですけど、その理由もそこにあって。そういう提言がなされたりとか、一般的にこういうものだよねだからこういう規制をしようみたいなとかっていうのって、因果、原因→結果みたいな感じで描かれやすいと思います。でも、例えば盗まれた高額な〈NFTアート〉が全ての〈NFTアート〉を体現してるかってとそうではないんです。もっといろんな可能性がNFTをメディアとして見たときにあると思っているので、それを考えている人たちがいるんだよということを伝えなければいけない。僕もそう考えて、そういう作品を作っているから、それを知ってほしいし、僕の作品は特に物理作品と紐付いてたりするので、物理的に見て欲しいというのはあります。ただただデジタルの中だけのマネーゲームやコミュニティの盛り上がりだけじゃないこともあるんじゃないかってのは思ってるので、そういうところが今回の展覧会で伝えたかったところではあるかなと思っています。

高尾:今回、この「Proof of X」の展覧会を会場で見れてはいないんですけど、皆さん割と意欲的なというか、NFTというメディアを特徴づける要素に着目した作品発表されているっていうふうに見ていて、そのあたりの試行錯誤と、今回のステートメントのフレームだけがまずあるような状態は、かなり近いというか、枠組みを捉えようとしてるって意味では、同じ形式なのかなっていうふうにも見ていて。ステートメントに関しては自分は、署名をした後に、割と心が楽になったというか、自分がやってることっていうのはここにもう残したというかここにサインをしたので、あとは何かそれに恥じない、背かない形でずっと活動していけばいいんだ、それはずっと残っていくから、っていうふうに思えました。そういう意味では、あの署名があってジェネラティブアートやクリエイティブコーディングにまつわるNFTに積極的に関与することに、よりエンジンがかかったというか、そういうふうな変化はあったと思ってます。なので、この共同ステートメント自体も起案者チームでありつつ、また何かただ手を入れていくというか、見ていかないと、やっぱりそれって廃れていっちゃうようなものだとも思います。例えばビジュアルの使い方だったり丁寧にできる部分ってのもあると思うのでそういうところにはきちんと手を入れ続けてていきたいなっていうふうには思ってました。

加藤:まだまだ何が〈NFTアート〉なのかとか、どういうライセンスがあれば何が守れるのかとかも分からないし、やっていく私たちの態度次第なのかなっていう気はしますね。

高瀬:本当にこの展示だけでも、いわゆるNFTっていうので見て取れる作品とは違うものがバーっと並んでいて、それだけでもすごい広がりを感じるし、それが物理空間と接続するものだったり、鑑賞体験に紐付いたものであり、NFTのメタデータに関する作品だったり、コントラクトそのものの作品だったり、もう本当に多様。それだけじゃない、さらにいろんな可能性があるじゃないですか、きっと。僕個人的には、この署名をしたことで一番最初は「これ署名しちゃったし、なんかちょっと真面目に生きなきゃいけないな」みたいな素朴な…。そんなこと言ったら、「お前がそんなこと言うな!」みたいなことがあるかもしれないですけど、緊張感を持ったことは確かだし、と同時に、その中でどれだけ攻めきれるかみたいな、新しい可能性に対してチャレンジをして、何か変なことをして、〈NFTアート〉のシチュエーションを広げられる、社会に届けられるかっていうところがあるんだと思ってて、なんかそれがいい感じの制約と誓約みたいな、鎖を覆いつつも何か新しいことやるんじゃないかなみたいのがあって、だからそこは純粋に楽しんでます。あと、いろんなプレーヤーが入ってきたことで増える会話の中で、「そんな観点があったんだ!」みたいなのがあるんですよね。

加藤:僕は元々、ブロックチェーンと現実を繋げる、現実社会にインストールするにはどうするかとかやってたんで、ブロックチェーンはめちゃくちゃ異種格闘技戦だなと思います。異業種の人も含めて全ての人が多分何らか対象になるんだなみたいなのはずっと思ってたんです。〈NFTアート〉でも、それこそ小林先生は〈NFTアーティスト〉ではないけど何か面白いなと思って入ってきていただいて、これまでやってきたオープンソースのコミュニティだったりとかそういうライセンスの話だったりとかがかなり重要なところを占めていますし、まだまだ考えるプレイヤーが増えれば増えるほどこのステートメントも改変されていくべきだと思います。

小林:そうですね。このステートメントの中で、「こんなアクターがいますよ」っていうところはwildmouseさんが提案してくださった案を基に最終版になっているんですけど、こういう人たちがいるんだっていうことを改めて捉えてみるっていうところも、すごく重要かなと思うんですよね。アートっていうと、作品を作るところまでお話が終わってしまいがちです。ところが、その先にも人がいるんだとか、その先の人たちとも関係を結んだりとか、さらにそれを発展させられるんだったら、もっとこんな広がり方もできるかもしれないな、とかっていうのが視野に入ってくると、今までのものを保証するために使う、改竄を防ぐために使いますって話ではなくてもっと何か自由にどんどんフィールドを広げていく方向に繋げられると思うんですね。

