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今日を生かされてる

お天気よかったのでカメラ携えてお山の上の公園へ🚗

お目当てはこちら👇

スノードロップ

待雪草とも呼ばれていて春の訪れを告げる花。
注意して探さないと気が付かないくらいホント小さくて可憐でかわゆくて愛おしい。

そしてこちら👇も気になってた花

福寿草

なんと縁起のよい名前なのだ😲笑
地面からひょっこりと顔を出して、小さいけど精一杯背伸びしてるように見える。
この福寿草の花って陽の光に忠実なんだよね。
太陽を追っかけて陽の光を浴びてる間だけ花びらを開いてる。
今回は建物で日陰になっちゃってた時間帯だったので完全に花開いてなかったのが残念💧
日光が当たるとこんな感じに👇

福寿草を眺めてたら脳内でこの曲が延々とループ再生されてた😆

帰りのクルマの中で熱唱してたのは内緒です🤭

福寿草、雪解けの川
青く澄んだ空と大地と
有り余る命の中で
今日を生かされてる

和楽器バンド「独歩」

共感maxなんだよなぁ。
周りからの生命の息吹を感じることで自分が生きてるってことを感じる。
受動的な感覚って言ったらいいのかな?
生きる力を与えられている、だから私は生きるって感覚。
偉そうなこと言ったって自然の中では人間なんてちっぽけな存在。
多くの命と共存し生きるも死ぬも諸行無常。
生きていられることは自らの意思じゃなくて自然が決めること。
人はそれを運命と言うのか。

著作権的に紹介していいのかわかんないけど弾き語りアレンジも好き。

悲しいね、ひとは
どれだけ離れても
悲しいね、ひとは
また歩き出せる

和楽器バンド「独歩」

苦しみや哀しみを背負って歩くのって辛いよね。
でもそれ乗り越えて歩かなきゃ前へ進めない・・とか、人はそうやって成長してゆく・・とか。
私はヤダよ笑
そんな気力すら無かったし💦
だから歩くのやめて殻にこもった。
で多くを失った。
でもそれでいいと思った。
進まなくていいもん。
もう成長しなくていいもん。
背負ってた荷物が重すぎたんだろうかな🤔

でもまた歩き出さそうって思ったのは、死というものに対して本気で向き合わざるをえなかったから。
終わりってものが見えてきた時に前へ進まなきゃって思ってしまう不思議。
これも焦りから来るものなのだろうか。

殻にこもった時にね、現実の自分を捨ててネットの中で新しい人格を作ってそこで生きていこうって。
いくつかの出逢いと別れを経て「まー」って人格がいまnoteというコミュニティの中で息してる。

脳内が「生きる」って方向へシフトしたのは、私は孤独じゃないってことをここで感じたからというのもある。
「死にたい」が「死んでしまう」に変わって、でもその次が「死のう」にならなかったのはそれがかなり大きいと思う。

私がどんな人間かもわかんないのに、私のこと気遣ってくださり、愛をくださり、力をくださり・・
本当に孤独だったら歩き出すことなんてできなかっただろう。

だから確と思えたんだよね。

私は「生かされてる」んだって。

***

3月は平年よりも暖かいって予報だ。
ようやく春を体感できる気候になってゆくのかな。
春は一番好きな季節。
動き出した生き物たちからエネルギーをもらって、わたし生きてるなってことを一番実感できる季節だから。

んじゃまたね~ばいばい👋


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