「緊急事態下の物語」を読んで

5人の作家の短編集。

「腹を空かせた勇者ども」:金原ひとみ
🔖“私は人の気持ちを鑑みながら、それでも自分の気持ちを維持させていく道を模索し続けてる。その中で、これはアクシデント的に起こった一つの事象でしかない。起こったことにはただ粛々と対応するしかない。“
“いかに趣味判断を乗り越えるかというのは、哲学が誕生した時から人類の命題で、簡単に答えが出るものじゃない。だからこそ、趣味判断をしては奈良に、と言うことも、趣味判断をするべきだ、と言うことも、浅はかであるという印象しか与えない。私たちはいかにして趣味判断と付き合っていくべきなのか、その答えの出ない命題について思考し続けていくのが良心的な人類のあり方だよ。あなたには分かり合えない人々、自分の趣味に反する人々に対して、配慮と尊敬の念を持って欲しいと思っているし、私もそうしてきたつもりだけど、確かに努力が足りなかったかもしれない。あなたが尊敬しているものを小馬鹿にしたことは謝る。でも、ああいう反知性主義的な存在が私にとって堪え難く、この世界を息苦しいものにしているという事実も、あなたには知っていて欲しい。ちなみに人からどれだけ人気があるかで物事を判断するのは思考停止が過ぎるしお話にならないから、どうしてお話にならないかは自分で考えなさい。最後に、恋愛っていうのはこの世に於いて最も批評が及ばない範疇のもの。良し悪しを判断するなんてもってのほか、誰かが誰かの恋愛に感想を漏らすだけで滑稽。それを知っているだけで、きっとあなたの知性は十%くらい向上する。“
📝玲奈のママ、かっこよすぎる。
📝5編の中で一番好きな作品。スピード感、刺さるセリフ…金原ひとみさん、いいね。

「オキシジェン」:真藤順丈
調合された酸素を吸わせるという治験を行う隔離施設の話。酸素の効果は画家、音楽家、作家などの被験者の創作にどう影響するのかを調べるというもの。拒否したり、反抗したりすれば、別室に連れて行かれ、戻った者はいない。従順であるしか安泰は望めない。しかし、それは精神的な安定の維持にはつながらない。
感染症の流行で国家権力が異常に力を持ってしまった社会の話。

「天国という名の猫を探して悪魔と出会う話」: 東山彰良
死者が死なずに生者に噛みつき感染させるというウィルスが流行し、物事が180度ひっくり返ってしまった。東西南北も左右もコロコロ入れ替わり、朝に月が上り、夜に日が昇る。善悪が入れ替わり、悪魔さえをも困惑させ嘆かせる。本当の自分になりたいと悪魔を欺き、猫を取り戻すという話。
🔖“善と悪、天国と地獄の見分けがいよいよつかなくなれば、人間は堕落のしようがなくなってしまう。堕落が救済で、救済が堕落になってしまう。“

「ただしみ」:尾崎世界観
テレビもYouTubeにもネット情報にも嫌気がさして、そこには正しさがあるという理由で、ただ現在を映すライブカメラを視聴する人々。だが、そこにも人の手が加えられ、正しさは損なわれていくという話。
📝『正しさ』を求める欲求が広まっていくと、そこにあった『正しさ』は『正しさ』ではなくなっていくという矛盾。『正しさ』はあくまで個人の内側に留めておくものなのかもしれない。

「MINE」:瀬戸夏子
自らがウィルスのパイロットとなって社会を破滅させる〈臆病なテロリスト、臆病な殺人者〉組織に入り、準備期間を過ごしている間に組織は自爆、壊滅してしまう。残ったのはシステム自爆装置としての使命を持った女性アイラと、彼女と最も長く接触したことによりまるでワクチン接種効果を得た女性ユミ。ウィルスの意思や感情を想像した話。

【感想】
 金原ひとみさん以外は初めて読む作家さんたちで、しかもディストピアが描かれているという共通点。どれもとんでもない世界だけれど、登場人物たちは絶望感で打ちのめされるわけでもなく、むしろ逞しく生き延びている。翻って現実社会を見れば、こちらの方がよっぽど善悪の境界も正しさも曖昧で、矛盾だらけで、人々の心は憂鬱で溢れかえっているような澱んだ空気が満ちているように思う。小説で描かれるディストピアより、人間が作り出している現実社会がずっと不安定で不穏であるがゆえ、この本を読んでなぜか救いを見出したことに溜息が出る。


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