見出し画像

プレゼント

12月22日、荻窪の道路を歩いていると目の前に6歳くらいの息子とその母親が歩いていた。
息子はステップを踏むようにして母親の顔を笑顔で見つめていた。母親はしっかりと息子の手を握り逞しく歩いていた。息子は飴玉のような目をして母親にこう云った。
『お母さん、もうすぐクリスマスだね!』
母親はややオーバーな反応で応えた。
『お母さん、ぼくクリスマス大好きなんだ!だってね、サンタさん来てくれるでしょ?今年もきっと来るよね!!』
『きっと来ると思うよー!』
『お母さん、後二日だね!すごく楽しみだなー』
あまりにも純粋な心に私は思わず頬が上がるような感覚がした。とても寒くて顔をマフラーで隠さないと耐えられないが、ほんの少し感覚が戻ったようだった。

私も子供の時、サンタさんが来たことがある。
毎年、サンタさんへのお手紙といろんな国を旅する疲れを癒したくて乳酸菌飲料とクッキーを置いていた。
朝起きると枕元に綺麗に包まれたプレゼントがあった。私もきっと飴玉のような目で父と母に見せたに違いないだろう。

魔法使いになりたかった私はサンタさんに魔法の本をください。とお願いした。
どうやら魔法使いにはなれなかったようだが、来たのはヴィンテージ感あふれるオズと魔法使いのスケジュールノートだった。絵葉書もたくさん入っていた。
思っていた魔法の本ではないけれど、私はなんだかそれがすごく不思議な本だと思い、今でも大切に保管している。

いつからか、サンタさんは来なくなった。私もいなかったんだと理解する年齢になると恋人ができた。
すると、恋人がサンタさんになってくれた。
私の欲しいものというよりは、私に合うものを選んでくれた。
選ぶという時間を私にくれたのだ。
それはとても嬉しくて、愛されてる実感を得られた。

大人になってからは、クリスマスなど仕事だしかなくていつしかクリスマスは忙しいから嫌だと思うようになった。起きる瞬間から嫌だ。頼むから寝かせてくれサンタさん。と思うほどである。
すると、あの懐かしいブギウギした感情はもう無くて仕事で疲れ切った体をベッドに運ぶのが精一杯だった。多少の人間関係で大きな贅沢を得たこともあった。本来ならすごくお金を使うものを無料で手に入れることができたり、人脈のおかげで発見や徳があったりもした。そうするうちに誕生日だとか、クリスマスだとかはあまり気にしなくなった。

高価なプレゼントをもらうこともあった。はじめは嬉しかった。だが、矢張り私のために選ぶ時間のほうが貴重であると思うのだった。

今年で私は25になった。
あっという間の20代だ。
気づいたらクマまでご丁寧に着いてきた。
まだ私の中にキラキラした心は残っているのかと考える方もあった。

そしてクリスマスの夜にいつも通り寝支度をして電気を消すとき。

あゝサンタさん来るのかな。
起きたら何かあるかもね〜


そうふと、考えるのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?