だからそれがやっぱりデジタル空間っていうものを考えるときに重要なんじゃないかなと常に思ってるんです。というのは、メタバースに関して新たな協会が出てくる度に次々と反発が起きるのを見たときに、「いやいやちょっと待って!メタバースって物理空間の制約から逃れたはずじゃなかったのか?」みたいなことも思うわけなんですよね。「ここは私たちの領土です!」みたいな発言をみかけると、「あれ?だって別にそれによって皆さんのところは侵犯されたりしませんよ?」と思うんです。でも、VR空間に生きてる人たちですらそういうのをついつい感じてしまうみたいなところっていうのが、本当にだからある意味現実であることの証拠だなと。そういう連続性はやっぱりあるし、やっぱり人間ってそんなに進化しないよねっていうのが21世紀に入ってからの様子を見ててもやっぱりあるわけなんです。でも、これまではすごい限られたところを取り合うしかなかったのが、それとは違う別のレイヤーができてるし、全然違う関係性も作れるんだっていう。やっぱり、確認した上で自由になっていくものになった方がいいと思うんですよね。だからおっしゃるように、これにサインをしてしまったから、その後の行動が制約されちゃうっていうものだとあまり良くないと思うんです。それで1回確認をして、今まで何かモヤモヤしてたものが1回クリアになって、別のところを考えられるようになるという、何かそういうものになってるといいなと思うんですよね。11月ぐらいから2月まで議論して2月20日にリリースしたものから数ヶ月経つと、見えてる世界もどんどん変わってくると思うんです。もしかしたらそういうときには、どこかを更新しようっていう議論があるのかもしれないです。あるいは、単なるステートメントではなくてもうちょっと違う、行動規範みたいなものとかを考えるようなフェーズになるのかもしれないし、ならないのかもしれないですけど、何しろそういう一つの出発点としてとらえるといいのかなと思います。

加藤:永松さん「自分が混乱したのは、行動規範Code of Conductとはかなり違うという点でした」というコメントがありました。Code of Conductは第三者に行動を促しますよね。それに対して、変わりうる余地を残しながらも、こういう状況でこういう思想を提言するには、これはステートメントという形に僕らとしてはなったということだと思います。変えていくというか、まだまだいろんなプレーヤーが参加して、変わっていく、変えていく、署名した僕らも変わっていくっていうのが出てくるのかなとは。思いますね。何か話し足りないところはありますか?どうですか?会場の方々も、もし何かご質問等等あれば。コメントから拾ってみます。

高瀬:YouTube配信でご覧の方も、もしご質問があれば、チャットに貼っていただければ。

加藤:0xhaikuさんから「ほぼすべてのfull on-chain作品はBrecht Devosさんという方の書いたMITライセンスのBase64エンコードコードを使っているのですが、それらとfishdrawとの違いの線引は最終的に誠実さに委ねられるのですかね🧐」という質問が。高尾さんこれわかりますか?

高尾:わからないです(笑)。「Generative Fish」は第三者がLingdong HuangさんのGitHubで公開していたソフトウェア「fishdraw」のコードをほぼそのままの形で作品を公開したんだけど、もとのLingdongさんのソフトウェアはMIT ライセンスで、改編や商用利用も禁止されてないので、法的には問題がないという。一方で開発者本人や周囲の人たちがこういうことは望んでいないからやめてくれとか、よくないみたいなことを声を上げたことで、最終的に販売が中止されたという話しですね。MITライセンスでそこを禁止はできないから、こじれていてややこしいなというのは思ってます。

高瀬:0xhaikuさんのコメントって、皆さんがNFTを出す時に、他の方のものを引用してきたり引っ張ってきて出してるんじゃないんですかっていう問いだと思ってます。MITライセンスが付与されたコードそのものを〈NFTアート〉の作品として出すのは、何か倫理的に良くなさそうみたいな議論がある一方で、NFT内部で使ってるものや参照している者がMITライセンスで提供されているものだったりするときに、コードの制作者の意図にそれは反してないのかとかっていう議論って普通はなくって、そのままライセンスに沿って使わせていただいてるっていうところで、コードをビジュアルの作品として出してる場合にはそこが何か文化的に押し込められたのは、逆にどういうバランスなんだろうっていう議論ですよね。そこには誠実さみたいなものはどう何か入ってくるんですかっていう結構難しい問いな気がします。

加藤:多分一般的にそのジェネラティブアートで、 Processingのp5.jsとかも使うと思うんすけど、p5.jsのライセンスだったりとか、それこそコントラクトレベルでいうと、コントラクトもきっとOpenZeppelinとかそういう、何かある種セキュリティ Audit(監査)されたようなコントラクトを使うのが安心するけどそれのライセンスはどうなんだと。その辺まで含めると、ややこしみが増えますね。

高瀬:高尾さんとよくお話する中では、これ商用利用していいですかっていうのを質問されて、何か高尾さんの回答としては何かご自身が考える、よき行いをしてるところに寄付とかしてくれたらいいよみたいなニュアンスでお答えされてるのをよく拝見してて、例えば 《Generativemasks》のウクライナエディションとかをやったときは、直接そのまま寄付されて、寄付した人がNFTを発行できるみたいなことやったりとかしたんです。NFTとかクリプトの文脈だと、お金の滑らかな移動みたいなのが実現したことで、アーティスト側にその資金を還元できる余地の幅で可能性が広がったと思う中で、こういう「ライセンスがMITだけど、僕らとしては使わせていただいてるので、何かお気持ちを還元したい」みたいなものも、なんか滑らかにそういう資金的な流れっていうことだけじゃもちろんないと思うんですけど、設計できたりするようになってくると、より良さそうだなあとは思いますし、そこの恩恵をもう多大に受け続けているので、このエンドで僕らが作品を出して資金をもらうっていうところの裏側にあった人たちに何か繋がりができるようにするといいんだろうなと思います。

加藤:そこもすごく大事な問題だと思ってて、今あまねくITサービス会社はオープンソース文化のライセンスの利益というかコミュニティが生み出したものを使わせてもらって自分たちで利益を生み出しています。例えば最近でも、大企業みんなが使ってるライブラリを作っている人が「全然お金が入ってこないからもうやめるわ!」みたいな感じでリポジトリを壊すみたいなことがありました。それは大バッシングを受けつつも、賛否がすごかったと思うんです。それはまだ解決してるわけじゃないじゃないですか。可能性はそのブロックチェーンとかが持つものだと思います。滑らかに資金を流していくとかができると思うので、何かそういうものが、次にあるといいのかなと。

wildmouse:このあたりだと、 NFT っていう話よりかはブロックチェーン全体というかトークンの話になってくるような気もしていて。というのが日本発で「Dev Protocol」っていうブロックチェーンのプロジェクトをしている会社さんがあって、いわゆるオープンソースソフトウェアのプロジェクトに対して、寄付というかサポートをブロックチェーン上でできるようにするっていうサービスがあるんですね、そちらでDEVのトークンを付与することで、リワードとしてオープンソースに対しての報酬が与えられるんです。そこで今まで日の目を見なかったというか、日の目は見ているけれども、金銭的なところで享受が得られなかったプロジェクトに対しての還元をしているっていう試みをしているところもあったりするんですよね。なので、NFTに限らずブロックチェーンを利用することで、そういう金銭的なところの齟齬というか、そういうところの解消も実現されつつある状態ではないかと思います。

高瀬:例えば、ジェネラティブアートって、多分ほとんどの方は知らなかったというか、すごくニッチなポジションを取っていたんじゃないかなと思います。NFTがあることで、注目が集まったり、意義が見直されたりとか、存在感が出たりということが起きたといえるかもしれません。プログラムそのものの権利だったり、オープンソースソフトウェアをやってる人たちの権利だったり、議論を呼ぶためのいい燃焼剤というか、様々な人たちがそこに入ってきて、喋り出すようになったっていうのは、すごくいいと思うんです。だから、NFTが解決できるわけではなくとも、それによって問題が浮き彫りになって、プレイヤーが増えて、少しでも改善する方向に空気が進むといいんだろうなっていうのは、ありますね。

加藤:そうですね。さっきの、MITライセンスで無料で公開しているライブラリを使って何かを作られても、その利益はライブラリの開発者に行かないみたいな話とかも、こういう競争ができたことによって、「こういう問題があるんだね」ということが見やすくはなったと思います。これらはずっと前からあった問題で、一般的になってくる中でもっと議論が活発になっていくといいのかなと思います。

小林:そうですね。そういう問題があるのかってことが視野に入ってくれば、いろんな解決法はやっぱあると思うんですよね。だからそれ別にブロックチェーンとは全く関係ないところでもあり得るのかもしれなくて、例えばGitHubとかも直接別にドネーションできますよね僕もいくつか自分がこれなくなると困るなと思ってるツールについては少額ながら毎月払い続けてるんですけどとかいう仕組みもやっぱりあったりすると思うんですよね。だからいずれにしろ視界に入ってこない限りはそういうことがあるってことすら気づいてなかったりするのもあると思いますし。オープンソースと大企業みたいなときにさっきの例はね、大企業が搾取してるみたいな文脈で捉えられますけどそうじゃない場面もあると思うんですよ例えばGCC(​​GNU Compiler Collection)という巨大なコンパイラだと、AppleやGoogleもそうですけど、ガンガンそこにリソースを割いて、それを私たちが無料で無料で使っているという関係もあると思うんですよね。1個の例だけだと、すごい偏ったものになっちゃうんですけど、いくつか出てきてそれが顕在化してくることによって「あ、なるほどね」っていうふうに意識に上ってくるところではあるんですしそうしたときに、今までの方法で解決できるんだったらそれでやればいいですし、それでもできないところにブロックチェーンないし、その上で動くNFTっていう仕組みが何か有効なんなら、それが使えるところがあるかなというか。そう思うと、1つそういう選択肢が増えたっていう捉え方ができるし。

加藤:NFT アートが投機的であるいい部分があるかなと思ってそのお金が絡むから、このお金どこ行くんだろうみたいな感じの気持ちにもなるし、そのそれを作ってる人が、何か誠実にって言ってるけどそれはどこまでの開発者に対しての誠実さが何か絡むからこそいくのかなとか思います。まだまだケースが少ない部分とかもあると思いますし、こういうちゃんと話すシーンが、オープンソースのムーブメントと比較するとまだまだだと思うんですよね。何かがあると良いんですかね…。分散的にやっていくのか、散発的にやっていくのか、作品を1個作った方がいいのか…。難しい問題ですが、引き続き、これに署名したり今見てくださった皆さんの中でも、ちょっと何か考えてみてもらって、〈NFTアート〉って何だろうとか、どういうものが僕らの生活に結局最終的にその大企業の動きとかがその個人の動きとかが生活に紐づいてくる、その中の一つのものなんだっていうのを捉えてもらうのがもらえるといいですよ。

高瀬:そうですね。これはまだいつでも署名できますよね?

加藤:そうですね。

高瀬:なんでこの議論を聞いたりしていろいろ考えることがある方がいらっしゃるとは思うんですけど、その中でも賛同できるなというふうに感じていただいた方は、いつでもコントラクトが動き続けていて、ステートメントには署名できる状態になっていると思いますので、ウェブに飛んでいただいて、署名をしていただければありがたいなと。

加藤:特にその署名をしたからといって何か利益が得られるというわけでもないですし、ここで署名したときにもらえるNFTっていうのは、誰かに移転したりとか、燃やしたり、なくしたりできないというコントラクトになっています。だから本当にこれを通じて何か考えたいと思っている人とか、アーティストの方々とか、連帯を示すときとかには使えるような気がします。僕らも起案者と言いつつ、流れで集まってる人たちというのがあると思うんで、ぜひぜひ一緒に議論したいですし、これから NFTというメディアがどういうふうになっていくのかを一緒にこの展覧会とかも通じながら考えていけると嬉しいなと思っています。という感じで、今日はどうもありがとうございました。


おわりに

ステートメントの公開から2ヶ月経った時点で振り返った本イベントにおいて、今後取り組むべき課題がいくつか見えてきたように思います。以下、個人的な見解として2つほど述べてみます。

第1は、ステートメントで宣言している「所有権および著作権に関する条件を含む、<NFTアート>保有者に与えられる権利や便益の内容を明示する」についてです。これを実行するのは、決して簡単なことではないでしょう。オープンソースの文化に慣れ親しんだ人であれば、ライセンスを目にする機会が多く、自分で何らか公開したことがあれば代表的なライセンスの違いはおおよそ把握できているでしょう。しかしながら、アートやデザインの文化出身の人たちにとって、ライセンスを自分で設定することが求められるという機会は少ないでしょう。このため、そもそもどんな権利があるのか、譲渡と許諾でどう違うのか、など、基本的なところから学んでいく必要があります。この点に関しては、例えばライセンスごとの条件や有効性などを横断的にまとめた比較表を作成する、ケーススタディーによりどんなことが起きるのかを想像しやすくするなど、リサーチに基づくレポートが必要でしょう。

第2は、「このステートメントに署名する人々により、集合的に定義されます。」についてです。静的に定義するのではなく動的に定義するという考え方は、黎明期にある〈NFTアート〉には一つの有効な選択だったと信じています。しかしながら、このステートメントに署名した〈NFTアーティスト〉や、それらの人々が関わる作品群がどんなものであるか、その全体像を把握するのは簡単ではありません。こちらについても、例えばですが新しく署名されるごとに更新されるリストを公開するなど、わかりやすく提示していくことにより、集合的な定義が有効なものになるでしょう。

この2つは私個人が今回の議論を通じて課題だと思ったものであり、これ以外にも様々な課題が提起されたと思いますし、新たな作品や活動につながるヒントも沢山含まれていたと思います。ぜひ、Proof of X展の感想と併せて、ステートメントおよびこのイベントに関する感想も共有してください。(小林茂)


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